巻頭言
[特集]  経済学からみたこれからの医療

 医療の在り方を経済学で考えるというと,新自由主義的な“お金ですべての物事を捉える自由競争至上の考え方”と思われがちだ.しかし,経済学で競争とは「公正または平等なルールのもとで限られた資源を適切に配分するためのメカニズム」であり,経済学のゴールは,皆で協力して,限られた資源を効率的に利用することである.つまり市場だけが手段ではなく制度設計が大事なのである.よりよい制度を実現するために,人々の倫理的な行動や利他的な行動だけに頼るのは限界がある.人間の利他性を支える社会のしくみをどのようにして作るのか,どのような制度設計をするべきか,そうした視点からも経済学の研究は進められている.

 生活習慣病や慢性疾病が医療費の上位を占めており,喫煙や飲酒を控えること,バランスの取れた食事や運動などの重要性が言われている.しかし,生活習慣を変えることは難しく,私たちは予防は重要とわかっていても先延ばしにする傾向がある.人間行動の特徴に関する行動経済学の分析と,それに基づいた予防医療政策なども最近の経済学の重要なトピックである.

 財政面から医療政策を考えることも,巨額の財政赤字を抱えたわが国において避けることのできないテーマである.これから半世紀の間,わが国の財政を圧迫する最大の要因は,高齢者向けの医療や介護の経費である.医療費の効率化を進めるような医療制度改革を行わず,財政の建て直しが実現しなければ,わが国はどのような状態を迎えることになるのだろうか.『病院』の読者には,国内外の研究に基づいた冷静な分析をじっくりとお読みいただきたい.

 財政の議論をする際に「痛みを伴う歳出削減」とよく言われるが,実は質を高めることで,費用を削減することは可能である.費用対効果分析の活用である.世界各国では医療技術を客観的に評価し,政策に反映するしくみが進んでいる.

 本特集では,医療従事者や患者の行動,医療制度の在り方などを「協力の科学としての経済学」の視点からお楽しみいただきたい.

一橋大学国際・公共政策大学院 井伊 雅子