医学界新聞

カナダ臨床留学報告

山城清二(佐賀医科大学・総合診療部)


はじめに

 佐賀医科大学総合診療部からトロント総合病院のGeneral Medicineの臨床研修に来て約2年。日本では,米国での医学留学の報告に比べ,カナダでの留学報告は少ないように思います。今後とにかく北米の臨床医学に接してみたいと考えている若い皆さんに少しでも参考になればと思い,カナダでの私の積もる苦労話を披露させていただきます。

カナダ留学

 1995年7月31日,焼けつくような日差しの中,トロントのピアソン国際空港に降り立った日の感動と不安は今でも忘れません。学生時代は海外留学など夢にも思っていませんでしたが,沖縄県立中部病院での研修医時代に周囲の意欲的な研修医に刺激され,知らず知らずのうちに留学という夢が芽生えてきました。しかし,本格的に留学に向けて米医師国家試験を受けはじめたのは卒後6年目からでした。当初はFMGEMS(米国で医療行為を行なうための外国医科大学卒業生を対象とした医学試験。1993年廃止)を受けていましたが,なかなか基礎医学試験に合格せずやきもきしていた時に,カナダから中部病院にレクチャーに来ていたBruce M.T.Rowat先生と知り合ったのです。当時Rowat先生はトロント総合病院の救急部長の要職にあり,幸いなことに,私がもしカナダの医学試験に合格したら彼に面倒をみてもらえるという話にありつけました。試験科目に苦手な基礎医学がないカナダの試験は,その時の私に希望的観測を抱かせるのに十分な魅力がありました。
 しかし,世の中そううまくいくものではありません。カナダ(私の場合はオンタリオ州)の臨床研修には,臨床医学試験(Medical Council of Canada Evaluating Examination:MCCEE)合格と,TOEFL580点,TSE(Test of Spoken English)50点取得が要求されています。基礎医学試験がない代わりに英語の試験が米国に比べて大変厳しくなっています。最近では,日本の専門医の資格を持っている場合にはMCCEEが免除になり,英語の試験さえ通れば臨床ができるようになりました。私はMCCEEを受けに試験会場である香港(香港返還後はアジア地区の試験会場はなくなると聞いています)に3度飛び,やっと合格はしたものの,件の英語の試験になかなか合格せず,半ば留学をあきらめかけていました。そんなところにRowat先生からの手紙をもらい,まずはObserverの身分でカナダに来て,いろいろな科を見学しながら英語の勉強をしたらどうかというアドバイスを受け,果たしてトロントへの留学がが実現したのです。

寝ても醒めても英語,英語

 トロントに着いた翌日には諸手続きを済ませ,すぐにトロント総合病院内のいろいろな科の見学が始まりました。いきなり生の英語環境に飛び込みましたので,初めの頃はまったく周囲の話が聞き取れず,ストレスフルな毎日を過ごしました。おまけに最初についたスタッフは外国人の私にほとんど配慮をしてくれず,1人悔しさを噛み締めたことも何度かありました。そしてとうとう1か月目には時差ボケとストレスで体調を崩し,2日ばかり寝込む有様。しかし2か月目からは次第にまわりの様子もわかってきて,基本的生活ができるまでに落ち着いてきました。
 それでも英語の苦労はずっと続きます。1年目は英語の勉強と内科のいろいろな専門科を見学してまわりましたが,なかなか英語の試験に合格せず,つらい思いをしながら病院に顔を出していたというのが本当のところです。10か月目にしてTOEFLを,そして1年目にTSEに合格し,やっと平常心で余裕をもって見学できるようになりました。その後clinical fellowになるための手続きが繁雑かつ非常に時間がかかり,結局日本を離れてから1年半後にfellowの資格を得て実際に患者が診られるようになりました。当初の予定より半年遅れ。これも皆,英語試験に苦労したためです。とにかく,すべての面で苦労の元凶は言葉の問題です。現在,トロント総合病院には私を含めて3人のclinical fellowの資格を持った日本人医師がいますが,彼等も大なり小なり似たような苦労をしてきています。その私たちが大いなる共感をもって交すのは,日本の医学部での英語教育をもっと実践的なものにしない限り,若い人たちも同じような苦労をし続けるだろうということ。これが今回のレポートで私の強調したいことの1つです。

