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ワトソン看護論

ヒューマンケアリングの科学
(第2版)

著:ジーン・ワトソン 
訳:稲岡 文昭/稲岡 光子/戸村 道子

  • 判型 A5
  • 頁 212
  • 発行 2014年09月
  • 定価 2,916円 (本体2,700円+税8%)
  • ISBN978-4-260-01892-0
看護の本質を理解するためのワトソン看護論の決定版、20余年ぶりに改訂!
伝統的な科学・医学モデルを脱却し、人間科学・実践科学として看護学独自の学問体系の構築をめざすワトソン看護論。人間・生命の尊厳に哲学的価値をおき、道徳的・倫理的責務をもって実践する看護の本質を崇高に謳う。ケアを与える者と受ける者が一緒になって1つの事象を作り上げることで、患者の自己治癒が進むばかりでなく、看護師も自身の人間性を深めていく。そう、看護の神髄であるヒューマンケアリングの理論がここにある。
序 文
ジーン・ワトソン博士より日本の読者に訳者代表のことば

ジーン・ワトソン博士より日本の読者に
 今回,医学書院から出版された“Human Caring Science: A Theory of Nursing”(『ワトソン看護論―ヒ...
ジーン・ワトソン博士より日本の読者に訳者代表のことば

ジーン・ワトソン博士より日本の読者に
 今回,医学書院から出版された“Human Caring Science: A Theory of Nursing”(『ワトソン看護論―ヒューマンケアリングの科学』)は,1985年刊行“Nursing: Human Science and Human Care; A Theory of Nursing”(『ワトソン看護論―人間科学とヒューマンケア』,医学書院,1992:日本語版は1988年にreprintされたものを翻訳している)の改訂版です。長年の教育・研究の積み重ね,ケアリング実践者との対話をとおした最も新しい私の知見を包括しています。いわば,私の看護理論の集大成ともいうべき書です。翻訳された稲岡博士夫妻とは20年余にわたる学問的交流をとおし,かれらの変わらぬヒューマンケアリング理論への学問的関心と探究心,日本の看護界への貢献についてよく存じています。私にとって大変光栄であり,名誉なことと深く感謝しています。戸村前教授とは,2000年7月,日本赤十字広島看護大学開学式に特別講演者として招聘されて以来の付き合いであり,大学のカリキュラムに組み込まれている「国際看護学および米国演習プログラム」の担当者としてコロラド大学看護学部との交流,International Association for Human Caring Conference,International Caritas Consortiumなどの国際的な場におけるシンポジストや研究成果発表などアカデミックな交流をとおし,戸村前教授が年々私の看護理論について理解を深め,洞察力をつけ,習熟されてきたことを実感しています。

 “Human Caring Science: A Theory of Nursing”は,伝統的な科学や学問を脱却した看護学独自の学問体系の構築を目指したものです。私が考える独自の看護学は,「人間の科学」と「ヒューマンケアリング」という二つを核概念に立脚した学問です。つまり,ヒューマンケアリングの科学と理論においては,看護はヒューマンケアリングが神髄であり,人間科学であり,実践の科学であるということです。そして,人間の尊厳と生命の尊厳に哲学的価値をおき,道徳的・倫理的責務をもち,ヒューマンケアリングを実践することにあります。さらに,ヒューマンケアリングの科学は,時流や意識を超え,西洋と東洋の世界も含めた宇宙的な展望をもち,グローバルな統合と共有を目指すものです。看護の役割は,このような考えを中心に展開されるなかに中心的位置を占め,世界中の人々のhumanity(尊厳)の遵守に道徳的・倫理的責務という意識を拡大し,実践しなければならないということです。

 21世紀を10数年経過した今この時点において,上記したグローバルな思考は,ヒューマンケアリング科学のパラダイムである倫理,哲学,研究,実践など諸概念の理解を深め,地球という母なる大地に生きる人々の尊厳,生命の尊厳,安寧,平和に貢献するものです。
 本書はまた,human,humanityの複雑さや深遠さ,パラドックス,未知でかつ神秘的な生命そのものや変化,成長や死などについて,あらたなレンズを用い,あらたな視点からも理解を容易にするものです。加えて言えば,私たちのhumanityや生命そのものについて,実証的経験からの見地のみでなく,審美的,神秘的,超自然的なアートそのものに畏敬の念をもつことでしょう。

