HOME雑 誌medicina誌面サンプル 47巻1号(2010年1月号) > 連載●外来診療に差をつけるコミュニケーションスキル
●外来診療に差をつけるコミュニケーションスキル

第4回 テーマ

診察室の笑い:患者さんの笑いに隠された本当の意味

長谷川万希子(高千穂大学人間科学部)


【キーワード】
●笑い
●非言語的コミュニケーション
●患者―医師関係

事例紹介:治療の説明は堂々巡り,患者さんは何度も笑うけれども……

 ああ,この患者さん苦手なんだ…….診察室に入ってきたのは,苦手な患者Sさん.いつも説明が堂々巡りになって,なかなか診察が終わらない.訴えが多くて,同じ説明を何度しても理解してくれない.Sさんが診察室に入ってきた途端に,どのように診察を切り上げようかと頭を悩ます.

 Sさん(72歳,女性)は,脳梗塞の発作を過去に2回起こしている.利き手の右上肢に軽い麻痺がある.現在は降圧薬を服用していて,リハビリが中心.診察室に入るなり,Sさんは笑いながら「人差し指と親指が力がないんです.いったい普通ならどのくらいで力が出るようになるのか,わかりませんよねえ」.それに答えて「それは,何遍も言いますけれどもね,人それぞれなんですよ」.そこでSさんがふっと笑う.私は説明を続けて,「リハビリを中止したらね,もうそれで終わりですから.もう諦めずに気長にやらないとダメですよ」.

 急いで展開を図りたく,「まあちょっと,血圧測ってみましょうか」.血圧も落ち着いているので,一気に話を切り上げようと,作り笑いをしながら「何とか頑張ってやっていくというようなね.もうダメかなあとか思っても,ずっと続けていくっていうことですよ.ねえ,頑張って」.と励ました.その途端に,「先生,あのう,だいたいどのくらいで元に戻るっていうんですか.元気になるんですよねえ」.……そして今日も,堂々巡りに陥っていく.

 話が長い患者さんは,皆さんも苦手だと思います.事例のSさんは,何度丁寧に説明しても,理解してくれません.ときどき患者さんは笑うので,悪い雰囲気にはなっていないと思うのだけれども…….いったい何がいけないのでしょう.

■患者さんはなぜ笑うのか

解決に困ったら客観的に観察してみる

 冒頭の堂々巡りに陥った事例は,内科外来の患者Sさんを担当するM医師の立場に立って紹介しました.

 この事例は,患者-医師のコミュニケーションを研究する目的で筆者が実施した,400例の診察室の会話調査のうちの1例です.この会話調査の対象は,5カ所の医療機関の数十名の内科の医師と,その慢性疾患の外来患者さんたちです.SさんとM医師の会話に類似した事例は,この調査の中で複数見られました.

 ところで,SさんとM医師の診察を看護師さんにも観察してもらって,助言をもらいました.「先生,あの患者さん,ときどき笑いますけれども,患者さんが笑った後に先生は堂々巡りに陥りますよ.しかも,先生はその堂々巡りから何とか逃げ出したくて,必死に説得しようとしていますよね.そのために先生だけがずっと話しているので,先生が話す時間を短くすれば診察も早く終わるんじゃないですか」.

 診察が長くなる理由は,自分が長く話しているせいだと言われて,M医師は大きなショックを受けました.「患者さんが説明を理解してくれない→堂々巡りに陥る→何とか理解してもらおうと説明する→自分だけが長く話している→説得が失敗して診察が長引く」という連鎖を,どこかで断ち切らないといけない,とM医師は考えました.そこでふと思いついたのが,患者さんの笑いです.患者さんが笑った後に堂々巡りに陥るというメカニズムは,なぜ起こるのでしょうか.

 以下は,その視点に立った筆者による分析です.

患者さんの笑いに注目する

 診察全体の録音を後から聞いても,はっきりSさんが笑っていることがわかる部分が5回見受けられました.それらは大きく3つの場面に分けることができるため,場面ごとに詳しく見てみましょう.なお,斜体で示した箇所は笑いながら話している言葉で,「(笑い)」は笑いそのものを表します(以下同様).

場面1:診察開始後1分
患者:あのぉ人差し指とね,親指が力がないんです
医師:あんまり変わりませんかあ?
患者:そうですねえ.
医師:うーん.
患者:それで,どのくらい普通は,この,力が出るか,わからないでしょうねえ?
医師:うん,まあそれ何遍も言いましたけれども,あの,人それぞれ.
患者ふっ(笑い).

 指に力が入らないのに嬉しいはずはありません.では,なぜSさんは笑ったのでしょう.情けない気持ちと,何度もM医師に対して同じ訴えをすると嫌がられると感じて,訴えの印象を和らげるために笑ったのではないでしょうか.それに対して最初から身構えていたM医師は,Sさんを突っぱねるように「何遍も言った」と表現して,理解していないSさんを責めるように「人それぞれ」と答えました.その直後のSさんの笑いは,不安に応えてもらえずに突き放された悲しくて情けない気持ちを,そのまま悲しい顔や表現で返すと申し訳ないとM医師に対して気遣い,笑うことでごまかしたのでしょう.

(つづきは本誌をご覧ください)

文献
1)和座一弘:患者満足度と医師のコミュニケーションスキル.medicina 46:1716-1720, 2009
2)長谷川万希子:診察室でのなにげない「笑い」が意味するもの――医療社会学の視点から.看護学雑誌 63:1126-1132, 1999
3)植田栄子:なにげない「ことば」が患者にもたらすもの――言語学の視点から.看護学雑誌63:1050-1057, 1999
4)志水彰:〔笑い〕の治癒力,PHP研究所,1998
5)松村真司・箕輪良行(編):コミュニケーションスキルトレーニング――患者満足度の向上と効果的な診療のために,医学書院,2007