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●研修医のためのリスクマネジメント鉄則集

第2回テーマ

医師とリスクマネジメント(後編)

田中まゆみ(聖路加国際病院・一般内科)


 医事紛争に端的に現れているが,現在,患者が医療に「100%治癒」を期待し,悪い結果に終わると「裏切られた」と感じるのは,医療側・患者側・マスコミの三者にそれぞれ責任があるといわねばならない.医療側はしばしば医療の現実を等身大に伝えず誇大宣伝をし,マスコミは無批判に記事を書き,患者は医療の不確実性を受容しようとしない.医療側は最新治療(実効のあるものもないものも含めて)の開発に夢中で,常に未知の危険と背中合わせであることを過小評価し,いいことづくめのようにマスコミに取材させる.マスコミも,常に批判的に報道するという使命を忘れ,患者受けのする明るい面しか書き立てないのはあたかも大本営発表のようである.患者は,生・老・病・死の不条理を受容できず,藁にもすがる思いから,このような宣伝にまんまと乗せられやすい.


医療における「リスクの共有」

 生あるものは必ず死ぬ.患者が死んだらすべて医療が至らなかったということではないのは当然である.「薬石効なく」「力及ばず」とは昔から人知の及ばぬ自然の寿命に医者が頭を垂れる言葉であった.医学の進歩のおかげで,現代では侵襲的な検査や手術をこともなげに,かなり安全に行うようになったが,危険率はゼロではない.以前は不可能であったことができるようになり命が助かるようになったことを,あたかも当然のように受け止め,少しでもうまくいかないと「医療過誤があったのではないか」と疑ってかかられる.これでは,医療側としては,「以前のように,何もしないでいるほうが恨まれずにすむのではないか.なまじ最新技術などで過大な期待を抱かせてしまい,それがうまくいかないと訴えられるというのでは割に合わない」と厭世的,自虐的にもなる.

 医学の進歩を,信じられないほど安い値段で提供してきた医療側の犠牲的過重労働や善意が通じないなら,いかに意気に感じる職人肌の医師でも疲れ果ててしまう.「最善の医療でも永遠に寿命を延ばすことはできない」と,医療側もマスコミも,声を大にして患者に限界を知らしめなければならない.リスクマネジメントは,その科学的・事務的翻訳と考えてもらってよい.

 リスクマネジメントが医療側からさえ反発されるのには驚くが,患者側からすれば,「知りたくないことを無理やり知らされる」という感は否めないであろう.少しでも医療の不確実性やリスクマネジメントの話をすると「患者の権利とか言うけれど,やっぱり先生は医者側の論理なんですね」などと言われることもある.「患者もリスクを負ってほしい」と言うだけで「それは医療側の論理」と言われるのでは,明らかに医療側の善意のabuse(濫用;善意につけ込んでいる)であろう.リスクの責任を100%医療側にかぶってほしいというのはきわめて理不尽な要求であることを冷静に理解してほしいものであるが,それにさえ反発するマスコミや患者は多い.

(つづきは本誌をご覧ください)


田中まゆみ
1979年京大卒.天理よろづ相談所病院,京大大学院を経て渡米.マサチューセッツ総合病院(MGH)他でリサーチフェロー.ボストン大公衆衛生大学院修了.2000年よりコネティカット州のブリッジポート病院で内科臨床研修.04年より聖路加国際病院勤務.著書に,ハーバード大医学部でのクラークシップ体験をレポートした『ハーバードの医師づくり』(医学書院)がある.