HOME雑 誌medicina 内科臨床誌メディチーナ > しりあす・とーく
●しりあす・とーく

第19回テーマ

アメリカの医師研修から何を学ぶか?(中編)

出席者(発言順)
白井敬祐(サウスカロライナ医科大学・血液/腫瘍内科)
金城紀与史(手稲渓仁会病院・臨床研修部)
大曲貴夫(静岡がんセンター・感染症科)


前編よりつづく

症例への曝露のされ方

白井 日米の医師臨床研修を比較すると,追体験する症例の数は,圧倒的にアメリカのほうが多いです。必ずしも自分が診るわけではないけれども,当直の間にカバーしたり,モーニングレポートで他の人のプレゼンを聞いたりすることで,まるで自分の患者のように頭を使って考えなければなりません。そのようなトレーニングを受ける数は,アメリカのほうが多いと思います。

 毎日の申し送りというのを,私は日本では経験しませんでした。私が自分で研修していたときは,極端な話,自分の患者に何か起こったら,起こってからどうするか考えようという感じでした。十数人の担当患者のリストがあっても呼び出されてから対応するという生活をしていたけれども,アメリカの場合には,その十何人について,申し送りのため毎日それなりのまとめをしてから帰らないといけません。それが貴重なシミュレーションになります。逆に自分が当直のときは,4~5人のインターンから申し送りをドーッと受けるので,「こういう患者を診るんだ」「こういう経過もあるんだ」ということを,大まかだけれども知ることができます。

 申し送ったり,申し送りを受けたり,そういった症例への曝露のされ方が,圧倒的に違います。当直の間,それをカバーしなければならないので聞くほうも真剣です。お互いに突っ込むし,「じゃあ,こないなったらどうすんねン」というところまで,申し送りをされる側も突っ込んできます。そういう意味でのシリアスさというのは,日本の研修ではなかった気がします。他の人の患者に対しても,自分が診なければいけないという切迫感,緊張感をもって,アメリカの場合は当直に入ります。

 もちろん,中にはだれてて,「何かあってから(申し送りの紙を)読むから,いちいち言わなくていい」というようなやつもいますが,結局「診なきゃいけない」立場に追い込まれることにはかわりありません。

 日本の新しい研修制度ではどうですか。アメリカと比べて,体験する症例数はいかがでしょうか? 入院日数も違うので,一概には比べられないと思いますが。

金城 アメリカでは,在院日数が極端に短いので,症例数は稼げます。一方,日本だともう少し在院日数は長く,入院中に患者の性格や価値観,社会的な背景を研修医が知り,家族ともお話を進められるというよい面もあります。アメリカでは,そのあたりはすべてソーシャルワーカーに任せきりになってしまいますよね。

日本の主治医制とアメリカのチーム制

金城 日本では現在も,圧倒的に主治医制度が強いと思います。まだまだ屋根瓦はできていないですし,週末や夜中でも急変があったら主治医は必ず来てくれるというような制度で動いている病院が,非常に多いと思います。一方で,アメリカでは,週末は違う医師が診るし,主治医も毎日来るわけではなくて,ほかのパートナーの医師が来るのが当然になっていて,情報を共有している集団が非常に大きくて,そこには共通言語が必要になります。毎日申し送りする必要があるのです。

 「この患者は,性別・年齢がこうで,既往歴がこうで,こういう問題で入院していて,今晩はこういうことに注意しておいてね」ということを非常にコンパクトに,毎日,毎日プレゼンテーションをすることで,皆が情報を共有し,たとえ急変しても皆が把握していてパッと方針が立てられる力がつきます。

 ところが,主治医制度だと,主治医の先生しかその患者のことを知らない。主治医が休暇で不在になってしまうと,その患者が急変しても代理の人は「全然知らない」という事態になってしまう恐れがある。認識が共有化されていないですよね。

白井 当直の人がいても,「この人,ちょっと複雑だから主治医を呼べ」ということになるんでしょうね。夜間に主治医が呼ばれないようなシステムでは,医師の責任感が薄くなるし,申し送りでのエラーが危険だということを指摘する人がアメリカにもいます。ただ医師間にコンセンサスをつくるという意味では,圧倒的にアメリカのシステムのほうが優れています。だから,1年目のインターンが同じように成長していく。

