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質的研究を科学する


著:高木 廣文

  • 判型 B6変
  • 頁 144
  • 発行 2011年01月
  • 定価 2,200円 (本体2,000円+税10%)
  • ISBN978-4-260-01208-9
「質的研究は科学であり、エビデンスをもたらす」という確信を、すべての研究者に!
「質的研究は科学なのか?」「質的研究の結果はエビデンスになるのか?」――統計学のスペシャリストが現象学、構造主義科学論、ソシュールの一般言語学などを敷衍して論じる! 「質的研究とは何か、そもそも科学とは?」から、質的研究の情報提供者の数の問題、解釈の客観性、結果の一般化可能性、アブダクション(直観的帰納)の仮説まで、質的研究に取り組むすべての人が押さえておきたい哲学的基盤を明快な論理で提示する。
序 文
はじめに

 看護研究のように、人間を対象とする分野では、研究方法を「量的研究」と「質的研究」に分けることがよくある。量的研究は、医療分野での代表的な研究方法であり、例えば遺伝子解析や生化学的な動物実験、または新薬の効果を調べるための無作為化比較試験などがある。
 量的研究では、...
はじめに

 看護研究のように、人間を対象とする分野では、研究方法を「量的研究」と「質的研究」に分けることがよくある。量的研究は、医療分野での代表的な研究方法であり、例えば遺伝子解析や生化学的な動物実験、または新薬の効果を調べるための無作為化比較試験などがある。
 量的研究では、人間を対象とするような場合、多くはある現象について数値を用いてデータ化し、統計学的な方法で解析する。このため、量的研究は客観的で再現可能であり、科学的証拠(エビデンス)の水準が高いものと考えられている。当然、学術雑誌に投稿した場合に採用されやすいことから、科学研究の本流と考えられている。したがって、量的研究が科学なのか、結果が一般化可能なのかなどという議論は、普通はしないし、問題にもならない。仮にそのような議論が起きたとしても、それは特定の研究での研究計画は適切か、標本抽出法は適切か、統計解析は適切かなど、個々の研究を評価する場合に問題となるような、極めて個別性の高い場合についてだけである。
 一方、看護研究では多様な現象に関する患者や看護師の認識、価値、不安や葛藤などの心理的側面を扱う質的研究は少なくない。そもそも人間を対象とする研究においては、今後とも決してなくなることはない研究領域である。このように極めて重要な役割を担うべき質的研究ではあるが、その科学性や一般化可能性に関して、自信を持って「ある」と断言できる根拠はどこにあるのだろうか。
 質的研究に関する成書が、最近は多数出版されるようになり、なかには詳細に質的研究の再現性や妥当性の問題、もしくはこれらの用語を使用することに関する問題点など、多様な問題を議論している本もある(Flick, 1995/小田他訳, 2002)。しかしながら、残念なことに私自身を納得させてくれるような記述には出会わなかった。
 私の抱いている疑問は単純である。それは、「質的研究は科学なのか」ということと、「質的研究の結果はエビデンスになるのか」ということである。
 こういった単純な質問に対して、「科学とかエビデンスとかは量的研究者の考えることで、質的研究のパラダイムは異なるのだから問題にすべきではない」と答えるのは簡単である。しかし、これは研究者のすべき回答ではないと私は考える。パラダイムが異なるというのは、その研究者がこれまで学んだ哲学や認識論の限界による思い込みや考え違いかもしれない。少なくとも、量的研究と質的研究を単純なパラダイム相違論で片付けてしまうような回答は、看護研究を行う上での重要な信念対立を放置する結果を招くことになり、あまり優れた回答とは考えられない。もしも、現象学を学んだ質的研究者がこのような発言をしたとすれば、フッサール(Husserl, 1954/細谷・木田訳, 1995)以来の現象学を誤解していることになると私には考えられる。
 哲学上の問題としてだけではなく、科学的な研究を行う上でも、主観─客観問題や量的研究─質的研究などの信念対立の問題を解決するためには、現象学に基づく考え方(竹田, 2008)や西條による構造構成主義の考え方(西條, 2005)が極めて有用であることは、間違いないものである。さらに、構造構成主義を支える構造主義科学論(池田, 1998)、竹田現象学(竹田, 2001, 2008)、そしてソシュールの一般言語学(丸山, 1981;立川・山田, 1990)などは、質的研究の科学性を考える上で、重要な示唆に富む思想といわねばならない。
 本書は、質的研究の科学性や結果の一般化可能性などに関して、医学書院発行の『看護研究』誌の場で連載した6回分の原稿(高木, 2009a, b, d~g)に加筆修正したものである。すでに『医学界新聞』上で西條氏が「研究以前のモンダイ」として、構造構成主義の立場から科学や研究といった「当たり前」だが誤解の多い考え方について平易に解説している(西條, 2009)。また、自分でもすでに質的研究について、その科学性に関しては述べているのだが(高木, 2007)、構造構成主義の提唱者とは違った切り口で、質的研究に必要な論点を解説していきたい。
 本書はすでに述べたように、質的研究が科学であることを確認するための書であり、まず第1章で質的研究とはどんな研究なのかを、現象学的な立場から、量的研究との比較で解説する。第2章では、分かっているようで分かっていない、科学とは何なのかということを、構造主義科学論の考え方から説明する。第3章では、質的研究が主観的なテクスト解釈に基づいていることが、はたして非科学的であり、客観的解釈が必要なのかという問題を考察する。第4章では、質的研究の結果は当たり前といわれることがもつ意味の本質を考えてみる。第5章では、科学研究が持たなければならない結果の普遍化、一般化の問題を考察する。そして最後に第6章では、飛躍を伴うアイデアがなぜ思いつくのかというアブダクションの問題について考えてみる。
 これらの内容は、個々に独立したものではなく、質的研究を行う上で相互に、密接に関係してくるテーマであり、そのため記述に重複があるかもしれないが、その点に関してはご容赦願いたい。また、難解な用語等はできるだけ平易に解説したつもりであるが、そのために誤解を招く表現や誤りがあれば、それは筆者の責任であり、読者はいたずらに頭を悩ませないでいただきたい。
 本書によって、質的研究が科学であり、エビデンスをもたらすものであるという確信を、すべての質的研究者が持てるようになることを願っている。

 高木廣文
目 次
 はじめに

第1章  質的研究とはどんな研究なのか
 量的研究と質的研究
第2章  科学とは何なのか
 構造主義科学論の考え方
第3章  質的研究の難問を解決する
 主観的解釈とは非科学的か
第4章  質的研究の結果は当たり前か
第5章  質的研究の結果は、一般化できるのか
第6章  最後の難問-アブダクション

 おわりに
 文献一覧
 索引