第2207号 1996年9月16日


連載
脳腫瘍
発生要因から遺伝子治療まで(5)

最新の診断・診療機器の現状と展望(2)

小山博史(国立がんセンター中央病院)


バーチャルリアリティの臨床応用

はじめに

 実臨床の基本は,古来ヒポクラテスの時代から患者さんの話をよく聞き,よく診察することであることに変わりない。しかし,この10年間の科学技術の急速な進歩は,CTやMRI等の医療画像診断機器や詳細な遺伝解析検査機器等を生み出し,医療レベルの飛躍的な向上をもたらしてきた。脳神経外科領域は,様々な医学分野の中でもこのような科学技術の進歩の恩恵を最も大きく受けた分野であると思う。特にMRIの発展が,中枢神経系の画像診断に革命的な進歩をもたらしたことは誰もが疑いのないところであろう。
 これらの医療技術をさらに発展させ,次世代を担うべく注目されているのがバーチャルリアリティ(VR)である。
 このVR技術とは,コンピュータで仮想世界を作成し,あたかも自分がその仮想世界の中に存在しているような感覚を体験できる先端技術である。この仮想世界を体験するためにヘッドマウントディスプレイ(HMD)と呼ばれるものを頭に被り,データグローブという手袋を装着して目的に応じた操作を行なう。
 この技術は21世紀の社会生活に最も多大な恩恵を及ぼす技術の1つと言われている。今回は,この最先端技術の医療への応用と将来の指針について海外の事例も交えながら紹介する。

VR技術の医療へのインパクト

医学教育への利用

 「臨床医学は経験の学問である」とよく言われる。確かに「体」で覚えないといけないことばかりである。しかし,近年の膨大な医学知識を1個人で体験し学習するには制約がある。専門分化という手段で医療側はこの問題を解決する方向にあるが,関連科あるいは境界領域に複数科の受診が必要となったり,なかなか担当科が決まらないとか重複診療のため医療費も嵩む結果ともなっている。
 もう少し効率的な医学教育はないものだろうか? そのような意味から,今まで経験でしか学習できなかったものを体験できる手段(「経験の増幅」あるいは「知性の増幅」とも言われている)としてVR技術が注目されている。医学の初期教育だけではなく,臨床での生涯教育の一環として,稀にしか経験することがないような疾患の治療を行なう場合には,データベースから必要な3次元画像情報を呼び出し,仮想手術を行なった上で実手術へ取り組むことも必要になるであろう。
 手術以外の利用に関しても様々な医療の分野での応用が考えられる。例えば,仮想外来室の中に仮想患者を作ること。体験者はこの仮想世界を基にして,基本的な診察法や検査手技に関しての訓練を行なうことが可能となる。
 神経学的検査のように力のフィードバックが必要なものに関しては,ロボット工学を用いたシステムが考えられる。問診を中心とした診断システムは,今後,人工知能(類似症例検索やニューロ解析・ルールベース推論等)を用いたシステムと連動させた診断シミュレーションを行なうことになるであろう。
 救急医療のシミュレーションに関しても,救急時の患者の意識状態・バイタルサイン・理学的所見等のシミュレーションを行なうことで,より効果的な救急診断処置の訓練が可能となることも考えられる。
 臨床初期研修としてのベッドサイドでの教育支援システムとして仮想病室を作ることも考えられる。看護教育等で必要な病室内の観察や患者の観察の方法,仮想空間での患者の看護診断の方法,尿や血液等の検査検体の扱い方等を事前に訓練するのに利用できる。また,いろいろな看護ケアや対処の方法についてもそれに応じた場面を構築し,問題点のピックアップと対策をシミュレーションすることができるようになるであろう。

