アディクション看護

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依存症から生活習慣病まで、「わかっちゃいるけどやめられない=意思と行動の障害」に苦しむ人びとは、あらゆる診療科にいる。「知識と愛情」だけではやっていけないと感じたら、ぜひ本書を開いてほしい。行き詰まった患者‐看護師関係にかつてない切り口から鮮やかな解決策を示す、アディクション看護の決定版!
宮本 眞巳 / 安田 美弥子
発行 2008年08月判型:B5頁:292
ISBN 978-4-260-00631-6
定価 2,420円 (本体2,200円+税)

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はじめに

 本書は、まだ医療や看護の領域に浸透しているとはいえない《アディクション》という言葉をあえてキーワードにして構成されています。その理由は、この言葉が、「病気とは何か」「健康とは何か」「看護とは何か」について考えるうえで、非常に重要な新しい視点を提供してくれるように思えるからです。

 アディクションとは「好ましくない習慣によって生活が破綻した状態」を意味します。このアディクションという言葉ともっとも縁が深い病気は、アルコール依存症です。
 だれでも一度は、酒によって身を持ち崩した中年男の登場するドラマを見たことがあるでしょう。不幸な生い立ちや気ままな生き方、あるいは不運な出来事から酒に溺れて、周囲からたしなめられ自分でもなんとかしようと何度も試みる。それでもけっきょくは立ち直ることができずに生活が破綻し、家族に迷惑をかけ、意志薄弱で信用できない人物として周囲から見放されていく……。
 そのような人たちは、一昔前まで「アルコール中毒」、通称「アル中」というレッテルを貼られ、立ち直ることはほとんど期待できない人生の落伍者と見なされてきました。同様に、麻薬や覚せい剤によって生活が破綻し、ときには罪に問われた人々も、「薬中」「ポン中」と呼ばれ、「アル中」以上に否定的な扱いを受け、危険視されてきました(「ポン中」の「ポン」は「ヒロポン」の略であり覚せい剤を意味します)。
 中毒という概念は元来、薬物の毒性により生理的機能が侵された状態をさす言葉です。たしかに、アルコール中毒者や薬物中毒者と呼ばれてきた人たちの多くは、アルコールや薬物によって脳神経や内臓に中毒症状を呈していますが、それ以上に深刻な問題は、彼らが酒や薬に依存し、自らの意思ではそれらの使用をやめられないことです。
 そこで30数年前から、「アルコール依存症」という病名が使われるようになりました。その定義を示せば、「長期にわたる習慣性の大量飲酒の結果、社会生活に支障が生じているにもかかわらず、飲酒行動を意思によってコントロールできない状態」ということになります。
 この定義で注目すべきなのは、アルコール依存症の概念が、「意思や行動の障害」、そして「社会生活の支障」といった、およそ医学的ではない要素によって構成されていることです。アルコール依存症の少しあとに使われるようになった「生活習慣病」という概念も、じつは社会生活の支障という視点を医学的診断に持ち込んだものです。
 依存症や生活習慣病という医学的概念は、それまで単に生理的あるいは個人的な問題であると考えられがちであった慢性疾患の背景に、生活様式や社会状況という病因を浮き彫りにしました。これらの概念が提唱されたおかげで、生活様式を改め生活の再建を図れば、病気からの回復が可能であることがはっきりしました。また、社会が変わらないと、これらの病気は後を絶たないことを教えてくれたのもこれらの概念です。
 その後も健康を害する生活習慣の危険性については叫ばれつづけてきましたが、依存症と生活習慣病の蔓延(まんえん)は相変わらずです。しかも最近では、アルコールや薬物の摂取だけでなく、さまざまな習慣的行動への依存によって、ますます多くの人々が生活の破綻へと追いやられています。アルコール依存症にならって、買物依存症、仕事依存症、ギャンブル依存症、恋愛依存症などと呼ばれている、習慣的行動に根ざす不健康状態です。
 このような状態に陥る人の増加は、親しみの通い合う人間関係を築くことの困難さや、生きていくことそれ自体の困難さを物語る社会現象といえるでしょう。地域社会の崩壊、社会的格差の増大、家族機能の低下など社会状況の変化は、人々の生活から安全を奪い、健康で充実した生活を確立し持続させようという意思を挫(くじ)けさせます。こうして不安をかき立てられた人々は、一時的な心地よさと安心感によって安全を錯覚させる、不健康な行動パターンへと引き寄せられています。それが繰り返されて習慣化した状態、つまりはまり込んで抜け出られなくなった状態が、アディクションなのです。

