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●しりあす・とーく

第3回テーマ

内科医とプロフェッショナリズム

(前編)

出席者(発言順)
大生 定義〈司会〉
横浜市立市民病院神経内科部長

大野 博司
洛和会音羽病院総合診療科

金城紀与史
手稲渓仁会病院臨床研修部

野村 英樹
金沢大学医学部附属病院総合診療部助教授


大生 本日は,「内科医とプロフェッショナリズム」というテーマでディスカッションをしたいと思います。私は,大学を卒業後,聖路加国際病院で臨床研修を行い,さらに内科医としての研鑽と研修医教育を十数年行った後,4年間,産業医をしながら臨床疫学を勉強した時期を経て,現在,横浜市立市民病院で研修医のプログラム責任者をしておりますが,日々の診療や研修医の指導を行うなかで,やはり,プロフェッショナリズムということを考えざるを得ないと感じています。

■プロフェッショナリズムの世界的な危機

欧米の内科学会が「医師憲章」を作成

大生 欧米の内科学のコミュニティでは,まずABIM(American Board of Internal Medicine)とACP(American Collage of Physicians)が,合同事業として1999年11月にプロフェッショナリズムの概念を打ち立てることを目的としてプロジェクトを発足させ,それに欧州内科学会(the European Federation of Internal Medicine)も加わった形で2002年に「医師憲章(Medical Professionalism in the New Millennium:A Physician Charter)」〔日本語版試案(抜粋),533ページ参照〕が作られました。内科医の労働組合化,自己管理能力の低下,医療事故,バイオテロ,マネジドケアにより強まった利潤・利益の追求,それについての葛藤,金儲け主義の医療,患者ケアや医学教育に対する製薬業界の役割など,さまざまな問題が生じ,プロフェッショナリズムの世界的危機を感じて,一致団結して臨床と医学研修の両面に働きかける必要があるとして,憲章が作られています。

日本での動き

大生 日本でも,患者意識の変化や,社会常識の変化,EBMの流れと同時に,医療保険・介護保険などの制度面の改革も行われつつあります。さらに新臨床研修医制度が今年から開始され,そのなかに「人格の涵養」という言葉が入ってきました。これは非常に大切なことです。時代と状況の変化のなかで,指導医も研修医も,プロフェッショナリズムということを否応なく意識せざるをえなくなってきています。この指導医の中には,大学や研修病院の医師のみならず,新臨床研修制度では,地域医療も必修であり,地域の開業医の先生方も当然入ってくるものと考えます。

 わが国のこの種類の規範としては,昭和26年に日本医師会が出した「醫師の倫理」というものがありますが,最近では,1988年に日本医学教育学会が「期待される医師のマナー実践をめざして」を作成していますし,最近も,「日本医師会雑誌」の付録で,「医師の職業倫理指針」が出されておりますが,「こうあるべきだ」という論調が多いのではないかと思います。各学会でも,同種の検討を進めていると思いますが,2004年から,内科学会の認定内科専門医会でも,プロフェッショナリズム委員会をタバコ対策推進委員会と連動する形で設置し,実践とのギャップを論じながら模索を始めております。私も,その一員なのですが,こういうことを考えることは時宣を得ているのではないかと思っております。日本医師会雑誌131巻7号付録,2004

■医師がプロであるとはどういうことか?

大生 さて,まず最初に,各先生から自己紹介を兼ねてお話をいただこうと思います。プロフェッショナリズムを考えるにあたって印象に残る事例などございますか? 大野先生からお願いします。

大野 大学卒業後,飯塚病院で2年間初期研修を行い,その後舞鶴市民病院,そして現在の洛和会音羽病院で,基本的には一般内科を中心に研修してきました。いままでのどの病院での研修も,仕事もチームの一員として行っています。

 これがプロフェッショナリズムの話になるのかどうかわからないのですが,例えば,夕方6時,7時になって,「さあ,帰ろうか」といったときに,患者が急変した場合,残って診つづけるべきなのか,それとも家庭やプライベートを優先して,チームの他の人に任せて帰っていいのかという問題が身近にあります。チームだから,それでかまわないのか,それとも主治医だから最後までいなければダメなのかと,考えることが多いです。

 研修医の中にも,人によっては8時-5時を勤務時間とするような方から,医者なら最後までいるべきだとする方までさまざまで,「どうなのかな」といつも考えるところではあります。

揺れ動く米国での経験

金城 私は,大学卒業後亀田総合病院でローテーション研修を行い,その後6年間,米国で研修医,フェローとして,主に三次医療施設の臨床現場を見てきました。ちょうど,マネジドケアが台頭してきたところでした。消費者や医師のプロ集団・医療界からマネジドケアへの反撃も始まり,さまざまな訴訟が起こるような時代でした。米国の医者の考え方も変わりつつあり,病院が倒産することが日常茶飯事という事態を目の当たりにしてきて,「医者というのは大変な職業なんだな」ということを感じました。