 重ねて言えば,ヒューマンケアリング科学は,科学のパラダイムと同様に看護理論の文脈において上記の概念に焦点をあてています。看護は,ヒューマンケアリング,人生の移り変わり,人間関係,健康や癒し,死など複雑な概念とプロセスに関与するものであり,単なる臨床的・実証的・生物的・身体的現象ではありません。看護の主要かつ独自の現象はヒューマンケアリングの科学と称するもので,倫理的・哲学的・霊的・形而上学的現象を包括するものなのです。

 すでにナイチンゲールは,病院や家庭,地域において,看護は人間の尊厳と生命の尊厳を基盤とし,ヒューマンケアリングを維持・実践するため対象を全体で捉え,道徳的・倫理的・哲学的志向性をもってかかわる必要性を示唆しています。しかしながら,このような見方や考え方は,伝統的な医学や従来の自然科学から理解されてきたとはいえないのです。教育論的・存在論的・認識論的・哲学的・道徳的観点を包括した理論的モデルは,21世紀における新しい,少なくとも実証主義や還元主義を重んじる学問と相違する独自の科学であることを示したといえます。

 今般,ヒューマンケアリングを中心概念とする看護理論である“Human Caring Science: A Theory of Nursing”は訳者らの並々ならぬ努力と医学書院の好意により出版されることになりました。日本の看護師の皆様にお読みいただけることを嬉しく思います。ヒューマンケアリング科学にもとづく看護学独自の理論と看護師独自の機能・役割を認識され,そして世界中の人々の健康と安寧,平和の実現に向け,一人ひとりの看護師がヒューマンケアリングの灯を照らし続ていかれることを願っています。

 永遠の平和を願って
 ジーン・ワトソン


訳者代表のことば
 本書は,2012年に出版された“Human Caring Science: A Theory of Nursing”の翻訳書であり,1985年に刊行され,1988年にreprintされた“Nursing: Human Science and Human Care; A Theory of Nursing”(Watson, J./稲岡文昭,稲岡光子訳:ワトソン看護論―人間科学とヒューマンケア.医学書院,1992)の改訂版です。ワトソン博士は,1970年代後半から今日にいたるまで,“ヒューマンケア”や“ヒューマンケアリング”に関する数多くの著書を執筆し,また,数えきれないほどの学術論文を発表しています。今回,出版された“Human Caring Science: A Theory of Nursing”は,40年余,教育者・研究者・管理者として多大な貢献をしてこられたコロラド大学を退任される前年に書き上げられたことなどからして,単なる改訂版というより,ワトソン看護理論の集大成というべき書です。

 ワトソン博士は,「日本看護科学学会学術集会」をはじめ「国際ケアリング学会」や多くの看護系大学で特別講演を行っています。2012年3月には,Watson Caring Science Institute主催による「第一回アジア・太平洋国際カリタスコンソーシアム」を日本赤十字広島看護大学で開催するなど,1988年以来,幾度となく来日されています。また,ワトソン看護理論のほかに,“Toward a Caring Curriculum: A New Pedagogy of Nursing”(Bevis, E.O. & Watson, J./安酸史子監訳:ケアリングカリキュラム―看護教育の新しいパラダイム,医学書院,1999),“Postmodern Nursing and Beyond”(Watson, J./川野雅資,長谷川浩訳:ワトソン21世紀の看護論―ポストモダン看護とポストモダンを超えて.日本看護協会出版会,2005),などの著書が邦訳・出版され,日本の看護師にとって著名な看護理論家の一人として知られているのではないかと思います。

 しかしながら,彼女の理論は実証主義や還元主義によって推進されてきた従来の医学モデルや自然科学から脱却していること,哲学,精神力動学,心理学,実存学・現象学など多くの学問に基づいていること,各学問領域独自の専門用語を用いていること,記述内容が極めて流動的であり抽象的であること,さらに,ヒューマンケアリングの現象や様相の描写や記述内容は,深遠かつ微細にわたり,論理的表現から多様な比喩的表現,多くの哲学者,形而上学者や実存的・現象学者の難解な用語が引用されていることなどのため,これらの学問に馴染んでいない看護師にとっては,ワトソン看護理論の本質を読み解くのは容易なことではないと思います。翻訳代表者は,International Association for Human Caring Conference,International Caritas Consortiumなどの学会を通じて,ワトソン博士をはじめとして諸外国のケアリング理論家との対話,多大な文献との対峙,大学・大学院での学生との議論などにより,いささかケアリング理論には精通していると自負していました。
 しかし翻訳にとりかかって,ワトソン博士の真に意味・意図するヒューマンケアリング理論の本質を的確に,適切に,かつ簡明に邦訳するのは能力をはるかに超える極めて困難な作業であることを深く認識しました。そこで,今回の翻訳にあたり,次の手順を踏みました。まず,初版の翻訳者に加え,翻訳内容の妥当性を高めるため,この10数年来,ワトソン博士との個人的・学問的交流,ヒューマンケアリング理論に関するアクションリサーチやカリキュラム構築の開発をとおし,特に最近のワトソン看護理論に洞察を深めてきている戸村道子前教授(前・日本赤十字広島看護大学)に参加をお願いしました。次に,実存的・現象学に熟知した下訳者の原稿をもとに,訳者全員が初版の原文,翻訳書,改訂版の原文を一行一行読み解き,語句の解釈,文脈から意味の読みこなし,日本語の表現法など,幾度となく比較・検討を重ね脱稿しました。

