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●研修おたく海を渡る

第9回テーマ

多国籍軍

白井敬祐


 今回はアメリカ以外の国からの研修医-多国籍軍-に焦点を当てます。彼らから見ると,はたしてアメリカのシステムはどう映るのでしょうか。アメリカの医療も,単なる地方のシステムと言えるのかもしれません。

 まず同僚の出身国がいかに多彩か列挙してみます。アジアからはインド,パキスタン,中国,台湾,日本,タイ,ヨーロッパからは,イギリス,ドイツ,イタリア,オーストリア,オランダ,ポーランド,セルビアモンテネグロ,ロシア,ウクライナ,中近東からはシリア,ヨルダン,レバノン,イラク,イラン,トルコ,アフリカからは,ケニア,ナイジェリア,南アフリカ,南米からはブラジル,アルゼンチン,26カ国もあります。

 当然バックグラウンドもさまざまです。外科医でもないのに虫垂炎から子宮破裂の手術までこなしていたというケニア出身の総合医やロシア出身の元病理医,リハビリ医,インドの耳鼻科医,中国の循環器専門医もいました。僕のように日本で放射線治療をかじった者も……。パーティとなると素敵な民族衣装であらわれるナイジェリアのある部族の王女もいれば,カバに食べられそうになったと自慢するジンバブエ生まれの南アフリカ人もいました。一筋縄ではいかないことがおわかりいただけるでしょう。

 この多国籍軍のなかに身を置くと「以心伝心」は使えません。まめにコミュニケーションをとる必要が出てきます。そこで「プレゼン,プレゼン,プレゼン」となるわけです。これにはかなりエネルギーを使いますが,同時に多様な価値観を感じることではっとさせられたり,やる気をもらうこともできるのです。

 そのなかでも,ひときわ個性的なアントンのことを紹介します。ロシア出身の彼はいつも眉間にしわを寄せて,ことあるごとに文句を言っていました。なんでやと聞くと「Small Revolution(小さな革命)を探しているだけや。“Hi,How are you?”,“Great!”なんて会話はうそくさくてできない」と毅然としていました。ロシア陸軍の一員として2年間のアフガン駐留経験があったり,英語がまったく話せない状態でカナダに移民として渡り,そこからカナダ,アメリカの医師免許を独学で取り直したというつわものです。彼の言うことには大げさでシニカルなところはありましたが,なぜか説得力を持っていました。指導医からも一目置かれていたのを覚えています。一般内科医としてカナダで心臓のストレステストを行う資格を取るためにそこに通い詰めたり,はっきりとした目標設定にはいつも感心させられました。自分が何が足りないか,何が必要かの自己分析がよくできているのでしょう。

 彼にいわせると,アメリカのシステムは細かく問題点を挙げてカルテは書くけれど,実際に患者をみていないと。カルテは一行で,「このままの方針で治療を続ける」でいいから,患者とベッドサイドで過ごす時間をとるべきだと熱く語っていました。

 「アンビリーバブル」が口癖で,ローテーションが終わるたびにロシア陸軍に比べるとたいしたことなかったとか,ロシア陸軍と比べてもきつかったと,こまめに振り返っていました。めったなことでは眉間のしわを解かない彼でしたが,ぼくのフェローのポジションが決まったときに「Congratulation!」と一番に電話をくれたのは彼でした。老年科のフェローとして働くフロリダから,釣った魚を片手に得意げな写真をつい最近も送ってくれました。まさにコミュニケーションの達人です。そんな彼はソーシャルチーフでもあったのです。

「ソーシャルチーフって?」

それは次回のお楽しみに。


白井敬祐
1997年京大卒。横須賀米海軍病院に始まり,麻生飯塚病院,札幌がんセンターと転々と研修をする。2002年ついに渡米に成功,ピッツバーグ大学でレジデンシー修了,2005年7月よりサウスカロライナ州チャールストンで腫瘍内科のフェローシップを始める(Medical University of South Carolina Hematology/Oncology Fellow)。米国内科認定医。