仮想人体・仮想臓器の利用

●仮想人体解剖における医学教育支援
 医学を学ぶ上で人体解剖は必須のことである。この基礎医学教育に関しても,VR技術は有効であると考えられる。仮想人体・仮想臓器を実際の解剖の前に何度かみることにより,教科書の2次元的な把握からさらに3次元的臓器の位置関係を把握できる。これらの学習に関する評価でも,学生と教師が同じ仮想空間の中で仮想臓器を用いながら様々な討議ができる環境を構築できる。
 米国のNational Library of Medicineでは,21世紀の医学利用をめざし,The Visible Human Projectという,人体の数ミリスライスの横断面の画像写真を撮り,これをデジタル化,コンピュータ処理を加えて,人体のおおもとになる基礎データベースを作るプロジェクトが進んでいる。
 また,現在すでに基礎研究として分子や原子の可視化や受容体に関する研究や薬剤の分子設計等も行なわれている。人体生理のシミュレーションとして,人間の血液や筋肉の動きなどの循環系や神経系等のシミュレーションを行なうことや,ホルモン等による生化学的刺激により,人体がどのように変化をするかなど,3次元的に可視化することも今後研究が進むであろう。
 さらに,仮想世界に仮想の細胞を作ることにより,細胞の中の反応を可視化することができるようになったり,遺伝子・分子に関するシミュレーションが可能となる。
●検査シミュレーション
 仮想検査空間の構築による,検査室のデザインや機器の配置のシミュレーションがすでに行なわれている。これにより,仮想検査室の中で内視鏡や血管造影等について,技術的な基礎研修を行なうことが可能となる。
 また,現場で行なってきた各検査をシミュレーションすることによって,検査の基本的な手技手順や注意点について仮想空間の中で自己学習することも可能となるだろう。ただ,検査手技のシミュレーションには力のフィードバックが必要である。
●手術シミュレーション
 米国では,すでに管腔鏡手術が盛んであることとminimal invasive surgeryという患者に対し手術侵襲をできる限り少なくするという考えからコンピュータを用いた支援システムが盛んに研究されている。
 VR仮想空間を用いた胆嚢摘出術のシステムは,すでに製品化されており医学教育用として試験的に用いられつつある。その他,形成外科,整形外科,脳神経外科等の手術支援システムが報告されている。
 特に,ハーバード大学の脳神経外科の手術支援システムは,実際の術野とコンピュータで作成した患者さんの脳腫瘍をオーバーラップしてみることができ(AR: Augumented Reality),境界の不鮮明な腫瘍摘出術を行なう上で臨床的に有用なシステムとなっている。また,患者への手術前の説明の時にも3次元立体画像を用いられつつある。今後具体的に,この技術を用いて何がよくなったのかが報告されるであろう。

VRコンサルテーションへの利用

 双方向通信による仮想空間を用いた遠隔地医療のための研修医医学教育コンサルテーションシステムや生涯教育支援システムの構築も考えられる。
 米国では,Telepresence and Telemedicineの分野のアプリケーションの1つにVRが重要視されている。新しい形のコミュニケーションの手段として,僻地の研修医教育や生涯教育への利用が研究され始めている。
 この方式では,研修医は診断が困難な症例にあたった場合,患者の以前の診療画像を画像データベースから端末を用いて検索し,数年前のレントゲン画像や病理組織画像を確認する。この時,VR技術を用いた仮想空間で3次元画像をみながら現病変と比較することも考えられる。
 さらに診断が難しい場合,Teleconsultation systemを用いて,専門医との症例検討を3次元の仮想空間の中で討議することも可能である。また,患者に実際の病変の状態や悪性化の確率や確定診断,治療法などを説明するための仮想空間の研究も行なわれている。
 このようなシステムは,臨場感テレビ会議システム(ATR研究所)とも呼ばれているが,この分野では日本のほうが,一般的には技術が進んでいる。なお,このような技術要素を医療分野へ具体化するための研究も,国立がんセンターでは開始する予定である。

がん精神医学・緩和医療への利用

 緩和医療やがん精神医学療法への応用として,国立がんセンターでは,HMDと8ミリビデオデッキを用いた,がん患者支援用システムを試験的に作る研究を今春から開始している。このシステムは,現在ビデオ画像中心に用いているが,音響や個室での利用だけでなく,歩行が不可能な患者さんにも利用いただいている。将来は,超小型のパソコンに高速画像処理ボードを組み合わせて,現在開発中のVRML(Virtual Reality Modeling Language)で構築されるアプリケーションを利用していただくことを考えている。
 国立小児病院でも,長期入院小児患者へのアメニティの改善法としてVR技術の利用が行なわれている。もともと現実感自体が心理的要因と深いつながりがあるだけに,この分野への応用は非常に興味深い。

リハビリテーションへの利用

 リハビリテーション医学へのVR技術の研究応用も期待されている。仮想の世界とリハビリ機器を組み合わせたシステムや閉鎖神経症への利用,仮想箱庭療法への利用は有名である。
 またこの他にも,新しい人間機能計測・診断機器としての研究も行なわれている。

