医学界新聞

インタビュー

2018.12.03



【interview】

慢性痛への挑戦
サイエンスの視点から新たな治療戦略を考える

半場 道子氏(福島県立医科大学整形外科学講座客員講師)に聞く


 「老人とは何か。それは痛い,ということだ」(副島隆彦著『老人一年生』,幻冬舎より)――。痛みは,超高齢社会と切っても切り離せないテーマだ。中でも慢性痛の国内の有病率は成人人口の20%を超えると推定され,大きな問題となっている。しかし慢性痛は,急性痛のようにはっきりした痛みの源が見つからないことがあり,治療は一筋縄ではいかない。長年,慢性痛を研究し,『慢性痛のサイエンス――脳からみた痛みの機序と治療戦略』(医学書院)を執筆した半場道子氏に,慢性痛の機序と新たな治療戦略をサイエンスの視点からお話しいただいた。


痛み研究の「解けない謎」に挑む

――半場先生は,日本における痛み研究の草分け的存在です。

半場 痛みは,太古から人類を苦しめてきましたが,痛みの神経科学研究が始まったのはわずか40年ほど前,国際疼痛学会が設立されてからです。以来,急性痛は機序解明が進み治療薬や治療法が開発されました。しかし,急性期の痛みがある時期を過ぎると性格を変え,鎮痛薬の効かない慢性痛に変化する機序は,長い歳月,解けない謎でした。痛み研究の世界的な先駆者,ウォールP. D.(1925~2001年)が,著書『The Challenge of Pain』(邦訳=『痛みへの挑戦』,誠信書房)で,「慢性痛Epidemicへの戦争」を予見していたにもかかわらずです。

――予見どおり,慢性痛は大きな問題になりました。日本の慢性痛患者数は約2300万人,成人の22.5%と推定されています1)

半場 慢性痛は世界各国においても大きな問題です。米国の試算では,慢性痛の医療費と経済的損失額は合わせて年間6400億ドルと算出され,これは心臓病の2.1倍,がんの2.6倍です2)

 近年,fMRIやPETを用いた脳画像によってヒトの脳内活動をリアルタイムで知ることができるようになりました。慢性痛の脳内活動を明らかにし,解けない謎へ挑むときが来たのです。

非器質性慢性痛と疼痛抑制機構の関係は

――著書『慢性痛のサイエンス』では,慢性痛を生起機序から,侵害受容性の慢性痛,神経障害性の慢性痛,非器質性の慢性痛の3つに分類しています。非器質性の慢性痛は新たな概念です。どのような痛みですか。

半場 慢性腰痛や線維筋痛症の例に見られる,末梢組織のどこにも損傷が見られず痛みの源が同定されないのに,痛みを訴える場合です。受傷した傷口が癒え,あるいは手術によって痛みの源が除去された後も痛みを訴え,医療機関を転々とします。このような慢性痛は昔から「謎」とされてきました。

――このとき,脳内では何が起きているのでしょう。

半場 組織が侵襲されると侵害信号が脊髄,視床を経て,大脳皮質感覚野に伝わり,痛いという感覚が生じます。侵害受容性の痛み,神経障害性の痛みの場合,脳画像で視床や感覚野に賦活が見られます。しかし,非器質性の痛みでは視床や感覚野の賦活は見られません。それにもかかわらず,本人は痛いと訴えるのです。

――痛みのシグナルがないのに痛むのはなぜでしょうか。

半場 脳は何千万年という進化の過程を経て,疼痛抑制機構を発達させてきました。そのおかげで,私たちがケガした際の痛みもかなり軽減されています。この機構は「快の情動系」と「下行性疼痛抑制系」で構成されます3)。快の情動系は,エサや水など報酬が期待されるときに活性化する原始的な系で,報酬系とも呼ばれます。

――疼痛抑制機構が慢性痛とどのようにかかわっているのですか。

半場 快の情動系は,痛みに対する恐怖,手術への不安,怯えなど負の情動が大きいと機能低下します。すると下行性疼痛抑制系も働きません。そのため器質的な痛みの源が全て取り除かれた後も,依然として全身の多領域の痛みを訴え続けます。

 慢性の関節痛を長年患っている約400人を対象にした調査で,痛みのない人に比べうつ病や不安障害などの併発例が2~3倍も多いとわかっています。痛みが続くと不安になり,救われない孤立感や恐怖感に襲われて,意欲や食欲の低下も招くのです。