General Medicine

 本来の私の目的は,トロント総合病院のGeneral Medicineでは診療と教育をどのように行なっているかを調べることです。後半の1年は(その約半年はclinical fellowとして)General Medicineを中心に研修しましたが,そこでRowat先生からHoward B.Abrams先生を紹介され,彼についてGeneral Medicineを学ぶことになったのです。今回の留学での最大の幸運は,このAbrams先生に出会ったことでした。彼はとても気配りがあり,その上国際的なセンスを持った方で,8か月遅れてカナダにきた私の家族共々,公私にわたり大変お世話になりました。
 さて,General Medicineの診療では,病棟担当が4チームとコンサルテーション担当が1チームあり,それぞれに1人のスタッフがつきレジデントと学生の指導をしています。病棟ではPGY2(Post Graduate Year2,卒後2年目)あるいはPGY3のresidentがチームリーダーになり,2人のPGY1(いわゆるインターン)と3,4人の学生(こちらの学生はレジデントサインをもらいながらほとんど医療行為をします)で1チームを構成して,チームリーダー以外は1人につき2人から3人の患者を受け持ちます。チームリーダーは直接には患者は受け持ちませんが,すべての患者をチェックし,その都度スタッフと相談しながら患者ケアをしますので,かなりの実力を要求されます。以下はGeneral Medicineの代表的な入院患者の例。
■圧倒的に多い虚血性心疾患:緊急のカテーテル検査や手術の必要がない患者
■AIDS患者:様々な感染症や悪性疾患
■肺梗塞:とにかく多い
■脳梗塞:心房細動などの不整脈に絡むものが多い
■COPDや喘息:呼吸器科にも入る
■sickle cell anemia:全身の血管閉塞の症状や疼痛
■その他:やはり高齢者が多い
 全般的な印象として,専門科の特別な治療が必要でない場合は,患者はGeneral Medicineにきますので,扱う疾患はバラエティに富んでいます。そして,そこから専門科へのコンサルテーションが飛び交うと言った感じです。
 教育面では,morning reportとnoon round,そして週1回の内科全体のgrand roundが中心に行なわれています。morning roundでは前日の当直グループが1症例提示し,1人のスタッフがその症例についてレジデントや学生に質問しながら主に教育目的で検討していきます。その時々によって病歴,理学所見,診断や治療のどれかのテーマを選んで教育していきます。スタッフはチーフクラスで,医学部長も週1回担当しています。したがって,レジデントや学生は経験豊かなベテランのスタッフから患者へのアプローチの仕方を直接学ぶことができるわけです。
 noon roundはそれこそ軽い昼食付き(日本同様,製薬会社が差し入れます。チーフレジデントの腕の見せどころ)の講義で,臨床に即したテーマでほぼ毎日開かれます。また,週1回のgrand roundでは内科全般が対象になり,各専門科のスタッフが各々の研究テーマについて発表します。したがって,その多くは最先端の臨床および基礎研究の発表ということになり,トロント総合病院のレベルの高さを知らされます。
 そのほかおもしろいのは,physical diagnosis roundと言って,患者のベッドサイドでの理学所見の取り方の教育があります。これは,レジデント終了時に実際の患者を診て診断するという試験が筆記試験以外にもありますので,そのことを念頭に入れて教え込んでいるものです。

Clinical Epidemiology

 最近ではclinical epidemiology,evidence-based medicineやmedical decision analysisなどが日本でも関心を集めています。このトロント総合病院は,北米の中でもその教育と研究では中心的な施設の1つでもあります。General Medicineはこれらの学問を主に専門とし,レジデント教育と臨床研究をすすめています。例えば,レジデント教育の抄読会では,文献(特にNew England Journal of Medicineの文献が多い)を読むときには,McMaster大学が開発した「批判的な文献の読み方」(Users' Guides to the Medical Liter ature, JAMA Nov.3 1993, Vol270,No17より連載)に沿って評価していきます。そして,実際に自分の患者にその文献の結果を採用できるかどうかを常に考えて検討していきます。特にPGY2以上のレジデントを対象に教育し,またGeneral Medicineを専門とするPGY4以上のレジデントは臨床研究の指導も受けています。私はこれまで日本にいたときには,文献内容をただ読んで理解するだけでしたので,この「批判的な文献の読み方」の経験を通してぱっと視界が明るくなったほどの感銘を受けました。おそらく日本でもGeneral Medicineの必要性が今後はさらに叫ばれるものと確信しています。また,これは単にGeneral Medicineに限らず,他の専門科においても十分に役立つものと思われます。
 私は今,General Medicineの中の1つの専門分野としてのclinical epidemiologyに非常に興味を持っています。そして,今年の7月からはハーバード大学大学院のマスターコースで1年間勉強することになりました。特にclinical epidemiologyを基礎にして,いかに臨床研究をしていくかが私の次なるテーマです。

おわりに

 臨床研修の留学では,その時々の段階で皆がそれぞれにハードな思いをしています。私ほど英語で苦労した人を他に知りませんが,この拙文が留学の夢をあたためている若い先生方の一助になれば幸いです。今回の留学にあたり,いろいろと応援してくださった佐賀医科大学総合診療部の小泉俊三教授および医局の皆さんと,京都大学総合診療部の福井次矢教授に深く感謝いたします。