救命救急のための呼吸・循環動態シミュレータ SIM COEUR

推薦のことば

大阪大学医学部救急医学・同附属病院特殊救急部
教授 杉本 壽

 救命救急は緊急性という横糸と重症度という縦糸とが何層にも織りなされた錦織の如くである。その図柄は千差万別で、色彩は多彩である。表面に現れた図柄や色彩に目を奪われると、治療は支離滅裂となる。その織物がどの様な糸から織り出されているかを見抜くことが大切である。
 この作業は病態解析と呼ばれる。救命救急は病態解析に基づいた適切な治療を行ってはじめて成功する。
 多種多様な病態を正確に解析するためには基礎ならびに臨床医学の広範な領域にわたる知識が必要である。まずはこれらの知識を獲得しなければならない。
 次には獲得した知識を応用し活用する能力を養うことが必要である。数学の公式を知っていても複雑な応用問題は解けないことを思えばこれは当然のことである。応用能力は実践を通じて初めて磨かれる。これは決して容易なことではない。ことに緊急性が高い呼吸や循環危機では難しい。瞬時に病態を解析し対処することが求められる上に、判断の誤りが死に直結するからである。屍の山を築かないためには、優れた指導者のもとでの実地修練を欠かすことができない。
 これは確かに正論ではあるが、他の領域、例えば航空機のパイロットや宇宙飛行士の訓練などと比べれば、いかにも旧態依然の徒弟制度の発想そのものである。「もう少し効率の良い方法はないものだろうか?」と、誰もが考える。この要望に応えるべく登場したのがこのシミュレータである。

 このシミュレータには私は特別な思いを持っている。話は約十年前にさかのぼる。このシミュレータの開発に中心的役割を果たした行岡先生と一緒に私はミシシッピ大学のGuyton教授を訪れた。このとき、“HUMAN”という生理学のシミュレーションソフトが示された。その完成度に大変ショックを受けた。そのときに頂いたそのソフトの概念図は今も机に張り付けられている。もう随分と黄ばんでいる。このソフトはその後も改良が加えられ、進化したと聞く。
 昨年、行岡先生から救命救急用のシミュレータが送られてきた。Guytonモデルを基礎に発展させたものだという。半分眉唾で走らせてみて驚いた。実に面白いのである。これならシミュレータとして、十分に役立つと確信した。教室員にも感想を聞いたが、時々死ぬのが気に入らないが、上出来だと言う。

 このシミュレータには様々な可能性がある。まず第一は、本来のシミュレータとして訓練に用いることである。この場合は、治療が首尾良く成功するよりも、患者が死んだ場合の方が得るところが多いであろう。漠然と読むと催眠効果しかない医学書も、問題意識を持って読むと知識が目に飛び込んできて、勝手に記銘される。それも一旦加工された知識となって頭の中に蓄積され、出し入れ自由になる。これが生きた知識である。シミュレータではいくら屍の山を築いても非難されることはない。
 第二は、研究の補助手段としてである。生体は極めて複雑な系である。医学の進歩は近年目覚ましいが、生体現象を全て解明するにはまだまだほど遠い。現在の知識をもとに開発された以上、宿命的にそのソフトにも限界がある。その上、個体差の問題もある。したがって実際の患者がこのシミュレータ通りにならないことがあるのは当然といえる。むしろ、シミュレータ通りでないことの方が重要である。そこから未知の因子の介在が予測できるからである。
 第三はシミュレータの進化である。ソフトには必ずバグがある。また予測しないことが起こりうる。これらは実際の使用を通じて改良を加えて行くしかない。問題点に気付けば遠慮なく指摘することである。それによって、このソフトはより優れたものになるであろう。こうしたシミュレータの役割は医学教育では今後ますます重要になる。その先進的な役割をこのCD-ROMは担っている。もし成功すれば他の教育分野にも大きな影響を与えるであろう。その意味でも、このシミュレータを立派なものに皆で育てるという意識が大切である。
 最後になるが、シミュレータはあくまで擬似体験である。畳の上の水練に止まってはならない。並行して実際の患者を熱心に治療して、初めてその真価が発揮される。