第2245号 1997年6月23日


連載 市場原理に揺れるアメリカ医療(12)

メディケア(1)

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


 「アメリカの老人が現代医学の奇跡的な力を享受できないということはもう起こり得ない。老人たちが一生かけてこつこつとためてきた貯えが,病気ゆえに失われることもなくなり,老人たちが,人生の残された年月を人間としての威厳を保ちながら過ごすことが可能となる。病気の親を助けるという道徳的義務を果たすために,若い人々が自分自身の収入や望みを犠牲にしなければならないことも,これでなくなるであろう」
 1965年7月,アメリカにおける公的老人医療保険制度であるメディケア設立法に署名したときのジョンソン大統領の言葉である。
 老人医療保険をどのように整備するのか,言い換えれば老人医療のコストを誰がどのように負担するかは日本においても大きな問題となっているが,今回はアメリカにおける老人医療保険制度(メディケア)の特徴と,この制度をめぐる問題を紹介する。

市場原理からの排除者のために

 メディケアは65歳以上の老人,あるいは年齢に関わりなく身体障害者の医療費をカバーする医療保険制度であり,連邦政府がこれを管轄する。この制度が設立される前,60年代の前半においては,アメリカ老人の半分が無保険者だった。年齢や既存疾患等の理由で保険加入を断られる,あるいは若い人々に比べてはるかに割高の保険料が払えない,というのが理由であった。
 医療保険制度を市場原理に委ねれば,老人,身障者など,医療の必要性が高く,かつ財力の乏しい人ほど医療保険を持つことができなくなるのである。メディケアは,市場原理から排除されざるを得ない人々のために設立された医療保険制度といってよいだろう。
 1995年の統計によるとメディケアの加入者は老人3300万人,身障者400万人に上っている。メディケアはパートA(主に入院医療費)とパートB(外来医療費)の2つからなり,それぞれ財源が異なる。パートAの財源はメディケアだけに使途が限定された税金であり,就労者の給与から2.9%(労使折半)が天引きされる。パートBの財源は受益者が一部を負担する形をとり,加入者が1/4を負担し,3/4を政府が負担する。なお,パートBは任意加入であり,保険料は1人当たり月46ドル(1995年度),加入資格を持つ老人の98%,身障者の88%が加入している。
 パートAがカバーするのは60日までの入院医療費(1回の入院につき自己負担716ドルで,61日以降は自己負担は1日当たり179ドルと跳ね上がる),精神科入院費(生涯で190日まで),100日までのリハビリ入院費(初めの20日は自己負担なし,21日目から1日当たり90ドルの自己負担),訪問看護・リハビリなど医師が処方した在宅医療(自己負担なし),ホスピスの費用などである。パートBは簡単にいうと外来医療費の80%をカバーするが,外来処方薬の費用はカバーされていない。
 日本と比べ手厚いと思うか酷薄と思うかは意見が分かれるところであろうが,コストのかさむ入院を減らし,より廉価な在宅加療を奨励するというねらいは明白である。メディケアだけでは不足な老人は,通称「メディギャップ」といわれる医療保険を自前で購入することになるが,メディケアの自己負担分,あるいはメディギャップの保険料など,老人1人当たりが支出する年間医療費は2519ドル(平均年収の21%)になっている。

財政の立て直しが課題に

 メディケアが創設されて30年余になるが,メディケア支出は年平均10%以上の上昇を続け,1967年には40億ドル(国民総生産の0.5%)に過ぎなかったものが,95年には2400億ドル(同2.5%)にまでなっている。パートAは2002年には破産するといわれており,メディケア財政をどう立て直すかはアメリカの最重要政治課題の1つとなっている。
 メディケアの支出を削減するために,管理医療(マネージド・ケア)の手法を取り入れることが試みられ,1994年段階でメディケア加入者の7%に当たる230万人が,メディケアと提携したHMO(健康維持機構)に加入している。
 HMOは保険会社が管轄し,加入者に対してメディケアが保証するすべてのサービスを提供し,連邦政府からは1人当たりのメディケア平均支出額の95%の支払いを受け取る。政府側が本来の価格の95%で保険会社に老人健保を「丸投げ」していると考えてもらえばよい。
 HMO側は加入者を増やすために,定期健診など本来のメディケアではカバーしないサービスも付加している。連邦政府は1人当たりの支出を5%節約し,被保険者はより広範なサービスを受け,保険会社も利益を上げる,という三方一両得の目算であったのであるが,実際にはHMOへの「丸投げ」はメディケア財政の赤字を拡大する結果となった。

この項続く