医学界新聞

対談・座談会

2019.01.21



【対談】

介護は程よく明るく,時に笑いを

黒川 由紀子氏(慶成会老年学研究所 所長)
阿川 佐和子氏(エッセイスト・作家)


 認知症とともに生きる本人・家族の生活の豊かさを,家族や医療者はどう導き伸ばせるだろうか。

 作家,エッセイスト,キャスター,さらには女優として幅広く活躍する阿川佐和子氏は,94歳で亡くなった父・弘之氏を看取り,今は認知症の母を介護する。その体験を『看る力』(文春新書)で語り,認知症の母との生活を小説『ことことこーこ』(KADOKAWA)で描いた。高齢者心理の専門家で,このたび『認知症の心理アセスメント はじめの一歩』(医学書院)をまとめた黒川由紀子氏が,インタビューの名手として知られ普段は聞き手に立つことの多い,旧知の仲でもある阿川氏に,介護を担う家族の現実,触れた医療の世界,そして理想の老いについて聞いた。


黒川 阿川さんは,作家やインタビュアーとして多方面で活躍する傍ら,ご両親を介護され「ケアする心」のかたまりを持ったような方だと私は感じています。

阿川 そんなことはないですよ。介護は報われないことも多いからこそ,笑いや楽しさに何とかつなげないと,こっちが持たないと思っているだけでして。

黒川 認知症介護を身近に感じたきっかけはいつですか?

阿川 「これが,介護かな」と感じたのは2005年,広島で一人暮らしをしていた当時97歳の伯母が転倒して救急車で運ばれたあたりからです。それ以降,高齢の伯母をチェックするために新幹線でたびたび広島へ行っていたのですが,ある時「午後に着くからね」と伝えていたにもかかわらず,朝からずっと台所で待っていたらしく,私が着くなり「アンタはちっとも来ない」とものすごく怒っていて。そんな怒り方はそれまでなかったので……。

黒川 これは様子がおかしいなと。

阿川 ええ。また別の日には,「昨日ね,病院へ行ったら待合室でずっと待たされて,気がついたら私だけになっていて,もう真っ暗になってるのに誰も呼んでくれんかったのよ」なんて言い出した。最初,私もその話を真に受けたんですが,どうやら認知症の初期症状だったみたいで。その後,伯母を東京に連れてくるべきか,でも住み慣れた広島から移したらもっと混乱するかとか,いろいろ考えているうちに伯母が家での転倒を繰り返すようになって。ようやく県内の老健施設に入居させてからは落ち着き,現在110歳でまだ生きております(笑)。

認知症介護に正面から向き合う

黒川 それから,阿川さんのご両親の介護も始まったわけですね。

阿川 はい。2011年の秋頃に母が心筋梗塞で手術を受け,その年の冬に父が転倒して緊急入院しました。今思えば伯母の介護がいい意味で「予行演習」になりました。でも「いずれ親を介護する時が来るんだろう」と若い頃から覚悟ができていれば,もっと用意周到にいったかもしれませんけれどね。

黒川 実際は考えたくないものです。

阿川 「その時が来たら……」とつい先延ばししていましたから。

黒川 漠然と考えると恐怖心だけが膨らんでしまいます。実際にお母様の認知症に気づき,専門家を受診したのはいつでしょう。

阿川 認知症には気づいても,それが病気だという認識はないですからねえ。病院へ行くという考えは,当初は全くありませんでした。

黒川 家族であり,まして娘の立場では認知症だとはそもそも思いたくないものですよね。

阿川 私も最初のうちは,もしかしてトレーニングすれば元に戻るんじゃないかと思って,脳トレのドリルをやらせてみたりクイズを出したりしていました。父も弟も,学習させれば治るんじゃないかと思うらしく,「さっき覚えていると言ったのはウソか? どうして忘れるんだ? もう一度,やってみなさい」なんてきつく叱りつけたり。

