HOME雑 誌medicina誌面サンプル 45巻5号(2008年5月号) > 連載●患者が当院(ウチ)を選ぶ理由 内科診察室の患者-医師関係
●患者が当院(ウチ)を選ぶ理由 内科診察室の患者-医師関係

第5回テーマ

私の内科医論
3つの基本ソフト

灰本 元(灰本クリニック)


 少々遅くなったが,自己紹介をしてみたい.私は無床診療所の内科開業医である.標榜科は消化器科,循環器科,呼吸器科,アレルギー科,心療内科.職員は医療事務,看護師,臨床検査技師,臨床放射線技師,管理栄養士,臨床心理士など常勤,非常勤を含めて23人である.常勤医は私一人だが,循環器内科医と放射線診断医(CT診断)が週一回診療に参加している.

■ひと月に診る患者は2,000人

 2008年1月,毎月の主な慢性疾患患者数は高血圧1,200人,糖尿病400人,虚血性心疾患200人,喘息とCOPD100人,成人アトピー性皮膚炎250人,慢性胃腸病200人.年間の主な検査数は胃カメラ750件,大腸カメラ250件,超音波4,500件,CT1,600件,最近一年間の64列造影冠動脈CT依頼件数280件となっている.当院で発見される年間の癌患者数は約100人で,多い順に大腸癌,肺癌,乳癌,前立腺癌,胃癌,悪性リンパ腫,甲状腺癌など全臓器に及んでいる.そして,その55%は生活習慣病の定期通院患者から,45%は新患患者から発見されている.

 上記のような検査や生活習慣病の数を背景にして,急性腹症,急性心不全,急性冠動脈症候群,急性肺炎などの急性疾患も多い.また,H.Pylori除菌患者数は1,100人(潰瘍を除く自費除菌は100人)に達し,大腸カメラでは盲腸までの平均挿入時間は6分未満だから内視鏡のプロと変わらないだろう.

 一方,これだけの患者数があれば,心身症の合併も毎月600人も診ることになり,カウンセラーによる心理面接は年間650回に達する.また番外の漢方治療は全患者の1/5に,そのうち煎じ薬を用いた本格的治療も100人以上に行っている.このように生活習慣病から癌や心身症へ,西洋医学から漢方や臨床心理へと,多種多様な患者の診療や対応にスタッフ一同,悪戦苦闘している.

■専門は「内科開業医」?

 このような有様だから大学医局に所属した先生方から「先生は何が専門ですか」と聞かれることがあっても以前は答えに窮していたが,最近では「専門は内科開業医」と胸を張って答えることができるようになった.怪訝な表情を返されてしまうが,医局中心の専門教育を受けた先生方に私の背景を理解するのはきっと難しい.

 このような診療スタイルが一朝一夕にできあがるはずもなく,研修医時代からはっきりとそれを目指したので,どの大学の内科医局にも所属しなかったし,全身を扱う病理学に研修終了後からしばらく没頭した.そのような航跡をたどりながら,私がめざしている内科医像を論じるのは,おそらく若い先生方へ一つの方向性を示すことになるし,開業医にとっても楽しみながら臨床を続けられるヒントになるだろう.

■一人の内科医が生活習慣病と癌という2大疾患を診る

 二大死因のうち生活習慣病は“動脈壁の硬化”,癌は“細胞の変異”がキーワードで,この二大疾患では発想がそもそも異次元だから,それぞれの専門家は互いに不案内となる.ところが,二つの疾患を同じ患者が罹患するし,見落とすと死に直結するから不案内ではすまされない.

 早期癌はもちろん,ときに虚血性心疾患の診断も患者との日常的で些細な会話がきっかけとなる場合が多い.そこで専門医に質問したいのだが,いくら血圧やコレステロールを下げ続けて心臓カテーテル治療を繰り返しても,早期癌を見落として患者が亡くなってしまったら,何のために長期間治療したのだろうか? 逆に癌専門医では,せっかく早期癌を切除して助かったとしても虚血性心疾患を見落として亡くなったなら,何のための癌診療だったのか? そこには専門科と連携すればよいという安易な答えに決してすり替えることができない内科医の真義にかかわる問題があるのではないか.医学の流れに逆うかもしれないが,一人の内科医が専門医の力を借りながら生活習慣病から癌まで可能な限り診断や治療を担当するのが自然だと,30年間医師として生きた私は確信している.そしてそれは研修医のときから変わらない.

■専門とは逆の方向へ歩く

 ノーベル賞を筆頭として世間,マスコミ,学会は常に高い専門性を評価してきたが,私は若い頃からいつも専門性とは逆の方向へ向かって歩いてきた.内科研修が終わって病理学を選んだのも頭のてっぺんからつま先まですべての臓器を,それもミクロレベルで自分の目で見て考えられるからだった.病理学を学んでも一臓器にこだわらず生化学的な手法も取り入れながら,いろいろな臓器の疾患でかなりの数の英論文を書いた.その過程で西洋医学の盤石性と脆弱性を了解できたと思う.

 臨床医学とは基礎医学が底辺で支えているから存在しうるのであって,もしその支えが消えてしまったら“加持祈祷”になりかねない,いわば砂上の楼閣と私は考えている.臨床につながる重大な発見のほとんどすべては基礎医学から出発している.だから基礎医学を知らずしてどうして臨床医学の本質がわかろうか,内科研修が終わる頃私はそう思った.

(つづきは本誌をご覧ください)