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●研修医のためのリスクマネジメント鉄則集

第5回テーマ

リスクマネジメントのABCD
その3 訴訟防止と「予見性」

田中まゆみ(聖路加国際病院・一般内科)


 引き続き,リスクマネジメントのABCDより「A:Anticipate(予見する)」について取り上げる.前回,前々回と,リスクマネジメントの基本となる「予見性」を身につけるには,医師個人として,あるいは医療チーム・組織としてどうしたらよいかを中心に述べてきた.今回は訴訟防止の観点から,「予見性」について考えてみることにしたい.

リスクマネジメントのABCD
A=Anticipate………(予見する)
B=Behave…………(態度を慎む)
C=Communicate …(何でも言いあい話し合う)
D=Document………(記録する)


■訴訟における「予見性」の重要性

 判決文では,しばしば,「被告Aは〇〇〇を予見すべきであったのに,〇〇〇を診断するのに必要な検査を怠り,漫然と原告Bを放置し,死にいたらしめたものである.したがって,業務上過失致死罪(刑事訴訟の場合;民事訴訟の場合は債務不履行または不法行為)が成立する」というパターンが見られる.つまり,「予見可能性」は医療上の見落としがあった場合に責任を問われる根拠といってよい.

 「予見可能性」のレベルは,一律ではない.医業を行っていて事故を起こした時代・地域・病院の規模に応じて設定される.患者が,「不法行為」の時効20年ぎりぎりで訴訟を起こした場合,訴訟を起こした時点では「あのときのあれは,こうしていれば助かったのに」と思うかもしれないが,医療がそれほど進歩していなかった昔に起こったことを現在の医療水準で裁くのは不公正であることは明らかである.また,情報の集中する大都会と僻地とでは,医師が到達している最新医学知識にはおのずと差があるとみなされる.同様に,大学病院と診療所に同じ医療レベルを求めるのも酷であるとされる.裁く側は,当時の文献をつぶさに調べ,その時代の普通の医師が達しているべき医療レベルを想定して,地域と医療機関の差を斟酌して「予見可能性」を判断するのである.したがって,都会の大病院ほど期待される予見能力は高くなる.もちろん,医師である以上,どこで働いていようと最新の医学知識を吸収し,推奨される標準的医療を実践すべきことはもちろんであるが,恵まれた大都会の大病院ではそれだけ期待値も高く,医師として高い能力が求められていることは,肝に銘じるべきである.

 具体的には,医療事故裁判の判例集や和解例に目を通し,期待されている「予見性」のレベルを理解して日々の研鑽に励む必要がある(医師の人生は『生涯これ学習』!).どのような問診・身体診察・検査・診療記録の記載がポイントかを,判例から逆に押さえておこう.

 例えば,薬剤アレルギーの問診を忘れて,過去に副作用を起こした薬剤を投与したら,100%医師の責任となる.必ずアレルギーの問診をして,「アレルギーなし」あるいは「抗生物質で発疹が出たが名称は不詳」などとわかる範囲で詳しく記載しておく.用心深く問診し,最善と思われる選択をしても,なおアレルギー反応が出た場合と,全く問診せずにアレルギー反応を起こしてしまった場合とでは,「注意義務」の果たし方が全く異なるのである.

 また,「療養指導」は医師法にも記載されている重要な医師の業務であるから,「安静を薦めた」「△△摂取(あるいは××制限)を薦めた」「改善しないときや新たな症状が出現したときはいつでもまた受診するように指示した」などと診療記録に残すべきである.大部分は軽症でも後で重篤な疾患と判明することのある訴え(胸痛・腹痛・頭痛・めまいなど)は,特にトラブルになりやすい.「突然の」「だんだん悪化している」「今まで経験したことのない」などの患者の訴えは要注意で,このような訴えを軽視して,患者にも恨まれ疾患をも見逃すことがあってはならない.患者の訴えや不安を謙虚に傾聴し,それに誠実に対応し,鑑別診断・治療に最善を尽くした経緯を記載する.

 ひとことで言うならば,「不運にも,あなたが診た直後にその患者が急変したとして,あなたに見落としはなかったと主張できるか? 通常の水準の診察を提供したと胸を張れるか?」ということである.

 他方,もしも司法が期待しているレベルが非現実的であれば,学会などを通じて抗議するなど,医療者の立場を守るための行動を起こすべきである.僻地の一人医長であっても稀な事態に完璧に対応すべきであるとか,救急医療を担当するからには専門にかかわらずすべての手技ができるべきであるなどの,世界中どこを探してもありえない完璧な医療への非現実的な期待が,現場に無力感・絶望感をもたらしていることは周知のとおりである.

(つづきは本誌をご覧ください)