 以上の過程を経たにもかかわらず,ワトソンの看護理論はまだまだ難解な理論であるという認識は拭いきれません。本書を初めて手にする読者が,少しでも容易に読解するため,次のような視点(前提,哲学,主要概念)をもって,読み始められるようお勧めいたします。
 第一には,ワトソンは,どの学問領域を問わず,学問であるかぎり独自の学問体系をもち,来るべき時代においても学問としての存在意義を有し,独自の役割・機能を果たし社会に貢献すること,という前提に立っているということです。
 第二には,ワトソンの看護理論は,看護はなにより人間の尊厳,生命(いのち)の尊厳を重視するという哲学(理念,信念)にもとづいている,ということです。ケアリングの対象をこの世に一人しかいない独自の人間として,また,人の命をかけがえのない存在として畏敬の念をもってかかわるという揺るぎない哲学をもつということです。
 第三には,ワトソンが考える看護学独自の理論は,実証主義や還元主義重視による医学モデルや自然科学から脱却したヒューマンケアリングの科学,つまり看護はヒューマンケアリングが神髄であり本質であるととらえ,人間科学であり,実践の科学であるということです。
 第四には,ヒューマンケアリングの科学は,「生・老・病・死」にかかわる人間の耐え難い苦痛・苦悩を実存的・現象学的視点から理解し,癒すことにかかわるということです。
 第五には,人間を部分部分としてとらえるのでなく,また,部分の寄せ集めではなく,それらの総和以上のものであるとするゲシュタルト心理学の見方,いわゆるケアリングの対象をホリステイックにとらえ理解し,ホリステイックにかかわるということです。そこにワトソンは看護独自の役割・機能が存在すると強調しています。
 第六には,ある時点や定点のみのかかわりでなく,ケアリングの対象とのトランスパーソナルな関係の形成ということを主要概念の一つとしているということです。トランスパーソナルな関係の形成過程に関与することにより,はじめて対象の生々しい真の苦痛や苦悩,不安や恐れ,怒りや憤りにふれ,トランスパーソナルな関係をとおして癒し,乗り越えられるよう対象とともに存在することに意味・意義を有しているとワトソンは示唆しています。
 最後には,ヒューマンケアリングの実践には,道徳的・倫理的責務が伴うということです。そこには,倫理的敏感性や倫理的葛藤の自覚と対処が問われることになります。学問的前提,哲学,主要概念を総和以上のものとしてとらえ,理解されるよう助言します。なお,本書で使用されている用語について,Healthは健康,Illnessは不健康と訳すことで統一していますが,ワトソン博士の用いる意味や詳細については,第6章をご覧いただきたい。そしてHealingについては,各々の文脈において治癒,癒し,ヒーリングとして同一の意味で使用していることを最初にお断りしておきます。
 今世紀に入って10数年経過した今も,即効性,効率性,合理性がなにより優先され,こころの豊かさよりも物資的豊かさに価値が置かれているように思われます。世界の政治や経済情勢,環境やエネルギー対策,驚異的な先端医療・機器の進化,保健医療福祉政策の貧困さなどの現状・現実を今一度見つめ,学問として独自の看護学,専門職としての独自の看護の機能・役割と社会貢献など,ワトソン看護理論から熟考することをお勧めします。翻訳代表者自身は,1980年代前半に構築されたワトソンの人間科学としてのヒューマンケアリング理論の重要性を改めて認識するとともに,彼女の時代をよむ先見力,達見力,慧眼力には畏敬の念をもつものです。