国立がんセンターのMed VR Projects

 平成5年度の補正予算で,がん診療総合支援システム事業が国立がんセンターで始まり,この中のプロジェクトの1つにがん医療へのVR技術の応用・研究・開発プロジェクト(MedVR Projects)が他に先駆けて開始された。
 各種がんに関するVR用の形状データをデータベース化できる基盤システムの構築と手術シミュレーションのプロトタイプの構築が目的である。手術の説明や,傷口を小さくして侵襲の少ない手術が行なえるような仮想空間の構築を,初期開発重点目標に進めている。
 さらにがんに関する医学情報を,わかりやすく理解してもらうために仮想人体の構築にも目標をおいた。
 現在,このプロジェクトの研究課題として,(1)surgical simulation support system,(2)psychooncological therapy with VR project,(3)medical education supportproject,(4)medical image diagnosis sup port project,(5)informed consent support project,(6)medical VRML projectの6つを中心に研究を行なっている。特に(1)に関しては,脳腫瘍の手術シミュレーションを中心に現在まで約50例の様々な腫瘍の形状データを作成し,手術シミュレーションとしての実診療に利用できるシステムの研究を実施している(図1)。
 この手術シミュレーションに関するプロトタイプアプリケーションの構築に関しては,定位脳手術用のアプリケーションを構築したほうがよいのではないかという案もあった。しかし,定位脳手術システムとVRシステムをつなぐ機器の接続等ハードウエアの開発が必要と想定されたために取り止めとなった。そこで改めて,将来を睨んだ基盤整備と初期手術教育システムのプロトタイプ作りに主眼をおくこととなった(当時は現在のようないい力覚システムが存在しなかった)。現在は,3次元手術実撮影画像の評価とともに力覚システムの導入を検討中である(図2)。
 国立がんセンター中央病院へ臨床研修で訪れた学生に対しても,本システムの体験を行なってもらうようにしており,次期システム開発の要件を具体化している。
 また,開発当時「臓器ビュアー」と名づけ,現在“VRがん情報シアター”と呼んでいる仮想世界構築の研究も行なっている。“がん”に関する情報を仮想世界を用いることにより,いかに有効に表現できるかについての実験システムとして開発範囲を限定し検討を重ねている。
 つまり,文字や2次元画像では表現できない臓器や人体の立体像を用いることにより,いかにわかりやすく“がん”に関する情報を体験者に伝えることができるかについて,仮想世界のデザインをVRシステムを用いて研究している。
 現在までに,医療用VRシステムを構築してきて思うのは,医療用VRの統合システムを考える上で入力画像,処理画像,出力画像の規格をできるだけ標準化しておくことが重要ということである。
 現在,医療画像フォーマットとしてDICOM3やIS&C等の規格があるが,現システムでは,これらの画像からスーパーコンピュータ等を用いて画像処理できる環境を構築している。VR医療システムを今後開発,実用化ししていく上でも,医療用3次元画像フォーマット(医療専用のVRML:medVRML)の標準化や医療用ブラウザーの開発,ヘリカルCTやMRI等の画像機器からの自動的な画像取得は必須のものになるだろう。

まとめ

 いろいろな情報のデジタル化が進むと,その利用に関する方法論も当然今まで不可能であったことを可能としてくる。医療におけるリスク管理が,今後臨床上極めて重要な分野として強調されるようになることを考えると,20年ほど前から危機管理に利用されているフライトシミュレーションのようなシステムが,今後医療の中にもいろいろな形で登場してくるであろう。
 現在米国を中心に無侵襲・低侵襲手技や低侵襲手術,検査の目的で,中心静脈穿刺や心臓カテーテル,内視鏡のシミュレーション等のシステムが積極的に予算がつけられ研究・開発されている。典型的な症例から稀な症例,実際の看護手技などをバーチャルリアリティ技術を用いて仮想空間内に作り出し,シミュレーションを行ない,リスクを減少させることが今後実用化される時代になると考えられる。
 国立がんセンターでは,がん医療に対する総合的な支援システムとしてVR技術の医療応用研究を積極的に進めている。このような研究を通じて,この分野に関心を持つ研究者が増加し,今後実システムが多くの医療分野で開発され,医療や福祉のレベルが向上されていくことに,多少でも貢献できることを願っている。