第2248号 1997年7月14日


第93回日本精神神経学会総会開催

精神医学の科学的発展をめざして


 第93回日本精神神経学会総会が融道男会長(東医歯大)のもと,「精神科医療の充実と精神医学の科学的発展をめざして」をテーマにさる5月29-31日の3日間,東京都の東京国際フォーラムで開催された。
 今学会では,特別講演“The Soteriaconcept. Theoretical bases and practical 13-year-experience with a milieu-therapeutic approach of acute schizophrenia”(Luc Ciompi氏 元ベルン大学),会長講演「精神分裂病の成因をめぐって」の他,シンポジウム5題((1)「あるべき精神保健・医療・福祉システム」(2)「精神分裂病の呼称と概念をめぐってⅡ」(3)「神経症を見直す:成因論と治療をめぐって」(4)「精神疾患のComorbidity」(5)「精神科医育成の諸問題:学会認定医制をめぐって」),関連学会トピックス4題((1)日本精神病理学会,(2)日本児童青年精神医学会,(3)日本てんかん学会,(4)日本アルコール精神医学会),教育セミナー3題,ワークショップ,一般演題,さらに,新しい試みとして,ディベート「精神医学の対立点:操作診断の功罪」や3題の向精神薬に関するランチョンセミナーも企画され,多くの参加者を集めた。


ディベート「精神医学の対立点:操作診断の功罪」

 本号では活発な討議が行なわれたディベート「精神医学の対立点:操作診断の功罪」(座長=杏林大 武正建一氏,昭和大藤が丘病院 樋口輝彦氏)の内容を紹介することとする。操作診断とは,主観や直感をできる限り排除した,症状記述的で操作的な内容を持つ,客観性の高い共通の診断基準,およびその応用の明確な規定(代表的なものが,アメリカ精神医学会によるDSM-III,III-R,IVやWHOによるICD-10)に基づいてなされる,精神医学における方法論を示す。1980年にDSM-IIIが発表されて以来,それらの操作的診断基準は日本の精神医学界に多くの影響を与え,今日までに研究・臨床の場で広く用いられるようになりつつあるが,未だ,精神科臨床におけるその評価は定まっていない。
 はじめに,武正氏より「診断基準や操作診断が知識として日本の精神科医に普遍化した今こそ,ディベートとしてこのテーマを取り上げることは意味がある。DSMやICDにおける各項目の当否を議論するのではなくて,操作診断の姿勢というものがどうであるか,それを臨床場面に応用することがどうなのか,ということを中心に討論をしていきたい」と本ディベートの基調が示され,操作診断に賛成の立場(埼玉江南病院 高橋三郎氏,国立精神・神経センター 北村俊明氏)と反対の立場(東大 中安信夫氏,河合文化教育研究所 木村敏氏)からの発言および討論が行なわれた。

操作診断は 精神医学の進歩に貢献-高橋氏

 まず,賛成の立場から高橋氏が,操作診断学の導入によってもたらされた精神医学の進歩として,(1)各種精神疾患カテゴリーの整理と精神科対象疾患の広がり,(2)精神科臨床における共通語としての意味,(3)精神医学各分野の研究発表の促進の3点を強調。
 操作診断に対する批判に対しては,診断基準は「適切な臨床研修と経験を持つ人によって使用されることを想定している」のであり,研修の不十分な者がDSM-Ⅳを機械的に使用してはならない。「各診断基準は指針として用いられるが,それは臨床的判断によって生かされるものであり」,料理のレシピのような使われ方をするものではないと『DSM-IV精神疾患の診断・統計マニュアル』(以下『マニュアル』,医学書院刊)から引用。使用上の前提を示した上で,各診断基準だけを集めた『DSM-IV精神疾患の分類と診断の手引き』(MINI-D,医学書院刊)の診断基準との照合ばかりを行なっていると多くの疑問にぶつかるであろうが,その疑問点のほとんどに対する解説が『マニュアル』では詳細になされており,診断基準の他に関連する特徴および障害,検査所見,身体所見,さらに一般身体疾患,特有の文化,年齢,性別に関連する特徴,有病率,経過,家族発現様式,そして鑑別診断などのそれらすべてを考慮の上で活用すれば,操作診断,操作基準に対する批判は,ほぼありえないのではないかと展開した。