 本書は、依存症や生活習慣病も含め、健康な社会生活を送るには好ましくない習慣的行動によって特徴づけられた生活パターンを、アディクションという概念によって包括的にとらえる試みです。アディクションに陥った人が、そこから回復を遂げていくためには、生活習慣や生活様式に潜む問題点を一つひとつ取り上げ点検しながら、生活の再建に取り組む必要があります。そのような取り組みに看護職がどのように寄与できるかを明らかにするなかで、健康とは何か、看護とは何かについてあらためて考えてみたいと思います。
 [宮本眞巳]

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はじめに

I アディクションとは何か
 1 「意思の障害」としてのアディクション
 2 意思の障害をもつ人への看護
 3 アディクション看護の十箇条
  focus 「アディクション」と「依存症」

II アディクションの視点を看護に生かす
 1 アルコール依存症と看護
  focus アルコール病棟で体験したこと
 2 薬物依存症と看護
  focus 高校生とアディクション問題
 3 人格障害とアディクション
 4 暴力とアディクション
  focus 医療機関で何ができるのか
 5 生活習慣病とアディクション
 6 家族とアディクション
 7 セルフヘルプグループの不思議

III 臨床場面で出会うアディクション問題
 1 精神科病棟 アディクション被害者という視点
 2 内科病棟 看護師を悩ますアルコール問題
 3 救命救急センター 自殺企図患者に揺らぐ
 4 産婦人科病棟 母性をめぐるアディクション問題
  focus 他人に依存しながら生きる人たち
 5 小児病棟 子どもの心にどう向き合うか
  focus 「虐待」をアディクションの視点でとらえなおす
 6 在宅看護 「家」に隠れる高齢者虐待

終章 看護職とアディクション

あとがき

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本を読むとき 『アディクション看護』 (雑誌『精神看護』より)
書評者: 江波戸 和子 (薫風会山田病院看護部CNS)
◆アディクション看護って何?

 「アディクション」と聞いて何を思い浮かべるだろう。アルコールや薬物だろうか。いや、今やアディクションは、社会や人間関係の変化と共にその種類も広がり、苦しむ人々の数も急速に増えている。

 アディクションはこれまで、単なる物質的な身体依存や、個人の性格や生活の問題としてとらえられがちであったが、本書の著者は「意思の障害」であることを丁寧に解説している。

 人は、「不安」や「不快」に直面すると自然な反応として「安全でありたい」「快を得たい」と欲する。しかし、現代は不安、不快の多い社会である。不安を直視し、不安に留まることには、大変なエネルギーを要する。そのため、手っ取り早く不安を紛らわし、解消しようという心がはたらく。

 このようにして得られた手段を使っている間は、不安を意識せず、一時的な心地よさと安定のなかにいることができる。しかしこれが習慣化し、自動思考化し、ハマると、そこからはなかなか抜けられない。これが見せかけの安全を求める嗜癖行動となるのである。

 悪しき習慣として生活のなかに染み込み、カビのようにその人の内面に根を張ってしまった嗜癖行動に対しては、長いスパンで一緒に付き合う覚悟が必要となる。それを指南するのがアディクション看護である。

◆人格障害をアディクションとして考えてみると

 アディクション看護は、ギャンブル、暴力(DV、自殺、虐待)のみならず、悪いとわかっていながら生活が改善できないといった生活習慣病にまで、幅広く活かすことができる。アディクション看護が登場する場も精神科病棟に限らず、一般科や地域にまで広がりをみせている。

 そのため、本書の後半には、それぞれの臨床場面で出会うアディクション問題について取り上げられている。例えば、「救命救急センター 自殺企図患者に揺らぐ」の章を読むと、自分もかつて救急で経験した、何とも割り切れない苦しさがよみがえってくる。「産婦人科病棟」での章に出てくる「他人に依存しながら生きる人たち」という事例では、単純に、「えっ、そんな人々もいるのか……」と驚くばかりであった。「人格障害とアディクション」という章もある。これは、境界性人格障害者にはアルコールや薬物といった物質依存のみならず、ギャンブル、摂食、暴力といった過程嗜癖があり、基盤には対人関係嗜癖があるという視点によって書かれている。

 最初、人格障害をアディクションという視点で考えたことがなかったのでびっくりしたが、と同時に妙にスッと理解できた。そして改めて、人格障害は対人関係嗜癖として援助を考えると、とてもわかりやすいと思った。