黒川 事実を伝え,現実を認識させたい。お父様も認知機能が回復すると信じていらしたのでしょう。

阿川 ある日,家族で食事に行くと,母が「あら,このお店,前にも来たわね」と。すると父が「いや,ここは初めてだ」「いえ,来たことありますよ」「何を言っているんだ。初めてだといったら初めてだ」「でも私は…‥」なんて言い合いになって,とうとう母が泣き出す大騒ぎに。父は母に真実を理解させようとするんですけど,母にはもう無理だったんですね。私も母の間違いをおおらかに受け止めようと思いながらも,何度も同じことを言われたりすぐに忘れちゃったりする母を見ていると,ついイライラして言葉も態度もきつくなることが多かった。認知症の初期って,当人もまだ自分のそういう状態に慣れていなくて,半ばしっかりしているところも残っているだけに,不安ともどかしさが募るからイライラするし,家族は家族でショックが大きいから精神状態が不安定になるし。互いに一番不安定な時期だから衝突が多くなりましたね。

黒川 お母様もご自身の物忘れをうすうす自覚し始めた時期だけに,なおさらショックだったのでしょうね。

阿川 そうだと思います。モノがあふれた母の部屋をこっそり片付けたとき,古いレシートや手紙の間から母の手書きのメモを見つけたんです。そこに「バカ,バカ,バカ。どんどん忘れる」とか「忘れないこと! ○○さんへお礼状」とか,小さな字で書いてあって。びっくりしました。自分が忘れることをこんなに怖れていたんだと思ったら泣けました。

黒川 メモを発見したときは切なかったと思います。それでも,ご家族はお母様の変化に正面から向き合い接してこられた様子が伝わります。

明るい性格なら,「まあいいか!」

阿川 そんな状況が続いて1年近く経ってから,友達に教えられたんです。「認知症の進行を遅らせる薬があるよ。病院で診てもらったら?」って。ならば試しに行ってみるかと,心臓の手術でお世話になった先生に紹介していただき,神経内科を訪ねて脳の検査を受けた上で,アルツハイマー型認知症と診断されました。で,お薬を処方してもらって。その薬が効いたのかはよくわかりませんけれど,最初の認知症の気づきからすでに7~8年経っているにしては進行が穏やかではないかと思っています。初期は怒りっぽかった母も,最近はひたすら明るくて。怒ったりひがんだり機嫌を悪くしたりってことは全くないです。時々話は混乱しますけど。その混乱具合に自分でも笑ったりしていますから。そのくせ,けっこう切り返しが鋭いんです。案外,頭がしっかりしてるぞって思う部分もあって。

黒川 それは救いですね。

阿川 この間もあいさつ代わりに,私が自分の鼻に指を当てて,「誰だかわかってる?」って聞いたら「うーん,それは鼻」って。「違う! 誰ですか?」「娘さん」とかね。「じゃ,母さん,今いくつ? 生年月日言える?」と質問すると,にやっと笑って「私がぼけたら困るんでしょ」(笑)。本当に知恵が回るから,しょっちゅう笑わされています。確かに母が認知症になったときは悲しかったし,切なかった。でも,なっちゃったらもう仕方ない。今,ガハガハ笑えることをありがたいと思って,それを楽しむようにしています。

黒川 それは素晴らしい視点です。

阿川 フランスの高齢者ケア技術「ユマニチュード」を日本に紹介した本田美和子先生(東京医療センター)とイヴ・ジネストさんから,認知症ケアのお話を『週刊文春』の対談で伺い,目からウロコでした。そこで早速実践してみようと思い,朝,寝室から出てきた母に向かってなるべく遠くからニコニコと,膝を曲げて視線の高さを母にそろえて「おはよう,母さん」「おはよう,おはよう」って迎えてみた。そしたら母も両手を広げて膝を曲げるので,また私が膝を曲げ,二人がどんどん小さくなっていった末に,母がキョトンとした顔で,「あんた,何やってんの? バカみたい」だって(笑)。

黒川 笑いの生まれるやりとりから朝が始まっていますね。

阿川 あとは,しつこくハグしたり,くすぐったり,おへそ探しごっこをしたり。赤ちゃんを笑わせるようなことを何度も繰り返したりして,できるだけ母を大笑いさせようとしてみるんです。元には戻らなくても感情豊かに生活するほうがいいような気がして。いつか感情の起伏もなくなってしまうかと思うと,今の母のけっこうシャープな反応は貴重だと思いますからね。

