医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)


〔第13回〕高木兼寛「脚気病栄養説」(13)

2448号よりつづく

コスト・エフェクティブネス

 先に触れた通り,兼寛は「脚気を予防するために食費がかさんだが,患者が減り医療費を削減できた分,全体のコストは安くあがった」と実際の数値をもって論文に報告しています。日本では医師も患者も医療費は国が払ってくれるという意識が強いため,医療費を節約する意識が欧米と比較して弱いように思います。明治の当時,列強国による植民地化政策が進む中,限られた医療費を効率的に運用することは,日本の国運を左右する重大事でした。ですから,海軍の食費が倍になることも重大事だったわけです。
 医療費が高騰した現代,限られた財源を有効に利用することは重要な問題となってきています。臨床統計学はこのようなコスト・エフェクティブネス・アナリシスにも応用されるべきです。例えば,喫煙は個人の自由ですが,慢性気管支炎や肺がんなどに医療費を使うことは,積もり積もれば医療費を圧迫して,小児救急医療に対する補助金を捻出することができなくなるかもしれません。そして小児医療過疎地区では,ライ脳症の子どもが救急車に乗ってたらい回しにされているかもしれないのです。

タイタニック沈没にみる倫理

 医師は患者さんと1対1で向き合い,患者さんのことを考え,最良・最善と思われる医療を施します。しかし,もしも医療が限りある財源しかなく,例えば,全国の小学生に喫煙の害を徹底的に説き,50年後の喫煙による有病率や死亡を1/5に減らせるとします。これに対する年間予算が1人の肺がん患者さんに行なわれる遺伝子治療と同額であるとしたら,そしてあなたが医療政策決定者であればどちらを選択しますか?
 医学とパブリックヘルスの考え方は少し異なります。要するに医師の倫理に対して,パブリックヘルスは全体のことを考え,限られた資源を効率的に分配することを考えなくてはなりません。
 皆さんは映画「タイタニック」をご覧になりましたか? これからの医療を考える上で参考になるかもしれません。は実際の事故の統計です。これによれば,成人男性では社会的地位の高い人が比較的多く助かっています。男女では女性のほうがより多く助かっていますが,やはり社会的地位の低い人たちの死亡率は,高い人と比べて10倍以上です。子どもに至ってはその差が顕著で,社会的地位の高い,あるいは中くらいの家庭の子どもは1人も死亡していないのに,社会的地位の低い家庭の子どもは7割も死亡しています。
 これをみて皆さんはどう思いますか?もちろん緊急事態でしたから,誰を救命ボートに乗せるかの判断は困難であっただろうと予想します。ちょっと大げさな喩えかもしれませんが,これは今後日本が直面しうる医療システムの問題点とダブらせて考えることができるかもしれません。
 鴎外は小説『高瀬舟』で「安楽死」について問題提起しました。一方,兼寛は貧しい人にも富める人にも同じ人間として等しく医療を施そうとした人です。もしも兼寛がタイタニックに乗船していて,限られた救命ボートに乗客を誘導しなくてはならない立場にあったとしたら,どのように采配を振るったのでしょうか? この問題は安楽死ほど直接的ではないものの,間接的には多くの人々の命がかかっており,生命倫理と同じウエイトをもって論議されるべき問題です。いずれにしても臨床研究は1人でも多くの人の幸せを守るために行なわれなくてはなりません。クリニカル・エビデンスは社会に還元されてはじめて価値あるものとなるのです。

表 タイタニック号での死亡率
 成人男性成人女性小児合計
社会的地位人数死亡率
(%)
人数死亡率
(%)
人数死亡率
(%)
人数死亡率
(%)



不明
合計
173
160
454
875
1662
66.5
91.9
87.9
78.4
81.0
144
93
179
23
439
3.5
16.1
45.3
8.7
23.5
5
24
76
0
105
0.0
0.0
71.1

51.4
322
277
709
898
2206
37.3
58.5
75.3
76.6
68.2

温故知新

 兼寛の臨床研究を通していろいろな方向に話を進めてしまいましたが,ポイントは現代でも十分通用すると思いませんか?
 私は慈恵医大在学中には不勉強で兼寛のことをあまり知りませんでした。しかし,ハーバード大学で疫学を学んだ上で,その偉大さを初めて知った次第です。読者の皆さんにはクリニカル・エビデンスの作り方を具体的に紹介する前に,何のために臨床研究をするのかを,もう一度考えていただきたかったのです。読者の皆さんが生涯に渡って診ることのできる患者さんの数は高が知れています。しかし,あなたがすばらしいクリニカル・エビデンスを示せば,多くの人が幸せになるかもしれないのです。臨床研究とはそんな魅力を秘めた領域なのではないでしょうか。