●患者が当院(ウチ)を選ぶ理由 内科診察室の患者-医師関係 | ||
第3回テーマ 患者は医師に何を求めているか
灰本 元(灰本クリニック) ■“しかる”と“怒る”若い看護師が「先生は患者を“しかって”ばかりいるのに,どうして次にもちゃんと来るんだろう?」そんな疑問をつぶやいたことがある.“怒る”は攻撃的で自己中心的な感情が中心となる場合で,“しかる”は患者になんとかよくなってほしい心が患者に伝わる場合をいう.“しかる”つもりで会話が始まったのにだんだん“怒る”になってしまう場合もあるし,その逆もあるので,“しかる”と“怒る”は紙一重である.“怒れ”ば患者は来なくなるかもしれないが,“しかって”も患者はきっと次にも来るだろう. また,当院には非常勤で男性の臨床心理士H先生がいてカウンセリングをお願いしているが,あるとき「この医院に患者がまたやって来るのは,先生が“断定する”ところにありますね.それが現代社会に合っているんです」と指摘された. この“しかる”も“断定する”も根っこでつながっており,私の診療スタイルをよく表わしている. 今回はこの根っこにあるものについて考えてみる.患者が私という医師にいったい何を求めているのか,きっとその答えになると思う. ■患者の自己決定と医師の無責任現代医療は患者の人権や自己決定権が最優先される.ひと昔前に比べると医療情報も医師数も格段に増えたし,開業医間ではそこそこ競争が行われるようになってきた.そして,患者自身による意思決定,患者自身による選択ということが,世の中に浸透してきた.これはたいへんよいことであるが,一方で自由すぎてどうしてよいやらわからない,つまり漂流している患者もかなり多い.このような状況下では,開業医は患者が逃げないようにできるだけやさしく対応する.つまり,患者の自己決定を尊重するケースが多い.しかしその結果,患者を不安にさせてしまう場合も多々ある. 例えば,「治療するかしないかはあなたの自由で,したいと思えばするし,したくないと思うならやめておきましょう」こういう言い方をされると,患者のほとんどは困惑してしまう.一見,患者尊重のようにみえるが,一方で,「私は最終判断には関与しません」というコミュニケーションを遮断する心理,あるいは「責任を負いません」という医師の心理が見え隠れしてしまう. 最近,医療関係者が「患者様」と呼ぶのに対して,心根を変えないで呼び方を「様付け」に変えてみて何の意味があるのかと,私はむしろ怒りを覚えていた.異彩を放つ精神科医中井久夫は「患者様」について「偽りのへりくだり」と見事に看破して,私は大いに溜飲を下げたが,そういう“偽り”心理が「あなたの自由です」にも透けて見えるように思う.医療界にはいろいろな治療法や考え方の違いがあるが,それを患者に説明して,「それでも私はこう思うから,一緒にがんばってみませんか」という提案こそが患者の琴線に響くのではないだろうか.これこそが患者の健康に対して責任を負う医師の生き方だと思う.医師だって自分が病気になったらこうしたいという結論は必ずあるはずだから,それを素直に患者に伝えればよいと思うのだ. ■ある患者との二通りの会話ある患者との二通りの会話を題材に考えてみよう.患者は高血圧と糖尿病で毎月来院している60歳台女性,2年前に当院の大腸カメラで大腸癌と診断され,愛知県がんセンターで大腸癌手術を受けた. 患者 先生,本当に大丈夫でしょうか? 最近何となく疲れるしだるいし食欲もないし,どこかに癌が再発してないでしょうか? 灰本 (やや重いノリで)血液もエコーもCTも,これだけ検査してもないんだから,うーん,大丈夫と思いますが……. 患者 検査してもわからない転移なんてあるんでしょうか? 灰本 まあ,100%ないとは言い切れませんがね……. (患者は不安の表情) 灰本 数カ月様子を見ましょう,それでもだるさが続けば,また検査しましょうね.とりあえずひと月後にまた来てください. (患者は無言,不安な様子で退室) 癌患者だけでなく,癌を不明熱や原因不明の多発性関節炎,再発するめまい,無症状で抗核抗体のみ高値,などに置き換えると内科開業医ではしばしば経験する会話である.この会話では,退室時に患者の心は不安で漂流している. しかし,全く別のやり方もある. (つづきは本誌をご覧ください)
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