はじめに
母性看護学は,すべての女性に対して一生を通した健康の保持・増進,疾病予防や健康回復を図るとともに,健全な次世代を育成するために必要な看護を提供することを役割として発展してきました.近年,その対象は女性だけでなく,パートナーである男性,家族,さらに生活の場としての地域社会へと拡大し,健康な社会生活を営んでいる人々を多く含んでいることに特徴があります.
母性看護学の教育では,母子保健の理念やリプロダクティブヘルスケアの概念を理解し,女性特有の健康問題をマクロにとらえる視点と,1人ひとりの対象者の健康状態に即したケアを大切にする立場がともに重視されています.
母性看護学の実習はマタニティサイクルに焦点を当てた学習が中心であり,一組の母子を通して正常な経過をたどる妊産褥婦および胎児・新生児に特有の健康状態を把握し,必要な看護を提供するプロセスを学ぶ場です.実習での対象はいわゆるローリスクであり,他の領域に比べて健康レベルの高い人たちであることに特徴があります.他の領域の実習では疾患や機能障害/低下をもつ人を対象とすることが多く,健康問題を発見し,目標を設定し,問題を解決するという看護のプロセスを学びます.いわゆる「問題解決型思考」であり,この思考プロセスには,必ず健康問題が存在することが前提条件となります.
しかし,この「問題解決型思考」で妊産褥婦や新生児をみると,順調な経過をたどる対象からは何の問題もみつからない,セルフケア能力も十分で,何をしたらよいのかわからない,という悩みにぶつかります.その結果,正常から逸脱する「リスクがある」という表現で,無理に問題をつくり,対象の実情にそぐわない診断をつけてしまうことが起こるのです.たとえば,血圧測定値に問題がないのに,妊娠末期になると「妊娠高血圧症候群発症のリスクがある」としたり,産褥1日に母乳分泌がなくても当然であるにもかかわらず,「母乳栄養確立困難のリスク状態」などのように,です.「リスクがある」というのは,一般集団に比較して,その個人にとくに発症の危険があるときに用いられる表現ですから,ローリスクの対象者には適さない表現であることはいうまでもありません.
順調な経過をたどる妊産褥婦や新生児の健康状態に対して,「実在型」あるいは「リスク型」看護診断を使うことが難しいときは「ウエルネス型」看護診断の手法を用いて考えると理解しやすくなります.この手法を用いれば,現状をありのままに表現すればよく,今後どのような経過をたどることが望ましいかを考え,目標を設定し,看護介入を決定することができます.対象が妊娠・分娩・産褥期の各時点で,時期に相当する生理的変化を遂げている,生理的変化に適応できている,状態を受容できている,適切な対処行動がとれている,サポート資源をもっている,等々,望ましい状態にあるのなら,その状態を維持する,あるいはさらに良い方向へ向かうように支援することを考えればよいのです.臨床の現場では,対象のセルフモニタリング/セルフケア能力を高めるための支援に多くの時間と力を注いでいますが,これも良い状態を維持するために重要なケアです.
本書では,妊娠期,分娩期,産褥期,新生児期に分け,時期ごとに生理的変化が理解でき,正常な状態であるか,あるいは時期に相応した経過をたどっているかをアセスメントできるように,基礎的な知識の解説を充実させています.ここではイラストを多用して理解しやすくすること,健康診査の方法がわかること,分析に有用な判断基準や根拠をわかりやすく示すこと,パートナー・家族の機能を大切にすることに留意しました.
一方,妊娠・分娩経過はいつ正常から逸脱するかわからない危険性をはらむものであり,異常の予防,早期発見,適切なケアが求められます.本書では,知識としてもっていてほしい代表的な疾患と比較的よく遭遇する異常を選び,それぞれに医学的な解説と看護過程をまとめました.ここでは悪い状態が今以上に悪くならない,あるいは良い方向に向かっている(回復過程にある)ことに着目すれば,ウエルネス型の考え方を使って看護過程を記述することもできますが,健康問題を明らかにして,「問題解決型思考」で記述することに統一しました.まず看護過程フローチャートで思考過程を概観したのち,情報収集とアセスメントのポイント→看護問題・看護診断→看護目標・看護成果→看護活動・看護介入→評価の順に解説を加え,看護介入を導き出した根拠を明確にするように努めています.
母性看護の対象を,健康なレベルにある,あるいは経過観察をしてよいと判断することは,時としてたいへん勇気がいることであり,十分な知識なくしては難しいことです.母性看護実習はウエルネスの視点で対象をみることを学ぶ貴重な機会です.何らかの産科異常があっても,優先度の高い健康問題のみを強調するのではなく,時期に相応した経過をたどっている部分を忘れずに,対象をみる目を養ってほしいと思います.
本書は看護学生の方々の学習の一助となるよう企画されたものですが,助産師学生,臨床の看護師,助産師の方々にも活用していただければ幸いです.
最後になりましたが,本書の出版にあたり,根気よく支え続けてくださいました医学書院諸氏に深謝申し上げます.
2009年1月
著者を代表して 石村由利子