DSMは操作的疾患分類学に 過ぎない-中安氏

 続いて,中安氏が反対の立場から「私はこれまで操作的診断基準,ことにDSM-III~IVを批判してきたが,それは操作的診断そのものを否定したのではなく,現行におけるそのあり方を批判したものである」と前置きして発言。
 操作的診断基準を作成することはその精神においてはそれを擁護するものであり,また,DSMにおいてもそれが研究用に用いられる場合には異議を差し挟むものではないとの立場を明らかにした上で,臨床診断とは「1例に対する前向的な仮説設定」であるが,DSMにおいては,「各々の疾患の完成形態のみに特徴的な症状を取り上げ,それも診断に必要な症状項目数,さらにそれらの持続期間まで硬直的に定めていることに示されるように,遡行的事実認定を旨とする疾患概念の各々をまとめた操作的疾患分類学でしかない」と指摘。「正当にも診断にあたって参照すべき準拠枠を示したに過ぎないICDに対して,DSMは操作的疾患分類のためでしかない疾患分類学的基準の厳密な適用を実際の精神科臨床に求め,かつ,思想を異にする臨床診断基準であると喧伝している」と批判。
 さらに,DSMには,本来の臨床診断基準に必要とされる最低限の条件(状態像診断及び初期診断の項目,疑診の採用)を欠いていることから考えても,DSMを臨床診断基準と呼ぶには相応しくないと付け加えた。

従来診断では 社会的責任果たせぬ-北村氏

 次に賛成の立場から発言した北村氏は,操作診断を用いない従来診断(病名診断)における医師間の診断一致率の低さを取り上げ,それが「日本で用いられている診断カテゴリーが必ずしも一致していないこと,その概念の範囲が医師によって大きく異なることに起因している」と指摘した。 さらに従来診断の問題点として「勘と経験と権威」を重視し,診断は一致しなくてもよいという雰囲気があるとし,従来診断における医師間の一致率が低いことを許容してきた日本の精神科医療は,(1)告知同意を得る際に患者・家族に納得のいく情報を提供できない,(2)強制入院ではその手続きと内容は明瞭かつ公平でなければならないにもかかわらず,その基準が漠然としていて人権侵害になりかねない,(3)相互の診断システムが異なることにより,専門家相互の情報交換の支障をきたし,学問的研究,チーム医療を妨げている,という3点から社会的責任を放棄していると批判した。
 操作診断を補填する手段としての構造化面接については,診断に必要な情報を患者本人や家族から高い精度で抽出する方法が構造化面接であり,記載されている項目は必要最小限のものにすぎず,症例に応じて項目を加えることを妨げるものではないので「硬直化」しているとの批判はあたらず,むしろ,面接技術,使用方法上の問題であると指摘した。
 また,病名診断はあくまで,診断的フォーミュレーション(個別の患者の予後判定・治療方針に関して重要であることをまとめたもの)の一部を構成するものであり,操作診断に関する多くの批判はこの両者の混同から生じているとした。

主観性の排除は 精神科治療の自殺行為-木村氏

 最後に反対の立場から木村氏が発言。基礎研究者に与えられる症例群の診断名が既に確定されたものであるのに対して,治療者にとっての診断は,常に現在進行中で未来に向けて開かれたアクチュアルな出来事であるということを,主に分裂病を例にとって示した上で,操作診断は定義上,そのような事態を扱うことができないと指摘。操作診断を基礎づけている客観性は,不特定多数の研究者に開かれた公共的事実(リアリティ)にのみ関わっており,事実の確認は常に外部的,事後的にしかなし得ないとした。
 一方,治療者-患者関係,そしてそれを導く治療者側での治療的認識は,常に現在進行中なアクチュアルな間主観性の場で内部観測的に営まれると述べ,未来へ向けての治療の指針を与える臨床診断が治療者自身の主体性を「試薬」として患者の主体性の動向を内部観測的に探ることによってのみ可能だとするならば,科学の名の下にそこから,主体性なり主観性を排除することは精神科治療の自殺行為であるとした。

DSM-III~IVに絞って討議

 これら4氏による発言を受けて,DSM-III,III-R,IVに議論を限定する形で,「操作的診断基準は日常臨床に役立つものなのかどうか」ということを中心に討議が行なわれた。フロアからの発言も含めて,「病名診断すなわち治療方針ではない」,「従来診断による限り,医師間で診断が一致せず,将来患者さんの役に立つ情報は蓄積できない」,「保険診療という仕組みがなければ,簡単に診断名はつけないのではないか。診断名,概念の共通化にそれほどの意味はない」,「操作診断も従来診断も両立すべきものではないか」,「世の中に名医ばかりいるのならよいが,精神医学全体のレベルを上げるために操作診断は有効」「診断分類ばかりにたよる臨床教育の場に不安を覚える」等々の意見が交換されたが,賛成派,反対派ともに立場を譲るものではなかった。
 今回のディベートは敢えて賛成派と反対派で議論を戦わすという形をとったため,その対立点が明確になり,参加者は操作診断についての認識を深め,また,考えさせられるものとなった。