救命救急のための呼吸・循環動態シミュレータ SIM COEUR

可能性としてのSIM COEUR

東京医科大学 救急医学
教授 行岡哲男

 救急診療の最中には、誤りのない正しい判断は原理的に得ることができません。全ての判断は誤っている可能性があります。しかし、救急診療の最中には、妥当な判断を常に得ることができます。
 この妥当な判断とは、救急担当医が正しいと信じ、かつ、救急医学に照らし合わせて正しいと言える判断です。すなわち、これは主観的にも客観的にもその妥当性が否定できない判断だと言えます。では、この妥当な判断を得るために、救急担当医はどのような努力を行うべきでしょうか。
 まず、自在に使える医学知識が必要です。これは教科書や専門書から系統的に医学知識を得たり、知識の乏しい領域を計画的に補強することが可能です。また、新しい文献により、常に知識内容をバージョンアップすることも可能です。
 この医学知識を活かすには、臨床経験の蓄積が必要なことも明らかです。しかし、この臨床経験は日々の救急診療の中で積み上げられるものです。したがって、系統的な教育や、未経験な領域を補強するというかたちでの教育は計画を立てることは簡単ですが、これを確実に実行することは結構大変です。特に、予期しない急変や非日常的な事態を計画的に経験することはできません。
 さらに、自分の判断に不都合があった時これを補正することが必要ですが、これも事前に計画して教育できるような性格ものではありません。もし、パイロット訓練のためのフライトシミュレータのような教育機器があれば、危機的状態を経験でき有用だと思います。

 1988年の秋に、アメリカ ミシシッピー州ジャクソンという街に循環生理学のGuyton教授を訪ねました。この時“HUMAN”と名付けられたコンピュータプログラムを紹介されました。
 これは循環動態のシミュレーションプログラムで、8項目の生理学的パラメータが1分毎に算出され画面に表示されます。一見は数字の羅列ですが、良く見ると循環動態の時々刻々の変化が読みとれます。Guyton教授は「これでシミュレーション実験をして、その後に動物実験をします。もし、両者の結果が大きく違えば未知の因子が存在することになります。」と話されていました。また、出血や心不全等では正確なシミュレーションが可能だとも話されていました。
 このプログラムを基礎にすれば、救急の臨床教育を補完する教育プログラムを創ることが可能ではないかと思ったのはその時です。“HUMAN”はあくまでも生理学教室での模擬実験用のプログラムであり、マンマシンインターフエイスを配慮して作られたわけではありません。しかし、これを改良すれば、現実感のある教育機器になるのではと考えました。
 その後、Guyton教授とその共同研究者であったColeman教授から、“HUMAN”のソースコードを提供していただき救急診療の教育プログラムの開発を始めました。“HUMAN”の発展版である“QCP”も参考にして、生理学的パラメーターを追加して作成したのが、このSIM COEURです。

 SIM COEURでは、近未来に行われるかもしれない遠隔地からの救急医療の支援活動が状況設定として与えられます。送られて来るデータを診て、判断し治療を指示します。治療の遅れや、間違った治療を行ったときのリカバリーも試すことができます。勿論、典型的な救急症例に対するスタンダードな診療も繰り返し体験することができます。このSIM COEURは、いろんな使い方ができると思います。製作者の発想を飛び越えて、このプログラムが創造的に有意義に使われることを願っています。