第2242号 1997年6月2日


連載 市場原理に揺れるアメリカ医療

【番外編】 ダナ・ファーバー事件(3)

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学医学部講師


第2237号よりつづく)

(3)氷山の一角?

 誤処方事件の最終報告と改善案が発表された後,ダナ・ファーバー癌研究所(以下ダナ・ファーバー)看護部は今回の不幸な事件から何を教訓にすべきかというテーマでシンポジウムを開催した。

普通の病院だったら……
 シンポジウムのおわりに,他施設から出席した複数の看護婦が「ダナ・ファーバーの勇気に敬服する。私の勤める病院でも類似の事件があったが,隠蔽されてしまった」と発言した。
 全米でも屈指の医療機関で起こった事件であり,しかも誤処方で亡くなった患者が医療健康問題を担当する高名な記者であったために,この事件は早くから全米メディアの注目を集めることとなったが,実は類似の事件はもっと多数起きているようなのである。「ダナ・ファーバーだから誤処方があったことが発見された上に,その後注意深い調査が行なわれたが,普通の病院だったら誤処方の事実さえ気づかれなかったのではないか?」コロラド大学癌専門医ロイ・ジョーンズのコメントである。
 実際に,抗癌剤の過剰投与,あるいは誤用による医療過誤事件の頻度は高く,1990年以来法廷に持ち込まれた抗癌剤の誤用事件は,マサチューセッツ州東部に限ってみても少なくとも10件に上る(ボストン・グローブ紙)。
 特に多いのはシスプラチンの過剰投与で,10件のうちの4件を占め,いずれも,1コースの全量を1日量と勘違いしたというものである。過剰投与の直後から患者は例外なく聴力障害(シスプラチンに特有の副作用)を起こしているのだが,過剰投与が早期に気づかれることはなく,3件で患者が死亡している。相次ぐ過剰投与事件に対し,シスプラチンの製造元であるブリストル・マイヤーズ社は,バイアルの蓋の部分に「1コースの投与量が100mg/m2を越えるときは主治医に確認してください」と記したシールを貼付することにした。

情報の開示が防止につながる
 過剰投与事件よりは稀であるが,ビンクリスチンを誤って髄腔内に投与するという事件も,1968年以来多数報告されている。この場合,ビンクリスチンが本来強力な神経毒であるために,急速に進行する脊髄障害,やがては昏睡と,誤投与を受けた患者は極めて悲惨な経過をたどることとなる。
 米食品衛生局は95年の夏に,ビンクリスチンのバイアルに「髄腔内に投与された場合は致死的。静脈投与のみ」と記したシールを添付することを製造元に義務づけ,実際に調剤する薬剤師はこのシールをビンクリスチンの入った注射器に貼り付けなければならないという改善策を講じた。しかし,初めの報告から30年近く経ってからの防止策の実施に,対応の遅さが批判されている。薬剤事故の防止策を探求するための非営利研究機関である薬剤投与安全性研究所のマイケル・コーヘン所長は「私どもはこういった対応の遅さを『墓石主義』と呼んでいます。誰かが死ぬまで誰も何もしようとはしないのです」という。
 誤処方による事故は決して稀ではない。ニューヨーク州では処方の誤りによる事故を州に報告することを義務づけているが,そのデータから類推すると全米で毎日少なくとも1人の患者が誤処方によって死亡しているといわれている。間違いが起こることは避け得ないとしても,肝心なのは,同じ間違いを決して繰り返してはならないということである。医療事故の情報を開示することは,他施設における類似事故を防止し得るだけに大きな意味を持つのである。

(4)余波

 「私の父の世代にとっては,大恐慌と第2次大戦に遭遇したことが人生の転換点となる大事件だったのですが,今回の経験は,医師としての私の心に消しようのない大きな影響を与えたという意味では,まさに父にとっての大恐慌や戦争に匹敵する経験でした」。ダナ・ファーバーの新臨床部長であるスティーブン・サランは最終報告の後に語っている。

