プロローグ——ものがたられる「いのち」
命を救うことと、患者さんを救うこと。
この二つが同じことなのだと思って疑わなかった時期が、私にはありました。
医師になって救急医療の現場も経験して、それなりに一人前になったと感じていた頃です。
しかし、さらに経験を積むにつれて、命を救っても患者さんが救われないことがあり、患者さんを救っても命が救えないこともあることに、何となく気づいてきました。
「命」を救うことには限界があります。誰でも百パーセント、その「命」には終わりがやってくるのですから当然のことです。そのときに、生命体としての「命」とは別に、一人の人間の人生として、ものがたられる「いのち」があることを、今は、ぜひ知ってほしいと思います。
そして、そのような「いのち」に医療はどう関わっていけばいいのか。それぞれの背景、事情から悩んでいる方々に、ぜひ本書を手に取って、読んでいただきたいと思います。
本書は、私が失敗と挫折を繰り返してたどり着いたことの記録です。この物語から、命といのちの二項対立ではない新しい医療、その中で何を思い、何ができるか——皆さんにも、それまでと違う、新しい自分像がありえることを発見していただけたらうれしいです。
「命」は自分のものであるけれど、自分一人だけの「いのち」ではないこと。
人は関係性の中で生きているのです。単なる生命体として何者からも独立しているものではありません。
終末期医療。在宅医療。全人的医療。そんな言葉で表現されている種々の現場では、この「ものがたられるいのち」が主役になります。そこに関わる私たち医療者の態度、姿勢が問われてくるのです。
人と人との関わり合いの中で、地域という生活の場で、いのちに対峙するすべての人にこの本を読んでほしい。そして、制度や因習といった種々の制約の中でも、理念をもってやっていけば、道はひらけるということを伝えたいと思います。
これからの超高齢社会の中で、地域で最期まで暮らしたいという方々をささえ、医療というものの原点をもう一度考える一助になれば幸いです。
内容としては、主にこの七年間(二〇〇八~二〇一五年)の制度変遷下でのことを書いており、現在の状況とは種々変わっている部分があることをまずお断りしておかなければなりません。
ただ、私や私をささえてくれた人たちの言葉は今も、いや、今だからこそ間違いなく、読者の皆さんの腑に落ちるものになったのではと信じています。