高齢者の痛みと慢性炎症

半場 高齢者の慢性痛を増加させている要因のひとつに慢性炎症があり,こちらも超高齢社会で大きな問題となっています。

――慢性炎症はどのようなものなのでしょう。

半場 慢性炎症は,低程度の炎症が長期にわたってくすぶり続ける反応系です。発赤,発熱,腫脹が初期はほとんど目立たず,気付いたときには変形性関節症,神経変性疾患,各種がんなどが進行しています。

 変形性関節症は,股関節や膝の関節腔で軟骨の微小破片が炎症源になり,炎症反応が暴走します。初めのうちは痛みはなく,炎症性サイトカインによって軟骨下骨や靭帯に組織破壊が及ぶことで第二の炎症源となります。そして,侵害受容性の痛みがエンドレスに続きます。

――慢性炎症が高齢者で増えているのはなぜですか。

半場 座りすぎの生活が原因と指摘されています。高齢になると,1日の大半を座位姿勢で過ごす方が多いので筋萎縮が進みます。関節を支える抗重力筋が脆弱化すると関節軟骨の摩耗が進み,慢性炎症が加速します。そのため日常的に骨格筋をこまめに動かす習慣が年齢に関係なく必要です。体を動かせば骨格筋から転写調節因子の一種のPGC-1αが分泌されます。これは慢性炎症を抑制する作用があります。筋量を増加させ老化を防ぐ作用などもあるので,“super-healthyの秘薬”とも言われます。

――しかし,膝が痛いという患者に筋運動を促すのは難しいことです。

半場 膝や股関節が痛い人でも,座位姿勢で抗重力筋を鍛える運動から始めれば,次第に運動レベルを上げられます。高齢者でも骨格筋量は増加しますし,歩行距離を伸ばすこともできます。

対話による治療の必要性

――慢性痛治療のポイントは何ですか。

半場 まず大切なのは,急性痛の段階でできるだけ早期に痛みを遮断することです。痛みは火事に似ています。痛みのシグナルは上位脳回路網に変化を起こし慢性痛に転化し,より対処が難しくなってしまうからです。神経障害性の痛みは特に脳への影響が大きいので,抗けいれん薬などを使って,早期に痛みを遮断する必要があります。

――非器質性の慢性痛に転化した場合は,どのような治療が効果的ですか。

半場 抗うつ薬などの薬物療法,筋運動,認知行動療法やマインドフルネスなどが挙げられます。複数の診療科の医師や医療スタッフがチームを組んで治療に当たる集学的治療も行われます。筋運動が生体にもたらす好効果は先に説明しました。

――認知行動療法は慢性痛治療にどのように役立ちますか。

半場 認知行動療法により負の情動に焦点を当て,心の持ち方をポジティブな方向へ向ける手助けをします。負の情動を抑えて快の情動系を活性化し,下行性疼痛抑制系の回復を助けるのです。その一環としてマインドフルネスも有効です。自分の呼吸に集中することで負の情動が抑えられるからです。

――前向きになることが慢性痛治療に大切なのですね。慢性痛患者に向き合う医療者が心掛けるべきことは何でしょう。

半場 慢性痛の機序を理解し,痛みの源が末梢組織に見当たらなくても痛いと感じている場合があると,まずお知りおきください。慢性痛治療にはNarrative-based Medicineが役立ちます。痛みの症状,生育歴,生活パターンなどを問診する間に痛み軽減のヒントが得られることが多いです。また,痛みを完全になくすことは望めなくても,痛みが軽減すれば一歩前進と受け入れ,生活を楽しむよう助言することも効果的です。医師に抱く信頼感が大きいほど,助言を通じて痛みの軽減に結び付くように思います。

(了)

参考文献
1)矢吹省司,他.日本における慢性疼痛保有者の実態調査――Pain in Japan 2010より.臨床整形外科.2012;47(2):127-34.
2)Nature.2016[PMID:27410529]
3)半場道子.痛みの新しい視点:Mesolimbic dopamine system.ペインクリニック.2012;33(2):229-38.


はんば・みちこ氏
静岡県立大薬学部卒業後,群馬大助手。同大大学院にて博士号取得(医学)。昭和大講師,東医歯大講師を経て現職。痛みの神経科学研究に長年にわたり尽力する。痛み研究の草分け的存在として臨床に神経科学を浸透させたこと,日本生理学会に「生理学女性研究者の会」を創設するなど,女性研究者の地位向上に努めたことが評価され,2018年に「山上の光賞」研究者部門を受賞。共訳に『痛みへの挑戦』(誠信書房),著書に『痛みのサイエンス』(新潮社),『慢性痛のサイエンス――脳からみた痛みの機序と治療戦略』(医学書院)など。

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