 最後に,ワトソン博士は,どの講演においても儀式のようにシンギングボールを響かせ,キャンドルに火を灯し,瞑想することから始められます。ナイチンゲールが,夜間ランプを照らし患者の様子を観察したように,ワトソン博士は一人ひとりの看護師がヒューマンケアリングの心という灯火を照らし続ければ,つまり一燈一隅を照らし続ければ,世界中の人々の健康と安寧,そして平和の実現に貢献できるのではないかと強く念じているのです。ワトソン博士にとれば,極めて重要な儀式以上の意味をもっているのです。
 このことを知っていた訳者らは,2012年3月「第一回アジア・太平洋国際カリタスコンソーシアム」,「国際ケアリング学会」で来日された際に,世界遺産に登録されている広島県宮島の弥山にある,空海が開基し「消えずの霊火」として1200年以上も守り継がれている霊火を,特別に許可を得て採火し大学に持ちかえり,ワトソン博士にお渡ししました。彼女は大変感激し,早速学会の特別講演でお使いなりました。さらに学会終了翌日には,訳者らとともに宮島弥山(535m)山頂にある「不消霊火堂」に一緒にお参りし,責任者の僧侶に感謝の意を述べられるとともに,ヒューマンケアリングの灯の意味についても語られました。そして今後「霊火堂」の東洋の霊火は,これまでワトソン博士とともにあった西洋からの灯火と一体となり,「平和とヒューマンケアリング」の灯火として,ヒューマンケアリングを実践する世界中の看護者とともに世界五大陸の隅々まで燈し続けられます,とお伝えになられました。ちなみに,この「不消霊火堂」にある霊火は,広島市の平和記念公園で燃え続ける「平和の灯」の種火にもなっています。翻訳代表者は,読者の皆様にもヒューマンケアリングの灯火の真の意味をも理解しページをめくってくだされば幸いと思います。

 おわりに,一行一行から伝わってくる下訳者の厳しい学問的姿勢と探究心が訳者らのたび重なる挫折感を蘇らせ,直接に編集の担当をしていただいた長岡孝氏の時間とエネルギーを決して惜しまない情熱と忍耐強さが,四苦八苦しながらも邦訳にこぎつける原動力となりました。さすが“プロ中のプロ”と感じ入る真摯な心遣い,緊密な連絡・調整,丁寧な編集作業など,長岡孝氏には重ねて心より感謝する次第です。最後に,今回の邦訳・改訂版が最終的に完成するまで,的確かつ緻密で丁寧な編集作業を一貫して行い,一方ならぬ労をとっていただいた医学書院看護出版部3課の北原拓也氏に深謝申し上げます。