 対人関係嗜癖に陥らないための十か条というものが載っている。(1)自分自身の感情に目を向けること、(5)立派な看護師にならないこと、(8)ユーモアのセンスを発揮することなど、どれもうなずけるものであり、ユニークである。

◆アディクション看護は、一番進んでいる看護かも

 アディクション看護で一番難しいのは、患者の安全の確保と自己決定への援助とのかねあいをどうにするかであろう。例えば、DVを受けている患者に出会ってしまった。患者は家に帰りたいという。しかし、みすみす悪い結果になることがわかっている患者を放置できない……といったジレンマである。それは、こちらかあちらかといったことではなく、いつ、どのように、どういった割合で援助するのかといった、絶妙なブレンド加減が求められる援助である。

 「契約」「自己決定」「安全の確保」「自立援助」「支援システム」といった、現代の看護のキーワードについて、正面から取り組み、その達人となるのがアディクション看護なのだろう。

 本書は、「アディクション看護ができればどこでも通用する!」と述べている。そして、従来の看護とは異なるポイントとして、(1)生き死には本人が決める、(4)時には傾聴より突き放しも大切、(7)被害者は加害者でもある、(10)セルフヘルプグループで看護師も救われる、といったようにアディクション看護を10項目の特徴でわかりやすく説明している。

◆そのときの気持ちがよみがえる

 本書の魅力は、事例や場面がふんだんに盛り込まれていることである。同時に、援助者としての正直な心の動きや視点も丁寧に記されており、「そうそう、私もそんな気分になった」「ああ、私にもそんなときがあった」とリアルに、懐かしく場面が思い出させられる。

 アディクション看護では、援助者としての自分の感情に向き合い、それをどのように取り扱うかがポイントとなる。著者らは、援助者が抱く異和感や陰性感情をきっかけに、それを患者との関係性に活かそうとしている。それは、今まで看護師が見ようとせず、どう取り扱っていいのかわからない「自分の感情」である。

 この本にある事例では、登場する看護師に、戸惑い、苦しみ、無力感に襲われた、もう1人の自分の姿を客観的に見て、体験している気分にさせられる。読み進めると、「ああ、あなたはこう考えたのね」「私はこうだったのよ」「へえ、そういう気持ちもあるか……」など、いつの間にかつぶやいている自分を発見するだろう。

 よく考えると看護職は、意外にアディクションをもつ人にかかわることが多いのではないだろうか。患者はもとより、看護学生、時にはスタッフのなかにも、週末の競馬や勤務後のパチンコ、買い物や摂食障害に悩んでいる人がいる。そのうえ、看護職はイネーブラーになりやすい職業でもある。ケアする仕事柄、周囲に悩む人が多いのか、イネーブラーになりやすいから悩む人を引き寄せてしまうのか、どちらかはわからない。しかし、時代の流れから依存症が急増していることや、職業上避けては通れないということは確かだろう。

 さらに、自分自身のなかにも、生活破綻まではいかないにしても、小さなアディクションはないだろうか。その小さな共感からもケアが開けてくるように思える。ここは一度、“うろ覚え”や“なんとなく”ではなく、しっかりアディクション看護を勉強してみる時期にあるのだと思う。

 アディクション看護については、今までいい教科書やまとまった書籍がなかった。これは、アディクション看護がそれまで軽んじられ、十分理解されてこなかったことを表している。そのような状況のなかで出版された本書は、アディクション看護のパイオニアとして一筋の確かな道筋を刻むであろう。わかりやすくユニークな内容、臨場感あふれる事例の数々。不遜な表現かもしれないが、手にとって読みはじめると、教科書とは思えないほど面白い。そのうえ、精神科のみならず、内科病棟、救命救急センター、産婦人科病棟、小児病棟、在宅看護と幅広い臨床領域をカバーしているので、メンタルヘルスに関心のある方には、とても役立つだろう。

 それにしてもこの表紙、よくみると小粋である! 小さなタバコの包装のような模様がびっしりと並び、そのタバコの名前は「Gambles」である。中身もいいけど、装丁も憎い仕上がりの書籍なのだ。

(『精神看護』2009年3月号掲載)
「意思」も病むときがある 看護ができることをクリアにしたあたらしい教科書 (雑誌『看護教育』より)
書評者: 松下 年子 (埼玉医科大学保健医療学部看護学科)
 私が「アディクション」という言葉をはじめて知ったのは15年くらい前である。少なくとも当時,私の周囲にいた看護師や医師の誰1人として,この言葉を知らなかった。そして私が“アディクション看護”という言葉を使い始めたのは,2002年に日本アディクション看護学会が設立されて以降のことである。精神看護の領域でもつい最近までは,「アディクション看護」という言葉が用いられることはほとんどなく,強いて言えば「依存症看護」という表現がその代用であった。今でも精神看護学の教科書の目次には,「中毒性疾患の看護」「依存状態の患者の看護」「アルコール(薬物)依存症の看護」といったタイトルが大半を占めている。

