Editorial
身体診察教育という古くて新しい風

平島 修
徳洲会奄美ブロック総合診療研修センター

 私は,身体診察の教育を通して,もっと温かい医療の溢れる世界を夢見ている.

 部活動として身体診察を学ぶ「フィジカルクラブ」を開催し(本誌 p.152),呼吸回数の数え方や心音の聴き方など,基本的な診察技法を医学生や研修医に指導しているが,その懇親会や座談会で次のような声があちこちから聞かれた.

 医学生からは「OSCE(客観的臨床能力試験)の授業では,このような内容を学びません」.

 研修医の先生からは「診察の仕方を丁寧に教えてもらう機会がありません」.

 ベテランの先生からは「われわれの時代には,診察の教育なんかなかった」.

 たしかに,自分を振り返ってみても,懇切丁寧に身体診察に絞った教育を受けた記憶はあまりなく,「病状の改善≒検査結果の改善」となることが多かった.

 なぜ,身体診察の教育は「流行らなかった」のか? その理由は,この100年間の医学の歴史を振り返ると一目瞭然である.約100年前の医学にはCTもMRIもなく,聴診器・血圧計がようやく医師の必需品となった時代である.目に見えない臓器の疾患に対して医師は5感をフルに使って,時には医師自身がその病気に伝染しながら命がけで戦っていた.この100年間の医学の歴史は医療機器発展の歴史であり,「新しい医学=医療機器を使いこなす医学」であって,そのためのエビデンスづくりに必死だったと思われる.問診・身体診察なしに機器があれば何でもわかる,そういう時代を夢見ていたのだろう.医療機器の発展とともにたくさんの命が救われたが,その進歩とともに,本来医師にいちばん必要な資質である,患者の身体に触れ,患者の痛みに共感するという教育は薄れてしまったのではないかと思う.

 身体診察を学ぶ際,CTやMRI,薬物療法といった診断・治療の勉強とは全く違う手法をとらないと,真の実力はつかない.画像検査の読影法や血液検査異常の解釈法と比べ,既存のエビデンスや教科書の内容を患者にそのまま適応すると失敗してしまう可能性が非常に高いと言える.たとえば,右下腹部痛を訴える患者において虫垂炎という感度・特異度にこだわりすぎると,憩室炎や大腸癌といった疾患を見落としてしまう.虫垂炎と考えられる右下腹部痛のなかから大腸癌を見破るのは,右下腹部痛の大腸癌患者に診断がついた後に,病歴や身体所見で虫垂炎と違うところは何なのか,実際の症例を通して丁寧な振り返りをするという「経験」が必要である.この振り返りという作業は,やらなかったとしても,その患者の医療は進んでいくが,振り返りを繰り返し行っていくことで,いつの間にかその違いが見えてくる.さらに,観察力の上がった医師は,患者との距離も,ものすごく近くなる.身体診察の修得は,地味で泥臭い作業の繰り返しにより成り立つのである.

 本特集では,経験豊富な先生方に,これまでの成功・失敗を振り返った「経験」をもとに,実際の臨床現場が透けて見えるような内容をお願いした.これまで教科書には書かれてこなかった執筆者の本音が満載の企画を目指した.そのこだわりを是非盗んでいただき,日常診療の一助とするとともに,同僚やコメディカルと共有して,身体診察の古くて新しい風を吹かせてほしい.