はじめに
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医療政策を知っていますか?
内閣府の国民選好度調査では、医療は常に国民の最重要政策領域です。そのような結果が出ているにもかかわらず、これまで医療のあり方を決める医療政策の議論となると、一般の方のみならず大多数の医療者ですら人任せでした。日本の医療制度は国民の関わらないところで、一部の専門家のみによって決められてきたといっても過言ではありません。
もちろん、医学そのものには専門的な知識が必要であり、医療の制度設計もたいへん複雑です。小難しい議論は、専門家に任せるしかないと感じている方も多くいるかもしれません。しかし、忘れてはならないのは、すべての人が医療とは無関係ではいられない、という事実です。
高度経済成長にブレーキがかかり、これまでのように人任せにしていてもある程度満足できる医療を受けられる時代は終わりました。しかも未曾有の超高齢化社会を眼前に控え、医療の財源とその配分の議論は不可避です。医療費確保のための増税をするべきか否か。また、配分の重点は、子どもか高齢者か、はたまた予防か治療かリハビリか。こういった重要なテーマの話し合いに、国民の参加が必要です。
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東京大学医療政策人材養成講座(HSP)とは
東京大学医療政策人材養成講座(HSP)は、平成16年度に東京大学医学部と東京大学先端科学技術研究センターの教員が中心となって発足しました。医療政策の基礎となる研究を行うだけでなく、医療政策の立案を担うリーダーを育成することをめざしてつくられた講座で、HSPとは Healthcare and Social Policy Leadership Program の略です。
HSPの活動のキーワードは、「医療を動かす」。従来の大学講座の第三者的な姿勢とは一線を画し、実際に制度を動かす人材の育成と研究を最重要課題としています。
受講者は、医療提供者、患者支援者、ジャーナリスト、政策立案者など4つのステークホルダー(利害関係者)の人たちです。時には対立関係になる、あるいは普段まったく交流のない職種や領域に関わるメンバーがひとつの場に集まり、それぞれの立場を越えて医療の将来像を議論しました(下図、本サイトでは省略)。
また、医学や財政学のみならず、経済学、経営学、工学、法学、哲学といったさまざまな分野の専門家が、それぞれ異なる側面から医療政策にまつわる基礎的な講義を展開しました。
受講者の卒業研究は社会に大きなインパクトを与え、医療政策の議論を推進しています。たとえば、「医療崩壊への警告」、「がん対策の強化」、「市民・患者の政策決定への参画」、「医療事故調査第三者機関の設立」などは、HSPの卒業研究が大きな原動力となって生まれた社会的な動きです。
HSP卒業者の名前は多くの場面で目にすることができ、今後もそのネットワークが、日本の医療を動かす大きな力となっていくと期待しています。
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本書の構成と内容
本書は、HSPの講座の中で医療政策に関する基本的な知識を短時間で得られるように組んだ「講義」と「質疑応答」をベースに、内容をわかりやすく編集し直したものです。
さまざまな視点から医療政策の各領域を学ぶことで、自分達とは立場の違う人たちと議論する際に前提となる“共通認識”を持てるでしょう。
本書は大きく2つに分かれて構成されています。
まずは、下記の10章からなる《医療政策基礎講義》では、知っておきたい医療の制度・政策に関する歴史や基礎知識を解説します。
1章:喫緊の医療政策課題-今、日本の医療が抱える喫緊の課題を明らかにするとともに、どの課題に先に取り組むのが効果的なのか、「優先課題の見きわめ方」を解説します。
2章:医療とは、ケアとは、ニーズとは-「医療やケアの時代的な変遷及び医療ニーズの変化」を示し、これから求められる医療を考える際のヒントを提供します。
3章:医療財政-医療費抑制政策の背景にある日本の財政状況を財務省のデータにもとづいて解説。「財政的視点から見た医療の姿」が見えてきます。
4章:医療政策論-いったい日本の医療政策はどのようにしてつくられているのか。複雑な「政策立案プロセス」を明快に説明していきます。
5章:医療経済学-「保険制度の仕組み」を成り立ちから説明するほか、経済学的視点から見た日本の医療の特徴も解説します。
6章:医療の効率性と資源配分-日本の医療費の使い方は適切なのか。どの分野が不足しており、どこに無駄があるのか。政策に重要な「資源配分の考え方」を紹介します。
7章:市民主体の医療-「市民が医療政策へ参加する方法」は必ずあるはず。実際に医療政策にたずさわるようになった体験者が語ります。
8章:地域主導の医療-各地域ではそれぞれのニーズに合致した医療が求められています。3つの地域での実例を紹介しつつ、「地域での医療整備の方法」を考えていきます。
9章:医療の質と情報-「医療の質の評価方法」と市民に役立つ「医療情報の提供方法」を、米国の先進的な取り組みも例に挙げながら解説します。
10章:医療事故-日本の医療裁判の変遷を追い、医療リスクを社会全体で背負う方法を議論します。また、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の現況を紹介します。
続いて、下記の2章からなる《医療政策手法編》では、実際に医療政策を立案する際に役立つ知識や方法論を具体的に説明していきます。
11章:政策評価-政策は評価されてこそ、進化します。どのようにして「政策の立案・計画・実施の評価」をするのかを解説します。
12章:社会調査-根拠のある政策提案に欠かせないのが、「政策の議論に重要な社会調査」。その正しい方法と注意点を学びます。
最後の結びとして、これまでの医療および医療政策を俯瞰したうえで、今後の展望を聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が語ります。
13章:これまでとこれからの医療政策
各章はそれぞれが独立していますので、順序通りに読み進める必要はありません。興味のあるテーマの章から読んでいただいても十分に理解できます。各章末には参考となる文献や資料を提示していますので、より知識を深めたい方はぜひお役立てください。
欄外では、当たり前に使われていても、実はわかりにくい医療政策用語などを解説しています。また、各章に講座スタッフによる導入ページを設けたり、図表を豊富に用いるなど、より読みやすく、イメージしやすい内容になるようこころがけました。
本書は、広大な日本の医療政策に関して網羅できているわけではありません。しかし全体を通して、医療政策のポイントとなる基本事項が短時間で理解できるつくりになっています。
医療政策を知る、医療政策に参画する-その第一歩として、本書がみなさんのお役に立つことができれば、それにまさる幸せはありません。
医療政策人材養成講座スタッフ一同