 訳者を代表して 稲岡文昭



 看護を専門分野としてどのようにとらえたらよいのか,どのような哲学をもてばよいのかといった問題について,まだ答えが見つかっていません。そして21世紀,またそれ以降どう発展し,成熟していけばよいのか。こうした問いに対する答えを探すために,私はこの改訂版を書きました。本書では,看護におけるヒューマンケアリングのプロセスを解明し,科学/システム/社会のなかで人間性を保ち,患者がもっている個人/内的な生の世界という概念を維持し,看護教育や臨床的な実践に,愛やヒーリングといった考えを再び導き入れる道を探りました。この改訂版によって,読者の方々もこの試みに加わっていただけるようになれば,私としてはこの上ない喜びです。
 ここで,時を超えて生きているある言葉をご紹介しましょう。それは,私が初めてインドに行った時に目にしたものです。ボンベイのある医師の子ども部屋の壁に,額に入れて掛けられていました。“人生とは解決されるべき問題ではなく,生きられる神秘である”。私は当時,看護についてどう考えたらよいか悩んでいましたが,この言葉が私の悩みを表しているように思えました。看護の実践というのは,それ自体が“生きられる神秘”なので,看護が焦点を当てていることや,人が生きること・死ぬことという経験のなかには,必ずしも解決できないものもあるのです。とはいえ,どのようにしたら,私(たち)は,“生きられる神秘”の輪郭をくっきりと描き出して,そのもっている価値を見出したり,評価したり,目に“見”えるようにしたり,発展させたり,看護の教育・実践・研究へと統合することができるのでしょうか。
 看護と人間一般について,私が日ごろ考えていることを明瞭な形で表現するには,距離を置く必要があることがわかりました。私は,米国の自宅から6千キロ以上離れた西オーストラリアのパースで,静かで穏やかなスワン川を見下ろしながら,インド洋のさわやかな潮風を肌に感じながら,初版を執筆しました。そして改訂版を書く旅程にある今は,メキシコの私の聖地マル・デ・コルテスで,忙しい生活のなかでひと休みして,内省し,執筆する時間を取っています。そして30年以上にわたって住まいを構えている米国のコロラド州ボルダーでも,世界を移動している時でも,本書を書く時間を見つけています。
 ここメキシコでは,海と自然の響きのなかにじっと身を浸して,静謐の時を過ごしています。そして,個人としての,専門職としての経験や,今,この世界で看護や人類がどうあらねばならないかという切実な探求,自分の内部から湧きあがる衝動によって,創造的に筆を進めています。ヒューマンケアリングというものは,自己から始まり,他者・環境・地域・国・世界・宇宙・そして無限の神秘に向けて広がりゆき,さらにそれを超えていくのです。
 「看護におけるヒューマンケアリングのプロセス」は,普遍的に人間の努力や人間に課せられた任務と結びついていると,私は考えています。そしてまた,涙を流して悲しんだり,傷ついたりといった,ある個人あるいはある民族,ある文化,ある文明に降りかかってきた出来事ともつながっています。看護を業とする者は,現在,人間と文化の移行期にいます。つまり人間を中心とする価値や実践が疑問視され,貶められることになってしまうような,物質主義・科学主義・テクノロジーによる人間や環境のコントロール・支配という世界からの移行です。このような状況のなかでは,優れかつ人間的な看護を進めるにあたっては,苦労が絶えないと思います。人間の意識のこの移行と発展,そしてヒューマンケアリングの危機は,ヒューマンケアリングからエコケアリング,つまり,すでにご存知の人間性と地球の存続に関わる全地球的な苦難と相まって複雑な様相を呈しています。
 最初に出版した“Nursing: The Philosophy and Science of Caring”(1979, Boston: Little, Brown, University Press of Coloradoによる再版)と改訂版(2008, Boulder: University Press of Colorado)では,自分の考えを「理論である」と言うつもりはありませんでした。初期の著作では,看護についての概念上の問題や経験上の問題を解こうとしていました。つまり,看護を成り立たせている要素とは何か,看護を構成するさまざまな要素が,どのように教育・実践・研究に関連しており,そういったものを規定するのかといった問題です。というわけで最初の“Nursing: The Philosophy and Science of Caring”(1979)は,看護についての専門書に他なりませんでした。
 私は自分の考えを系統立てるにあたって,まず信念と概念を一つのまとまりとして構造化するとともに,健康と不健康に関わる人間の行動の根底にある知識や原則を体系づけることから始めました。このプロセスのなかから,看護における10の“ケア(carative)”因子が生まれたのです。私の著作は,科学理論そのものではありませんでしたが,実際には看護を理論化していたのであり,結局,独自の“理論”を構築する初期の段階を歩んでいたのです。
 2008年の改訂版は,長年,私が看護の分野で築いてきたことと,ケアリング科学で研究してきたことの延長にあります。方向性としては,“現象学的・実存(主義)的・霊的”な領域の範囲内におさまっていますが,Hegel,Marcel,Whitehead,Kierkegaard,さらに東洋と西洋の心理学や哲学から影響を受け,考えを発展させて書いたものです。
 この10年間,私はさらに,広大な世界観,大いなる宇宙論の影響すら受けるようになってきました。世界中のさまざまな人々がもっている固有の文化が,今や一つのところへ次第にまとまりつつあり,フランスの哲学者Emmanuel Levinasが“帰属の倫理”と名づけたところのもの,つまり,私たちは個々ばらばらの存在である前に,実はすべて宇宙的な愛に包まれた,宇宙の無限野に属していることに気づくようになったのです(Levinas, 1969)。Levinasは,この壮大な宇宙倫理を,科学の第一原理であり出発点としています。このように,人間科学/ヒューマンケアリングは,倫理的な出発点として,この壮大な宇宙論を基盤にしているといえます。
 私がもともともっていた考えを磨きあげるにあたっては,実存主義の立場をとっているSally Gadowの著作からも影響と刺激を受け,これでよいのだという確信を得ることもできました。私はこれまで世界中を12回以上にわたり,看護に携わっている人々が働いている地域を旅してきました。この素晴らしい旅とその地域での生活から得た経験が,私の仕事の内容を深め発展させてくれました。ニュージーランドやオーストラリア,インドネシア,マレーシア,台湾,タイ,インド,コロンビア,ペルー,ブラジル,日本,フィリピン,中国,メキシコ,エジプトなどを訪れたのですが,ここで,個人的にも職業的にも,文化やスピリットについての深い経験や思考の旅,出会いがありました。もちろんヨーロッパの至る所,米国,カナダなどでの経験や学びも,ここに含まれています。
 本書は,何よりも看護の大学院生に役立つものですが,看護の教育者や学士課程の学生にも十分かなうように書かれています。また,看護でのヒューマンケアリングに携わるなかで,日々,奮闘しておられる看護師の皆さんが求めているものにも応えられることを期待しています。
 最後になりますが,初版の“Nursing: Human Science and Human Care”という書名から“Human Caring Science: A Theory of Nursing”へと変えたことには,看護という専門職は,ケアリングの科学を専門分野の礎石にするものであり,名称もそのようにするというように,思考が発展していったことを表しています。人間humanとケアリングcaringを,ひいては愛とヒーリングという概念さえも,科学モデルのなかに据えようとするのならば,これまでとは違った科学モデルが学問の成熟とともに現れていることに気づかなくてはなりません。ヒューマンケアリングと人間性・健康-不健康・ヒーリング・苦悩・生きること・死ぬこと・看護師が日夜経験する人生におけるさまざまな変化といったものがあります。こうしたものについて「知ること/実存すること/成すこと」に関しての,倫理的・哲学的・道徳的価値観,世界観,視点,といったものは,理論的で学問的なレベルでこそ明確になるのです。
 また初版で使った“ヒューマンケア”という用語が,“ヒューマンケアリング”とか“ケアリング”という言葉に替わり,より深い人間同士の関わり合いや,人と人とのつながりという意味をもっていることを心に留めてください。これはヒューマンケアという用語が含む固定的な考え方を超えているのです。ヒューマンケアというのは,他者を気づかったり,大事にすることを含むケアリングなしに提供することができますし,私の理論や,人と宇宙を一体と見る観点にある,倫理的な関係性を備えている真正なケアリングのプロセスに制限を加えてしまうのです。
 本書によって,看護学を成熟した学問としてとらえ,看護をケアリング-ヒーリング,つまり健康に関わる職業として見る,私の視座と手法が一段とはっきりとした形で伝わることを願っています。また,専門職としての看護の基準を維持するばかりか,引き上げて,看護ケアを受ける人々,提供する人々の福祉の改善につながることを期待しています。最後に,本書で提示した考えが機縁となって,人間の心や気持ちに手を伸ばして触れられるようになり,看護がさらに発展するよう,この専門分野固有の理論的な基礎が看護にもたらされることで,人間の意識が高まり,理論が今後も展開されていくことを,願っています。