 「依存症看護」というとオーソドックスな「アルコール依存症」や「薬物依存症」を連想しやすく,「行動嗜癖障害」の範疇であるギャンブル依存や買い物依存,虐待などをイメージしづらい。また,精神科看護領域の特別の病気として捉えられてしまう。このような背景から私個人としては,「アディクション」という新しい言葉を用いることで,アディクションが精神科だけでなく内科外科,産婦人科,小児科,在宅看護や地域看護など,看護師がいるありとあらゆる現場に存在している事象であることを一斉にアピールしたいと考えていた。そういった意味でも,「アディクション看護」と称した本書はまさに,アディクション看護の開拓者的,道しるべ的な役割を果たしている。本書にも紹介されているように,看護師はどこにいてもアディクションの患者さんに遭遇するはずである。看護師自身がアディクションに嵌ってしまってもおかしくはない。それだけどこにでもある蔓延した病気なのである。しかしいざ,このことを授業で学生に教えようとすると結構難しい。学生からすれば,わかっているけれどやめられない事象はあまりにも日常的で,そんなことはいくらでも身に覚えのあることだからだ。なぜそれが病気なのか? 実際,医学の疾病論の教科書で,アディクションの説明をみることはない。

 アルコール依存症が「病気」と称されえて久しいが,アディクションはまだ病気としての市民権を得ていない。アディクション看護とその本質を網羅的に語っている本書は,まさにアディクション看護の教科書であり,どこまでが病気でどこまでが単なる癖なのか,どこまでは看護師の介入が不要で,どこからが看護の対象なのか,これらの説明に困惑する教員にとって非常に頼もしい存在である。現場の看護師にとっても,これまで看護の対象として捉えることができなかった「巻き込まれ現象」等にどのようにかかわればよいのか,アディクション看護のABCを教えてくれるテキストといえる。

(『看護教育』2009年1月号掲載)
「生活の再建」をめざす看護ケアの手引き
書評者: 多崎 恵子 (金沢大助教・臨床実践看護学)
 「アディクション」とは「生活を破綻に追いやる好ましくない習慣」を意味する。「意思の障害」としてとらえられているという。

 アディクションは一般にはあまり馴染みのない用語であり、その言葉がかもし出すイメージから何となく近づきがたい印象を持つかもしれない。しかし、アディクション看護の考え方には我々看護者が共通に認識していくべき視点がちりばめられており、そのことを本書によって学ぶことができる。

◆生活習慣病までもがアディクション!

 本書では、アルコール依存症、薬物依存症、人格障害、暴力、虐待、共依存など、一般に馴染みの現象がアディクションの視点でひもとかれていく。生活習慣病までもがアディクションとして本書でとりあげられているのには正直驚いた。

 しかし読み進めていくうちに、アディクションが意思の病であり、健康教育が必要であることがわかるとなるほどと思える。糖尿病のような生活習慣病のケアにもアディクション看護の考え方は活用でき、あらためてアディクション看護の幅の広さに気づく。

◆糖尿病ケアとプロセスは同じ

 たとえば、アルコール依存症では、苦しい離脱症状を改善させるための身体的治療がまず優先される。その後、からだが落ち着いてから断酒教育が個々に応じて展開されていく。その基本は、病気の正しい理解と回復していく技術や方法を身につける行動療法である。

 その際に、患者にとって今何が課題なのかについて、適当と思える時期に看護師から意図的に伝えることが重要である。患者は自分の中でどのような欲求がぶつかり合っていて、本当のところ自分はどうなりたいのかについての自覚を深めつつ、日々の行動を自ら選択する訓練をしていかなければならない。自分の欲求の点検を通じて、自分の生命や健康を守りたい気持ちを実感することができ、行動制限や自己管理行動への抵抗感を自覚できれば前向きの気持ちがわいてくるという。

