今月の主題

ガイドラインを基盤とした
心不全の個別診療

吉村道博(東京慈恵会医科大学循環器内科)


心不全とは,心臓の機能低下により心拍出量の低下や血液のうっ滞が原因で生じる1つの症候群である.その直接の原因は心臓のポンプ機能の低下であることは言うまでもない.数百年の循環器病に関する学問の中で,心血行力学は研究の中心であり,多くの先人の努力のお陰で膨大な知見が蓄積されてきた.

さて,一方で神経体液性因子の立場から心不全を捉える動きが数十年前から徐々に起こってきた.心機能が低下すると心拍出量の減少や血圧が下がるが,それに対する代償機序として内因性に,レニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAAS)や交感神経系が活性化する.これらは体液量を増やし血圧を維持する.しかしながら,結果的にそれらの活性は過剰となり,かえって心不全を悪化させる.しかし,生体は興味深いことにこれに対しても防御機構を備えている.その代表がナトリウム利尿ペプチド(ANP,BNP)であろう.何らかの理由で心機能が低下すると,心臓から多くのANP,BNPが分泌される.ANP,BNPは種々の作用でRAASや交感神経系と拮抗し,心不全の病態を鎮めようとする.1984年の松尾・寒川両博士によるANPの発見以降,心臓研究はホルモン学と歩調を合わせて大きく進展した.そしてさらに心臓研究は進歩し続けている.

このように心臓そのものの考え方が大きく変化している.つまり,これまでの膨大な知見の集積があるとは言え,ある意味,限られた知識の中でわれわれは日々心臓病の病態と対峙しなければならない.そういった中でわれわれが心掛ける点が2つあるように思う.

1つは診療ガイドラインの充実とその有効な活用である.日本にも欧米に負けない優れたガイドラインが存在する.世界中のエビデンスを参考にしながらも可能な限り日本の事情に合った内容となっている.ガイドラインのお陰で日本全国同じように行えるようになった検査や治療は多い.しかしながら,心不全は多種の基礎疾患の最終的な現象である.つまり,ガイドラインはあくまでガイドラインであり,個々の病態に細かく対応するには限界がある.またそのような役目はガイドラインにはない.

もう1つわれわれにとって大事なことは,個々の病態をしっかりと自分自身で把握しようとする姿勢である.病態は常に変化するので,それに合った適切な治療法をタイムリーに考えることが要求されるが,時にはガイドラインとは完全に合わないことも生じるであろう.ガイドラインは各医師の判断を制限するものではなく,個々の判断を優先する立場を取っている.つまり,病態生理を考えることがきわめて大事である.そのためには病態生理の教科書やそれに関する最新の論文が必要となる.

本特集は,ガイドラインと個別診療というある意味相反した内容を包括している.しかし,そこにこそ本来の姿があると思う.われわれ臨床医には,ガイドラインを頭に置きつつも,病態生理を常に考え,ベストの治療を模索する姿勢と意欲が必要である.