黒川 ユマニチュードのエッセンスを日々の介護に取り入れ実践されている。それによってお母様が元々得意とした,目の前の人と明るく豊かな関係を築くことを上手に引き出しています。

阿川 それでも,だんだん進行しているなと気づくことがあるんですが,過去の栄光にすがっても情けなくなるだけなので。今を楽しく生きていればそれで十分。まあ,いいかって気分です。

「できないこと」ではなく,「できること」を評価する

黒川 実は今日,ご両親の介護を通じて医療の世界と深いかかわりを持った阿川さんが,医療にどのような印象をお持ちかお聞きしたいと思っていました。

阿川 認知症の病名が付けばマニュアルに沿って決められた手順でケアが進められますね。医療側に決まりごとが必要なのは理解できます。でも,認知症患者も十人十色。私の母みたいに明るい人もいれば,そうではない人もいるだろうし,日常生活でできる範囲は人それぞれ異なります。

 あと,データに頼って物事を判断し過ぎているのではと感じることがあります。これは医療に限らず,現代の社会全体に通じることかもしれません。何かを判断する要素として平均があれば「なるほどね」と納得できます。けれども,その平均値が実際役に立つかといえば,役に立たないことのほうが多いですからね。

黒川 おっしゃるとおりです。集めたデータから出された正規分布では平均や中央値に目が行きがちですが,外れ値にも大きなクリエイティビティが潜んでいる。いわゆるポジティブ・デビアンスの考えです。例えば,栄養が行き届かない貧困地域で,多数の子どもが栄養失調になっているデータがあるとします。外れ値の小さな値に注目し,そこに栄養失調ではない子がいれば,その母親が何をしているかを観察して全体の底上げにつながる知恵やヒントが得られています。

 少数の好例にもっと注目する視点がないと,医療者や患者・家族もデータの渦に巻き込まれ窮屈に感じてしまうでしょう。標準医療に基づくかかわりが誰にでも当てはまるとは限りません。

阿川 やっぱりそうですか。母は認知症になってから台所仕事を一切しなくなりました。「もう疲れちゃった,明日やる」って私に甘えるんです。ところが,弟一家がやってくると急にキビキビ動いて料理を始める。台所仕事は女性の役割との認識が根底に残っているのでしょうね。男性の前ではシャンとするし,あいさつもしっかりする。できる/できないで線を引くのではなく,できることをその都度評価しないといけないと思うんです。

黒川 できることに目を向けられれば,きっとお互いに生活がしやすくなるはずです。

阿川 母は庭仕事が好きで,物忘れが進んでも花の手入れを続けていました。転んだら危ないから,さすがにやめさせようと考えた時期もありました。

黒川 ケアする側は,安心ですからね。

阿川 でも,庭に出るのが楽しいと思っているうちは周りが注意して見ていれば済む話で。人それぞれ,今まで蓄積してきた生活スタイルがあって,それをなるべく崩さないよう守ってあげるのもケアする側の役割だと思うんです。今はひたすら介護する側の合理性を優先し過ぎているような気がします。

黒川 私が専門とする認知症患者の心理ケアアセスメントも,検査を“やりっ放し”では,その人は何ができる/できないかを測るだけで終わってしまいます。生活の中でできることを伸ばし,できないことを補う目的を持って心理職も検査をしなければなりません。

阿川 平均ではとらえきれない面白いことや大切な情報が,実はたくさん転がっているのではないでしょうか。

人生で大切にしてきたことを解き放てる医療・介護の環境を

黒川 もし阿川さんが介護される立場となったら,どのような暮らしを望みますか?

