医学界新聞

 

〔連載〕How to make

クリニカル・エビデンス

-その仮説をいかに証明するか?-

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 薬物治療学研究室)


〔第7回〕高木兼寛「脚気病栄養説」(7)

2438号よりつづく

 臨床の中からすばらしい仮説を思いついたとしても,これを最後まで遂行するためには別のエネルギーを必要とします。実験研究は発案から論文の最後のピリオドまで1人でもできるかもしれません。
 しかし,臨床研究は通常,相当数の患者さんを対象とすることが多く,倫理的,人的,経済的困難と衝突します。簡単なアンケート調査を1つするにしても,多くの人に長期に参加してもらうためにはアンケート以外に季節の便りや誕生カードを送ったりするなど心配りが必要です。
 ましてや,ランダム化二重盲検臨床試験となると,説明する医療者および同意する患者側に大きな負担を強いることになります。また,小さな差を検出するためには数千人,数万人を対象に,時に10年以上にわたって追跡調査しなくてはならないかもしれません。高額機器を購入する必要がなくても,多くの人を巻き込むために実にさまざまな要素が介入するのです。
 医療機関のスタッフはそれぞれがプロフェッショナルであり,ものの考え方はさまざまです。1人の患者さんをめぐってさえも意見を異にすることが多いわけですから,ましてや将来の目標や価値観,研究に対する考え方が一致するわけがありません。このようなプロ集団を束ねて1つの目標に立ち向かわせるにはどのような技が必要になるのでしょうか?
 兼寛の場合はどうだったでしょうか?

兼寛の苦労

 兼寛は「脚気病栄養説」を証明するため海軍の食事を洋食に切り替え,蛋白量を増やすことを考案しました。しかし,海軍省首脳部は「この計画を実現するためにはおよそ5万円の資金が必要であり,年間300万円程度の経常費の中からそれだけの経費を余分に捻出することはできない」ということで難色を示しました。
 兼寛はまず川村海軍卿と直接談判しますが,「海軍予算からはなんとも都合がつかぬ」という回答でした。そこでやむをえず,「海軍卿代理として大蔵省へ特別資金の支出について交渉してもよい」という許可を得ます。伊藤博文,井上馨,松方正義らは兼寛の後援者であり,その後の予算配分に関してはとんとん拍子で進みました。
 兼寛は喜び勇んでこのことを海軍卿と長谷川主計総艦に報告すると,「来年度の上半期分を繰り上げ支出して差し支えなければ,別段大蔵省から特別支出を受けなくともよい」と,なぜか最初とは異なった回答を得ます。それはそれでよかったのですが,その後,具体的な話はまったく進みませんでした。これに対して,戦艦筑波艦長の有地品之丞が強硬に直談判をしたことにより,ようやく海軍食事変更が実行に移されたのでした。
 それからも研究の道のりは決して単調ではありませんでした。海軍軍医部は一体になって協力してくれたのですが,海軍省内部の多くは当初から批判的態度を示していました。陸軍軍医部も「脚気病の起こる原因は細菌によるものであるから,単に食糧の改善などではこれを防止することはできない。この細菌は不潔な空気中に生息しており,空気の流通を改善することが先決である」という自説を展開し,一向に兼寛の説明に耳を貸そうとはしませんでした。しかし,筑波艦遠洋航海実験成功が1つのブレークスルーとなったことは,先に述べた通りです。

臨床研究推進にはトップの理解が必要

 この例でわかる通り,臨床研究は大変繊細な性格を有しています。特に他の人々に余分な仕事を課し,余分な予算をかけるわけですから,ちょっとした圧力によって簡単に消滅してしまいます。兼寛の一大臨床研究も計画初期においては,非常に微妙な立場にあったことが理解できると思います。
 臨床研究を推進するにあたって,あたかも「花火に火を灯したけれど,風が吹いて消えてしまう」ような状況は容易に発生します。今までも,実に多くの臨床家の研究アイディアが,予算不足,協力者不足,方法論がわからない,自信がない,といった理由で葬り去られてしまったことでしょう。病院トップが臨床研究を文化として根づかせたいのであれば,強風の中でろうそくの火を守るように,よいものと判断すれば大切に育てなくてはなりません。

臨床研究推進に必要なもの

 最近,生物統計,臨床研究の書籍が多く出版されるようになり,どの本にも決まって「オッズ比」や「tテスト」の計算方法等が記してあります。しかし,兼寛の苦労を鑑みると,臨床研究推進の鍵は別の次元にあるようにみえます。このような計算はコンピュータがやってくれる時代です。
 それでは臨床研究推進に必要なものとは何でしょうか? この点に関して,次回以降,兼寛の話を基に臨床研究を推進するためのネゴシエーションやリーダーシップについて考えていきたいと思います。