 Jean Watson
目 次
ジーン・ワトソン博士より日本の読者に
訳者代表のことば

謝辞


第1章 はじめに:理論構築の背景
 理論とは何か
 概念
 看護を見るための新しい見方
 科学を再定義する

第2章 ヒューマンケアリングの科学としての看護学
 ヒューマンケアリングの科学
 未来へ向けての新しい方向

第3章 看護におけるヒューマンケアリング
 看護の明確化が求められる理由

第4章 ヒューマンケアリングの本質と看護におけるケアリングの価値
 ケアリングとノンケアリング
 ワトソンの価値体系

第5章 看護と形而上学(メタフィジクス)
 西洋の科学のなかでの形而上学の役割

第6章 看護の主題としてのヒューマンライフ
 基本となる信念
 ライフ(生)
 不健康(illness)
 健康(health)
 目標
 学生のための個人的な付記

第7章 理論の構成要素と用語の定義
 看護の定義
 科学と看護学の領域
 スピリチュアルな次元
 トランスパーソナルケアリングの瞬間

第8章 トランスパーソナルケアリングという関係
 看護のなかで自己全体を使う
 トランスパーソナルケアリングのアート
 トランスパーソナルケアリングのまとめ

第9章 ヒューマンケアリングに関するワトソン理論の構造の概観
 概要

第10章 方法論:再考
 存在論的・認識論的な真正さ
 拡大する認識論的方法
 超越論的現象学:真実としての詩的表現

第11章 超越論的ないし深遠な現象学と詩的な成果-その例
 ドリームタイムとクンディーリーのウォンギの人々と一緒になって涙を流したこと


索引