医学界新聞

レポート 市場原理に揺れるアメリカ医療

看護婦冬の時代

李 啓充 Kaechoong Lee
マサチューセッツ総合病院内分泌部門,ハーバード大学講師


 市場原理に揺れるアメリカ医療にあって,看護婦をめぐる状況も非常に厳しくなっている。つい数年前までは,深刻な看護婦不足の影響もあり看護婦の立場は非常に強かったのだが,なぜ看護婦をめぐる状況が短期間の間に激変したのであろうか。ブリガム・ウィメンズ病院を例にとり,看護婦をめぐる状況の厳しさを見てみよう。

正規看護婦の定員減らし

 ブリガム・ウィメンズ病院(770床)では1900人の看護婦が働いているが,看護婦組合と病院との1年以上に及ぶ契約交渉が暗礁に乗り上げ,組合側がストライキの方針を打ち出したのは昨年9月のことであった。賃上げももちろん争点の1つだったが,無資格看護介助者を増員する形での正規看護婦の定員減らしが大きな争点となった。
 皮肉なことであるが,そもそも病院側が無資格看護介助者を患者ケアに導入するようになったのは,看護婦不足の時代に求人難を解消するためであった。その後,新しい保険制度であるマネージド・ケアの興隆に伴い医療コスト節減の圧力が強まると,正規看護婦の数を減らすことが,魅力的なコスト削減の方法となったのである。
 「正規看護婦の定員減らしは患者ケアの質の低下につながる」との看護婦組合の主張には説得力があった。臨時雇いの看護婦のミスにより患者を死なせるという事件が,実際にブリガム・ウィメンズ病院で起きていたからである。一昨年12月,火災による火傷患者が5人運びこまれるなどしてブリガム・ウィメンズ病院のICUは一時的に人員を増やす必要に迫られた。病院と契約関係にある看護婦派遣会社から臨時雇いの看護婦が送られてきたが,この看護婦は自動点滴装置に不慣れであったために設定を誤り,その結果,塩化カリウムが急速静注され67歳の患者が亡くなった。この看護婦はICUでの勤務経験がほとんどなかったことが後に判明する。

アンケートにみる看護婦の苦悩

 結局ブリガム・ウィメンズ病院看護婦組合のストライキは直前で回避されたが,昨年11月にAmerican Journal of Nursing(AJN)誌に発表されたアンケート調査の結果は,状況の厳しさに対する看護婦側の実感を如実に物語っている。
 これは同年のAJN誌3月号に載った質問票に対して7560人の看護婦が自発的に回答を寄せたものであるが,多くの看護婦が,定員減などによる負担増に伴い患者に対するケアの質が低下していることを憂慮している。具体的には,半数の看護婦が「勤務先の医療機関でフルタイムの看護婦の定員が減らされた」と回答し,40%の看護婦が「定員減らしの穴埋めに無資格看護介助者が雇われた」と回答している。
 定員減らしを経験した看護婦の比率はマサチューセッツ州など東部海岸北部諸州で高く,無資格者による補充を経験した看護婦の比率はカリフォルニア州で高かったが,これら2地域では,マネージド・ケアに加入する患者の比率が,アメリカの他地域よりも高いのである。さらに,半数以上の看護婦が「患者のケアの質が実際に低下している」と感じているのだが,そういった危惧を抱く看護婦の比率は,これら2地域で特に高かった。
 とりわけショッキングなのは,自分の家族に医療ケアが必要になったときに「自分の勤務先には来させない」と回答した看護婦が40%近くもいたことである。また,看護婦を辞めることを考えている者の比率も増え,特に定員削減の影響が著しいマサチューセッツ州では,辞めることを考えている看護婦が,1994年の2%から,96年には10%まで上昇した。
 このアンケート調査に寄せられた看護婦たちの生の声をいくつか紹介しよう。
「20万ドルも年棒を取ってメルセデスを乗り回しているお偉方連中は患者のことなどこれっぽっちも考えていないのだから,いずれ医療ケアの制度そのものが崩壊すると思います」(26歳腫瘍科看護婦,ミネソタ州)
「長年看護婦をやってきましたが,今ほど患者の安全性が顧みられなかったことはありません」(48歳ICU婦長,バージニア州)
「私は看護婦がしたくてこの職に就きましたが,もう看護というものは存在しません。患者のケアよりも利益が最優先のビジネスに変質してしまったからです。もうすぐ看護婦を辞めるけれど,決して後悔しないでしょう」(42歳病棟看護婦,アラスカ州)
「もうすぐ定年だと思うとうれしい。1959年から一生懸命病院勤めを続けてきたけれど,商売人が病院を経営するのを見るほどつらいことはなかった」(57歳病棟看護婦,イリノイ州)
「(みんな看護婦を辞めたがっているから)5年から8年の間に本当の看護婦不足の時代がやってくると思う」(27歳病棟看護婦,ノースカロライナ州)

[李啓充氏プロフィル]
1980年京都大学医学部卒業。87年同大大学院医学研究科修了。90年よりアメリカのマサチューセッツ総合病院にて研究に従事(93年よりハーバード大学医学部講師)
連絡先:Kaechoong Lee, Endcrine Unit,MGH, Fruit Street, Boston MA02114,USA.
Eメールkaelee@usa1.com

 「週刊医学界新聞」通常号では,昨年8月より李啓充氏の「市場原理に揺れるアメリカ医療」を好評連載中です。ぜひお読み下さい。また,今回のレポートに対する感想をお待ちしています。