 ベッドサイドでは,当然,1人の患者と向き合って,話を聞いたり,診察をしたり,治療をしたりする1対1の関係であるのですが,周りにはチームがたくさんあり,さらにそこには税金を含めた社会的な資源が使われ,経済的行為を行っているわけです。つまり,お金のことを抜きにしては語れない職業だということです。それから,生まれたり,死んだり,苦しんだり,痛みを感じたりというのはスピリチュアルな体験で,別に特定の宗教に限った話ではなく,どうしてもサイエンスだけでは語りきれない,押さえきれない部分が医療には多い。しかも,人種が違って,言葉もまったく違う状況でした。私もろくな英語が喋れなくて申し訳なかったと思うのですが,さらに患者さんによってはむこうもあまり上手とはいえない英語を喋る中でコミュニケーションを取るわけです。そのなかで,healing relationを私が取るというのはどういうことなんだろうと考え始め,カルチャーのアスペクトとスピリチュアルなアスペクトが存在する医療の側面,ethics,bio-ethicsに興味を持ち始めました。

 その点からも,医者がプロということはどういうことなのかということに非常に興味がありまして,本日の座談会を楽しみにしておりました。

大学医療の中で感じる矛盾からプロフェッショナリズムを考える

野村 私は,1963年に卒業してから現在まで,もちろん一般病院で働いたこともありますが,基本的には大学を中心に医師としての仕事をやってきた人間です。日本の医療は,もちろん大学だけではないのですが,どうしても大学医療の影響を大きく受けていると思います。ですから,そこがどうなっていくか関心を持たざるを得ませんし,そこを変えていかなければならないと強く感じています。

 しかし,実を言えば私自身のプロフェッショナリズムへの関心は,非常に低いレベルから始まっています。大学生のときに,ある医療系のサークルに入っていまして,そこで,ある障害児の施設に行きました。ダウン症の子どもが主だったと思いますが,よだれを垂らしながら近寄ってくるのを,私は避けてしまったんですね。一方,看護学生も一緒に行ったんですが,皆,その子たちを避けもせず,ニコニコと接しているのを見て,彼女たちに比べて自分は天性の医療人ではないなとどうしようもない気持ちに襲われたのです。

 その後,そうはいっても,天性のものをもっている人がそうたくさんいるとは思えないので,天性の医療人ではない私が,どうやって患者さんや社会に価値(バリュー)を提供できるだろうかということを考えるようになりました。たぶん,それがプロフェッショナリズムについて考える最初のきっかけではなかったかと思います。

 そして,先ほど言いましたように,大学という,特殊だけれども,ある意味では日本の医療の考え方の大勢を支配しているところにずっと身を置いてきて,そこで見たり,感じたりした矛盾から,どういうふうに変えていったらいいのかなということを考えるなかで,医師のプロフェッショナリズムについても考えるようになりました。

(つづきは本誌をご覧ください)


大生定義氏
1977年北大卒。聖路加国際病院で研修開始。その後同院内科副医長,医長として,研修医の指導にあたる。95年から産業医へ転身。99年ニューキャッスル大学臨床疫学大学院(通信制)修士課程を修了,同年から臨床に復帰。それ以来EBM・臨床疫学の実践と教育,神経疾患のQOL研究などにも関与している。内科専門医会監事,米国内科学会上級会員(FACP)。神経学会,神経治療学会,頭痛学会などの評議員も務める。

大野博司氏
2001年千葉大卒。01~03年麻生飯塚病院初期研修。03~04 年舞鶴市民病院内科。04年2月米国ボストン ブリガム・アンド・ ウイメンズホスピタル感染症科研修。04年4月より現職。救急外来,急性期病棟から往診まで患者さんの主訴,病歴を重視した医療に取り組んでいる。また,全国の医学生,医師と勉強会を行っている。共著に『診察エッセンシャルズ』(日経メディカル開 発)がある。
E-mail:QWI03166@nifty.com

金城紀与史氏
1994年東京大学卒。亀田総合病院研修医,トマスジェファソン大学病院内科レジデント,マウントサイナイ医療センター呼吸器集中治療医学フェローを経て現職。研修プログラムの作成・運営をしながら,総合内科病棟研修医に内科の醍醐味を伝授すべく奮闘中。

野村英樹氏
1988年金沢大卒,1994年同大学院修了。1995年より3年間,ハーバード大ブリガム・アンド・ ウイメンズホスピタルで遺伝子研究。帰国後総合診療部に参加し,2001年より助教授。卒後臨床研修センターや地域医療連係室も併任。EBM,プロフェッショナリズム,タバコ対策,医学教育,地域医療連携など,遺伝子とかけ離れた分野での仕事を新鮮に愉しんでいる。