医療従事者の心に大きな変化が
 ダナ・ファーバーの全組織をあげて,真摯に不幸な事件を反省し,再発防止に向けての改革に取り組んできたのだが,その過程の間に,職員の間に医療従事者としての新たな自覚が醸成された。医療施設としての体制改革,人事の一新(所長,臨床部長,薬局長はすべて辞任し,空席だった看護部長も新たに任命された)にとどまらず,医療従事者の心の中に大きな変化が生じたのである。
 「過剰投与について触れられない日は1日としてありません。薬局員すべての生活が変わったといっても言い過ぎではありません」(新薬局長:シルビア・バートルズ)
 「誰もが自分の問題として受けとめたので,このことを忘れることなどできません。自分にも起こり得たと思うと,今までとは同じ気持ちで患者のケアには当たれません」(入院看護コーディネーター:カレン・ポーランド)
 「改革の議論の過程で気持ちを傷つけられて休職した看護婦が2人いますが,2人はもう職場には戻ってこないような気がします」(新看護部長:スーザン・グラント)
 「最もつらかったのは患者さんたちでした。癌というやっかいな病気を抱え,化学療法を受けている間にも,過剰投与事件のニュースを聞き続けなければならなかったのですから。事件を報道するなといっているのではありません。一番つらかったのは患者さんたちだったと言っているのです」(カレン・ポーランド)

ボストン・グローブ紙を提訴
 11月,アメリカ癌患者同盟が,ダナ・ファーバー過剰投与事件の一連の報道を担当したボストン・グローブ紙のリチャード・ノックス記者に出版賞を授与することを発表した。同同盟が書籍にではなく報道に賞を与えるのは初めてであった。
 年が変わり,96年2月,ダナ・ファーバーの医師ロイス・アヤシュは,ボストン・グローブ紙およびリチャード・ノックス記者に対し訴訟を起こした。アヤシュ医師は過剰投与の処方には関わっていなかったのに,「誤った処方箋に確認のサインをした」と誤った報道をされたために,医師としての経歴に傷がついたというのである。
 医療ミスを追及したジャーナリストがその報道ミスを訴えられた形である。彼女はまた自分が勤めるダナ・ファーバーと前臨床部長のデビッド・リビングストンをも訴えた。患者の死に責任があるとして彼女の名前だけがマスコミに取り上げられたのは,彼女が女性であるがためにスケープゴートにされたというのである(彼女は治験チームのメンバーではあったが,亡くなったリーマン記者の主治医を勤めたのは死亡直前の3日間だけで,誤処方そのものには関与していなかった)。
 女性科学者がアカデミズムの世界でいかに不平等な処遇を受けているかということは,ベツィー・リーマンが生前熱心に追及したテーマの1つであった。

エピローグ

 今年1月,筆者はダナ・ファーバーの新臨床部長サラン医師と面談する機会を得た。サラン医師は,事件が明るみに出た後に「お前しかいない」とむりやり臨床部長に引っ張り出されたのであるが,全病院をあげて事故再発防止策に取り組んだ苦労を語ってくれた。事件の前までは医師総会は年に1回形式的に集まるだけのものであったが,この事件の後,改革案を討議するために1年間にわたって毎週白熱した医師総会が開かれたという。
 ダナ・ファーバーの改革への取り組みは,いまやアメリカでは医療事故後の病院対応のモデルケースとなっている。サラン医師は,「専門家でもないのに,『医療事故が起きた後の対応』をテーマにした講演を頻繁に頼まれる」と苦笑する。
 リーマン記者の死から2年後の1996年12月,ジャーナル・オブ・オンコロジー誌にエール大学癌センターのデビッド・フィッシャー博士がダナ・ファーバー事件の影響に関する論文を発表した。この事件がマスコミで報じられたことがきっかけとなって,全米の7割以上の癌専門医療施設で,抗癌剤の誤投与を防ぐためのプログラムの導入あるいは見直しが行なわれたという。リーマン記者の不幸な死が,結果として多くの患者の命を救うことになったのは疑いを入れない。

(この項おわり)