序
日本の医療にも光と影があるが,近年は綻びばかりが照射される.「医療崩壊」という言葉もすっかり耳に馴染むようになったが,開業医・診療所は比較的無傷なので,「病院崩壊」という言葉を使うほうが実相に近い.その最大の理由は,勤務医が病院から撤退するからである.2004年春の新医師臨床研修制度の開始に備えて,あちこちの地域病院への勤務医の派遣中止やそこからの引き揚げが大学医局によって行われたが,これが確かに悪さした.直撃を受けた中小病院もある.しかし,理由はそれだけではない.勤務医が疲労困憊したあげくに,「地域医療に邁進しよう」といった気概もあまりなく,開業してゆく傾向が目立つようになったのだ.これは『立ち去り型サボタージュ』という業界用語を生み,広く社会に知られるようになった.
こういう事態を背景に,医学生定員増が国策として打ち出され,2009年度から若干増(約700人)として開始された.医師事務作業補助体制への診療報酬上での配慮が,少しは払われるようになった.医師・病院バッシングが常態化していたメディア報道にも,偏向の少ない地道な記事が散見されるようになった.開業医にもっと活躍してもらおうとする案もある.勤務医は入院患者の診療や手術に特化し,外来患者や一次の救急患者をもっと多く開業医に振ろうとする厚生労働省の構想である.「総合医としての開業医」を拡大させる路線である.良質の家庭医を養成する専門医制度が構築されつつある現状だが,大きく結実すれば相当に強固な解決策の1つになるだろう.しかしこれらの策の中には,効果が出るまでに時間のかかるものも多い.
病院内を見渡すと,別の解決策があるように思われる.日本の勤務医のほとんどは専門医とその卵だが,力量のある病院総合医(ホスピタリスト)を大量育成するのである.そして,専門医はもっと「専門」に従事してもらい,その代わりに「非専門」を病院総合医に任せるわけである.「専門性の希釈」とでもいうべき事態は,できるだけ回避したい.例えば日替わりメニューで専門医が救急当直をし,一次救急に駆り出され,ふだん経験しない「非専門」に四苦八苦する愚は,そろそろ避けたいものである.こういう「各診療科(各当直医)相乗り型救急」を墨守するのではなく,病院の一次救急を,ER型救急専属医や彼・彼女らと連携する総合診療医にできるだけ任せるのである.こういった「病院における総合医と専門医の握手」は,少し違った角度から眺めることもできる.専門医の仕事は,各診療科間の取り替えがきかない.つまり,互換性がない.内科系専門医たちは,手が空いていても,手術の助手になれない.外科系専門医たちは,手術のキャンセルで暇ができても,忙しい内科系外来を手伝えない.いやそれどころではない.日本の平均的な地域病院での慢性患者外来は,それほど専門特化していないものもあるはずなのに,内科系諸科間での外来業務の互換性が想像すらされていない.開業すれば,たちまちにこういった患者群のかかりつけ医になることも往々あるはずなのにである.病院総合医の大量育成は,この現状に楔を打つ試みといえよう.
私が勤める洛和会音羽病院は588床のケアミックスの病院であり,一般病床428床(ICU/CCU 12床を含む),医療療養型病床50床,回復期リハビリテーション病床50床,認知症病床60床からなっている.総合診療科は34診療科の中で最大の診療科であり,年間入院患者数も約1,100名と最多である.同科入院患者の約75%がERからであり,それはER全体からみると約25%にあたる.所長(副院長兼務)1名,部長1名,医長3名,医員11名,後期研修医12名の所帯だが,枠外の存在である医学教育センター所長(副院長兼務)や院長の私も,たまたま総合診療出身である.
院内最大勢力の総合診療科は,さまざまな「雑務」をこなさざるをえない.「出前」とも称しており,「院内出前」と「院外出前」に分けられる.「院内出前」の最大のものは,8名の救急専属医(後期研修医2名を含む)と連携したうえでのER型救急医療現場への主体的関与である.当院は「救急を断らない民間病院」として最近何度かメディアにも取り上げられたが,年間救急搬送依頼約5,000件に対する応需率は99.9%ときわめて高い.「院外出前」の最大のものは,内科系医師の絶対的欠乏に悩む当院の姉妹病院(洛和会丸太町病院,170床)への継続的複数(6~7名)医師派遣であった.総合医は,本来「非特異的」に患者を診察・治療する(つまり,“What can I do for you?”「何がお困りですか?」と,どんな患者のどんな症状・病態・病気にも対応する)ものだが,以上の多岐にわたる活動を「雑務」と感じたりせず,またidentity crisisに陥らないためには,やはり多数の総合医が必要である.
