AI技術と人間の読解力(井部俊子)
連載
2019.06.24
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部 俊子 長野保健医療大学教授 聖路加国際大学名誉教授 |
(前回よりつづく)
2019年4月から始まった新幹線通勤は,私にまとまった読書の時間をもたらしてくれる。先日は,村上春樹の人気小説『ねじまき鳥クロニクル』全3巻(新潮文庫)を読み終わった。そのあと,活字を持ち歩いていないと落ち着かない私が東京駅構内の本屋でみつけたのが,新井紀子さんの著書『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)である。私は以前に,日本看護管理学会(2016年8月,横浜)の特別講演で座長をした時に新井さんとお知り合いになった(ご本人は覚えていないと思うが)。
新井さんのご専門は数理論理学であり,2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを務めている。日本看護管理学会でも「東ロボくん」の話をされた。当時はAIが今ほど普及していなかった頃であり,その歯切れのよいわかりやすい講演は座長として印象に残っている。新井さんは「東ロボくん」を「彼は」と言うので,「東ロボくんは男性なのですか」と問うた記憶がある。そのようなつながりで,今回本屋の店頭で手にした本は,私にとって講演のその後の状況を知る格好の“文献”となった。
AIの現状と誤解
筆者はまず議論の行き違いを防ぐために確認しておきたいこととして,AIとシンギュラリティを論ずる。AIはartificial intelligenceの略であるが,一般的な和訳は人工知能であり,知能を持ったコンピューターという意味で使われている。しかし,コンピューターがしているのは計算であり,もっと正確に言えば四則演算であるから,「(人間の一般的な知能と同等レベルの能力を持った)AIはまだどこにも存在していない」のである。しかも「近未来に人工知能が誕生することはありません」と断言している。「AI」と「AI技術」が混同して使われているため,ちまたにはAIという言葉が氾濫しているのだという。
AIを実現するために開発されているさまざまな技術がAI技術であり,近年よく知られるようになったのは,音声認識技術,自然言語処理技術,画像処理技術である。スマートフォンに話し掛けるといろんなことを教えてくれるSiri(シリ)には音声認識技術と自然言語処理技術が使われている。AI技術をAIと呼ぶことで,実際には存在しないAIがすでに存在している,もしくは近い将来に登場するという思い違いが生じており,その結果,近未来社会では人間の仕事が「すべて」AIに代替されるというような誤解を生んでいると警告する。
AIに関連する言葉で関心を集めているシンギュラリティ(singularity)とは,真の意味でのAIが人間の能力を超える地点という意味で用いられているが,そもそも「人間の能力を超える」ことがどういうことなのかが判明していないという。筆者は,数学者として,「シンギュラリティは来ない」と断言する。つまり,「真の意味でのAI」が人間と同等の知能を得るには,私たちの脳が意識/無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換えることができることを意味するが,今のところ,数学で数式に置き換え可能なのは,論理,統計,確率であって,すべての認識をこれらに還元することはできないという。
中高生の読解力の低下
そして,残る問題は,ただの計算機にすぎないAIに代替されない人間が,今の社会にどのくらいいるのかということになる。AIに代替されない「残る仕事」の共通点は「コミュニケーション能力や理解力を求められる仕事や,介護や畦(あぜ)の草抜きのような柔軟な判断力が求められる肉体労働が多そう」だという。つまり「高度な読解力と常識,加えて人間らしい柔軟な判断が要求される分野」である。
ところが,日本の中高生の読解力は危機的な状況にあるという。この現実を筆者らの一大プロジェクトである全国2万5000人の「基礎的読解力調査」が説明する。本書では例題の解答が丁寧に説明されていて大変興味深いのであるが,本稿ではその部分を割愛して,一足飛びに「わかったこと」を引用する。
・中学校を卒業する段階で,約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない。
・学力中位の高校でも,半数以上が内容理解を要する読解はできない。
・進学率100%の進学校でも,内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である。
・読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
・読解能力値は高校では向上していない。
・貧困は読解能力値にマイナスの影響を与えている可能性が高い。
・通塾の有無と読解能力値は無関係。
・読書の好き嫌い,科目の得意不得意,1日のスマートフォンの利用時間や学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力に相関はない。
学校教育に必要なことは,「一に読解,二に読解,三,四は遊びで,五に算数」であるとし,「遊び」は手先や身体を動かす,モノに頼らない遊びであり,日本の学校が誇る給食当番や掃除当番などの班活動がよく,それ以外のものは要らないと筆者は主張する。
私が担当している看護学概論の授業のなかで,ヘンダーソンの看護の独自の機能に「その人が必要なだけの体力と意志力と知識を持っていれば,これらの生活行動は他者の援助を得なくても可能であろう。この援助は,その人ができるだけ早く自立できるようにしむけるやり方で行う」という記述がある。学生たちがこの記述をどのように“読解”したのかを問わねばなるまい。
(つづく)
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