阿川 好きなことができる。これが一番いいな。私だったらゴルフ。ロクに飛びもしないゴルフ好きの高齢者を集めて,「さあ,今日も行くぞ」と(笑)。

 ウィーンには高齢となった音楽家たちが暮らす施設があって,入所者が演奏して過ごせるそうなんです。自分たちが若い頃から職業としてきたことを,高齢になっても必要とされる生活がある。これは理想だなと思いました。

黒川 好きなことを禁止するのではなく,人生で大切にしてきたことを普段の生活の中でも楽しめる。そんな解き放たれた環境で過ごせるといいですね。

阿川 高齢者施設というと,お決まりのように童謡を歌わせたり,手をつないでフォークダンスを踊らせたりするでしょう。でも,今の70代はジーンズをはき始め,ロックで育った世代なんですから。そもそも音楽の趣味だって全然違う。「老人はこれ」と固定観念にとらわれない魅力的なケアがもう少し必要なはずです。

黒川 自由がたくさん手に入り始めた社会を過ごした世代の,多様なニーズをくんだサービスを考えたいですね。

阿川 病室も,そもそも自分の部屋とは違う非日常の空間なので,もう少し希望が叶えられるといいなと思います。

 父は入院中,病室に自分の好きな絵を飾らせてもらいました。ずいぶん雰囲気が変わって,何となく父の部屋にいるような感じになったのです。「絵一枚でこんな簡単に変わるんだ!」と。

黒川 毎日過ごす場所だからこそ,好きなことが可能な範囲で許されれば生活は一層豊かに感じられる。高齢で介護が必要になったとたん,本人の自由度がぐっと減るのは見直したいですね。

黒川 阿川さんは,伯母様の介護経験や友人の情報を踏まえ,ユマニチュードなど専門的知識も集めながらご両親のそばに寄り添いケアの工夫を見いだしてこられました。大変な中でも面白さを見つけ,笑いを生み,時に本音を程よく明るく出しながら。

阿川 家族の介護でやむを得ず退職する人も多いそうですね。でも,それって悪循環だと思うんです。多忙でも気分転換の場所を持つことは大切ですよ。一人で抱え込んでしまうと,自分だけが不幸だと思ってますますつらくなっちゃうから。何とか周りの人の助けを借りて,外に出て人に会えば自分の今置かれた立場を相対化でき,時に楽になることもあるはずなんです。

黒川 そうですね。患者さんやご家族が暮らしに満足な状態に置かれているか,当事者の声を聞く役割が私たち医療者には今後ますます求められます。専門職も自分自身の生活に潤いを持つことで,他者をケアする際の余裕や閃きが生まれるのかもしれませんね。

対談を終えて

 明るくお茶目で気配り抜群,頭の回転が速く働き者の阿川さん。忙しい日々,多くの仕事をこなしながら「明るい介護」をめざす語りに引き込まれ,あっと言う間に時が過ぎた。日本語に厳しい父による英才教育を受けたせいか,切れ味抜群の言葉で,山あり谷ありの体験を語ってくださった。聞き上手で知られるが,話し上手でもある。プライベートな時間には,「しゃべり過ぎ。人の話も聞いて!」と注意されることもある。次は『話す力』を書いてみては。認知症の心理アセスメントに基づく「少し明るく,時に笑いのある介護」が広まりますように。

(黒川由紀子)

(了)


くろかわ・ゆきこ氏
1979年東大教育学部教育心理学科卒。博士(保健学)。臨床心理士。東大医学部精神医学教室,大正大教授,上智大総合人間科学部心理学科教授を経て,2018年より現職。上智大名誉教授。米ミシガン大老年学夏期セミナー運営委員などを務めた。著書に『認知症と回想法』(金剛出版),『いちばん未来のアイデアブック』(木楽舎),『高齢者のマインドフルネス認知療法』(誠信書房),『認知症の心理アセスメント はじめの一歩』(医学書院)など多数。

あがわ・さわこ氏
1976年慶大文学部西洋史学科卒。『ああ言えばこう食う』(檀ふみ氏との共著,集英社)で講談社エッセイ賞,『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞,『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。2012年『聞く力』(文春新書)が年間ベストセラー1位に。14年菊池寛賞を受賞。近著に『正義のセ』(KADOKAWA),『強父論』(文春文庫),大塚宣夫医師との対談『看る力』(文春新書),認知症の母との生活を描いた小説『ことことこーこ』(KADOKAWA)など。

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