 これらのプロセスは糖尿病などにおけるケアの展開と共通性がある。また、チームを中心とした援助が不可欠なところも糖尿病ケアとの共通点である。

◆アディクション看護の原則は慢性疾患看護の基本

 アディクション看護の原則は、
(1)患者に必要な情報について必要な時期に対話を通して一緒に考える健康教育
(2)患者の認識や希望について本音で語り合い築き上げる援助関係、そして援助契約と役割分担の確認
(3)患者の適切な意思決定とそれにもとづく行動ができるような支援システムづくり
(4)患者のたしかな内省にもとづいて病気と生活習慣や意思との関連の理解を深めるとともに、必要な行動を継続できるような自立支援
である。これらは看護の原則ともいえ、特に慢性疾患看護の基本となる考え方といえよう。

◆患者との関係に行き詰まったナースに

 本書では、第1章で説明されているこれらアディクション看護の原則をふまえ、第2章ではどのように看護に生かしていくのかが具体的に説明されており読み進みやすい構成となっている。「アルコール依存症と看護」、「薬物依存症と看護」、「人格障害とアディクション」、「暴力とアディクション」、「生活習慣病とアディクション」、「家族とアディクション」、「セルフグループの不思議」の7テーマについて理解が深まっていく。

 第3章では、一般病棟にて日常的に出会う可能性があるアディクション問題について診療科ごとに事例が示され、臨床現場のナースにとってはアディクション看護がより身近に感じられると思われる。

 アディクションの視点を意識することによって、看護師が陥りやすい患者の感情への巻き込まれに気づいたり、看護師自身の生き方や傾向に気づきを得ることもできそうだ。患者との関係のとり方や患者教育の仕方に行き詰っているナースには、是非一読をお勧めしたい。本書は臨床看護師や看護教育者にとって非常に興味深く有益な一冊である。
「わかっちゃいるけどやめられない」にどう対応するか (雑誌『看護管理』より)
書評者: 松浦 正子 (神戸大学医学部附属病院副看護部長)
◆臨床現場で起きるアディクション問題とは

 近年,社会的にも大きな注目を浴びている,ドメスティックバイオレンス(DV),アルコール依存症,摂食障害,児童虐待といったアディクションに対して,臨床現場ではこれらに対峙するためのアプローチ法について模索しています。

 とりわけ,アディクションの問題は,精神科領域に限らず,あらゆる臨床現場での対応を求められるため,現場を管理する看護管理者にとっても,どのように対応すればよいか悩まされているのが現状ではないでしょうか。

 というのも,アディクションの問題は,患者個人の問題にとどまらず,家族の問題も含まれることが多いため,医療チームが複雑な家族の問題に巻き込まれてしまったり,自殺企図や患者同士のトラブルなどの対応に苦慮しているからです。

 そうかといって,医療の現場において,未だアディクション看護という言葉は定着しておらず,数多く存在するアディクションに関する専門書のなかで,日本の医療現場で働く看護者のために,看護の視点で書いた書籍は見当たりません。

 アディクション看護に関しては初学者の私にとって,本書を通して,アディクションという言葉が身近な言葉となり,看護管理を実践するうえでの助けとなっています。

◆問題に直面したとき,スタッフをどうサポートするか,チームとしていかに対応するか

 本書は,臨床の看護者だけでなく,看護学生にも教科書として読んでもらうため,ともすると専門性が高く,難解と思われがちなアディクションについて,わかりやすい表現で解説しています。

 CHAPTER Iでは,アディクションとは何か,意思の障害としてのアディクション,意思の障害をもつ人への看護,アディクション看護の十箇条など,アディクションに関する基本的な概念を中心に書かれています。

 CHAPTER II~IIIでは,アディクションの視点を看護に生かすために,看護者が遭遇しやすい問題について,一般的な特徴,看護のポイントなどがていねいに解説されています。また,臨床場面で出会うアディクション問題に対して,臨床の看護師にとって,誰もが一度は体験する(した)であろう事例で解説され,自分たちが実践した看護をリフレクションするうえでの助けとなります。

 また,看護管理者にとっては,アディクション問題に直面している看護者の心理的サポートのあり方や,アディクション問題の解決に向けて,チームとしてどのように対応していくかといった看護管理に対する示唆を与えてくれます。

 「わかっちゃいるけどやめられない」という帯のフレーズは,意思の障害としてのアディクションの本質を的確に表現したことばです。本書を読みながら,看護管理者(少なくとも私自身)が陥りやすいことの一つに,ワーカホリック(仕事依存症)があるかもしれないと,ふと思いました。看護管理者として自分自身の健康を維持することの大切さを教えられます。

 意思の障害としてのアディクションに対応するための教科書として,誰もがいつでも手にとって読むことができるよう,現場に置いておきたい一冊です。

(『看護管理』2008年11月号掲載)

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