病院総合医の育て方に固有のものはないが,私たちは,「診断推論や臨床推論の徹底した訓練」と「治療のEBM」と「チーム医療下での屋根瓦方式教育指導体制」をとりわけ重視している.いずれの軸も,総合診療科の間口の広さを利用して成り立つものであり,そのうえで奥行きを構築しようとするものである.当院の総合診療科の面々が,毎早朝に昼に夜に,カンファレンス室や病室や廊下や医局で,侃々諤々,ときにはひっそりと議論し合うのも,早急に正診にたどり着き,治療をできるだけ根拠立て,意見を調整し,異論に耳を傾け,倫理的課題にも最大公約数的納得を得ようとする努力にほかならない.各診療科の専門医療にうまく溶け込むには,かかわる病院総合医の臨床的実力が必須である.
このように当院の総合診療科がかなり巨大で,けっこう多機能であるのが広域に知られてきたためか,私のところに,全国の地域病院や,ときには大学や行政組織から「総合診療の指導医を派遣してもらえないだろうか」という依頼がやってくる.「総合診療のマグネットホスピタル」を目指している立場としては誠に面映ゆい次第なのだが,何せ歴史も浅く,期待にほとんど応えることができない.とりあえずはごく数日間の「院外出前」で間に合わせてもらっているが,こういった真摯な要求にせめて文章上で応えたいというのが,本書の執筆動機である.
ところで前述した洛和会丸太町病院の170床という規模こそ,当院のような専門医の多い規模の病院よりも,かえって病院総合医が活躍できる場であることは,双方の病院で働いたことのある洛和会総合医の共通の認識である.丸太町病院の「自前化」は最近になってみるみる進み,当院の最大の「院外出前」の対象とは全く言えなくなってきたのは,誠に嬉しい「誤算」である.私の教え子や仲間の中には,その程度の比較的小さな規模の地域病院の総合医として孤軍奮闘したり,病院崩壊を食い止めたり,後輩を育成したりしている者も散見されるので,その肉声を書いてもらうことにした.
さらに,病院総合医の出自であり,大学などで臨床研究や教育研究にかかわっている教え子や仲間たちにも,活躍の現状を書いてもらうことにした.
残暑の中での2009年の衆議院選挙は,自民党の惨敗・民主党の大勝利に終わり,政権が交代することになった.数多くのマニフェストが乱舞したが,医療に関するものはあまり多くなかった.医師臨床研修制度の見直しに関していうと,大学医局による医師派遣機能の復活を目指した自民党に対して,民主党のホームページの「INDEX2009医療政策〈詳細版〉」では,「見直しは大変な誤り」とある.しかし,その後の鳩山首相や小沢幹事長の「政治とカネ」問題,さらには「米軍普天間基地移設」問題などに表面的にはかき消されたためなのか,この方面での具体的な進展は聞こえてこない.
本書の主眼は,従来から指摘されている「診療科偏在の是正」を「専門医と総合医の協調・協働」の角度から切り取ったものである.病院再生や,広く地域医療再生の旗手が総合医だけであると言っているわけでは決してない.専門医がたとえ少数であっても,その本分を果たすためには,裾野をしっかりと支える総合医が不可欠であることを強調したいだけである.専門医(特に臓器別専門内科医)の守備範囲の拡大も,病院再生にはもちろん有効であろうが,既存の勢力にはなかなか望みにくい.また卒後初期研修制度に関して敷衍すると,基本的臨床能力のどっしりとした構築は,総合医(病院総合医から家庭医まで)を志す研修医にとってだけでなく,専門医としての将来の先端医療分野での開花にとっても貴重な財産になりうるものであると提言したい.ともあれ,医師不足の地域病院にとって何らかの参考になれば,誠に幸いである.
2010年 新緑
松村理司