医師間の共通言語

金城 感染症診療にはそのような問題が大きいと思います。共通言語がないから,製薬会社に「この抗菌薬がブロードで非常に強力ですよ」と言われるまま処方してしまうということが多いのではないでしょうか。医学部では微生物学しか教えていなくて,臨床感染症学というものはどこでも教えていないし,教えられる人がいない。独学でやらなければならない。ようやくトレーニングプログラムもできてきて,よくなってきましたが,日本全体の感染症診療のレベルを上げるには,医療従事者,特に医師が共通言語をもって,例えば肺炎で患者が来たら「何と何を考えて,こういうふうに薬を使うんだ」という認識を全体でもたないと,いくら大曲先生が心あるフェローを育てても……。

大曲 そうなんですよ。その話し相手が違う言葉を喋っていて,通じないんですよね。

 同じ領域の優れた先生たちと話していると「結局,問題は学生教育に始まっているのではないか」という話になります。臨床医学としての基本的な患者の診かた自体に習熟していなくて,一方生物の知識は,あるような,ないようなというかたちですから,当然感染症もまともに診ることができなくなっています。

 すると,結局は先輩の見よう見まねで,自然成長的に育っていくしかないのです。その結果,不適切な感染症マネジメントが身についてしまうことが少なくありません。考え方の基本的な原則は,本来は医学生のころに習って,初期研修の頃に実践をもって叩き込んでいくというプロセスが必要なのですが,そこが欠落しているのです。

 まずはこうした連続性のある教育が必要だと思います。

問われる医療の質

金城 アメリカでは,例えば2年間きっちりID(感染症診療)の基本を学んだということであれば,確実にすぐれた力が身についているとは思うのですが,問題はそのあとです。例えば,いったん開業してしまって,あまり最近の情報に触れないとなると……。いまは,10年ごとの認定医更新制度になりましたけれども,昔は1回取ってしまえばどんなに知識が遅れても問題にされなかったので,アメリカでもけっこういい加減なことを言うアテンディングは多かったような印象があります。

白井 人によって,かなり差があると思います。

金城 だから,アメリカで指導医すべてが,必ずevidence based medicineを実践できるかというとそうでもないし,診療の質のばらつきについて多くの研究データが出ています。「医師には自己管理能力がないんだから,君たちには抗菌薬を選ばせてあげないよ」という時代がくるのではないかと思います(笑)。

白井 実際にそういうデータがありましたね。卒後年数が長ければ長くなるほど,医師の能力は下がっていくという。必ずしも,経験を積めば積むほど円熟するものではないという。

(つづきは本誌をご覧ください)


白井敬祐氏
1997年京大医学部卒。横須賀米海軍病院,福岡飯塚病院で一般内科,国立札幌がんセンターで放射線治療を経験し,2002年にがん診療,医学教育,Steelersを目的に渡米。研修おたくかつアメフトおたく。2005年よりサウスカロライナ医科大学血液/腫瘍内科フェローとして,抗がん剤治療の専門家をめざすため,臓器にしばられることなくあらゆるがんの診療経験を積むべく研鑽中。

金城紀与史氏
1994年東大医学部卒。亀田総合病院研修医,トーマス・ジェファソン大学病院内科レジデント,マウント・サイナイ医療センター呼吸器集中治療医学フェロー修了。アルバニー大学医学部・ユニオン大学大学院修士(生命倫理)。2004年1月より手稲渓仁会病院臨床研修部。

大曲貴夫氏
1997年佐賀医大卒。同年より2001年まで聖路加国際病院内科レジデント。会田記念病院での勤務を経て,2002年より2004年までテキサス大ヒューストン校医学部感染症科でクリニカルフェローとして感染症の臨床トレーニングを受ける。2004年2月に帰国し,2004年3月より静岡がんセンター 感染症科で勤務。同院で臨床感染症の専門家を育成する感染症フェローシップを行っている。