はしがき
科学の諸分野のなかで,生物学ほど研究の進展が速い分野はない。それは,生物学が包含する専門的な学問領域が,分子生物学から環境生物学にいたる広大なものであり,研究・解析のレベルも分子から細胞・個体を経て地球にいたる多くの階層から構成されるからである。それぞれの専門分野,解析レベルでの研究が日進月歩で進み,新たな発見が毎週のように報告されている。
もとより一般教育のための教科書がこれらにふりまわされる必要はない。むしろ教科書としては,生物学の基幹をなす古典的概念や考え方が新しい知見に対しても有効であることを検証し,これらを学ぶ者に伝えていかねばならない。もしも旧来の概念・考え方が否定され,それにかわるものが提唱されたときは,その根拠と展望を伝えていかねばならない。これまで不明であったことが明らかにされたのであれば,その研究手法的な背景も含めて伝えていかねばならない。学問分野が極度に細分化された今日,新たな知見を見すえながら生物学を1つの科目として教科書にまとめるには非常な困難があるが,まさにそれゆえにこそ,一般教育のための生物学教科書の使命には大切なものがあると考える。
今日,医療の現場と基礎的な生物学の知識・概念は,かつてないほどに近づいている。がんやエイズといった病気を理解するためにはもちろんのこと,再生医療や生殖医療といった先端的な医療を正しく理解してこれに携わるためには,高度の生物学的な訓練が必要となろう。それは,単に断片的な知識を集めればよいということではなく,生物学を体系的に学ぶ必要があるということでもある。
本書は看護学教育の基礎課程を対象とする教科書として,1969年発行の初版以来,生物学の進展を取り入れながら版を重ねてきた。第10版となる今回の改訂では,とくに進展の著しい分子遺伝学分野について,iPS細胞を用いた再生医療やゲノム編集に関するコラムを新たに加えて従来の記述を増強するとともに,環境生物学分野では新たに多数の写真を添えることで,読者の直感的な理解を促すよう工夫した。また生体エネルギー論や電気生理学に関する記述をできる限りわかりやすく書きあらため,予備知識なしでも理解できるよう,平易な表現を心がけた。
生物が示す形態や機能は,進化の過程でそれぞれの種の生息環境に適応して多様化してきた。ヒトの生命機能も例外ではない。進化は学問としての生物学の中心命題であり,生物学を生理学,生化学などその関連領域と区別する最大の特徴である。本書では,これまでの版での比較生物学的な方針を継承し,本書で学ぶ学生の皆さんが,ヒトを含む生命現象について,広く生物学的視野の中でその理解を深められるように配慮した。著者の意図がどこまで実現できているかは,本書で学び,また,本書で教えられる諸賢の判断にゆだねられる。ご批判,ご提言を頂くことを心から期待する所以である。
なお,本書で用いる学術用語は原則として『生物教育用語集』(日本動物学会/日本植物学会,東京大学出版会,1998年)に準拠,統一した。医学用語とは異なる学術用語については,適宜括弧内などに併記し,必要に応じて英語を示した。
2019年1月
著者一同