医学界新聞

連載

2017.07.17



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第49回】
エコノミカルなジェネシャリ

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 日本の医療費は増加し続けており,医療費の抑制は非常に大きな課題である。どのくらいの医療費が適正な医療費なのかについては諸説ある。が,医療費について全く無頓着であっても構わないという暴論を唱える人はそう多くはない(皆無ではないが)。

 プライマリ・ケア医の存在はゲートキーパーとして機能し,専門家へのアクセスを抑制し,よって医療費は下がる。これはぼくが研修医だった1990年代のアメリカでよく言われた言説だった。しかし,現実には「プライマリ・ケア医=ゲートキーパー」策は医療費抑制には効果がなかった。医療訴訟が非常に多いアメリカでは,リスクヘッジのためにほとんど無意味なコンサルテーションが専門医に連打され,結局多くの医者が関与する高コスト体質になってしまったのだ。

 日本の場合はゲートキーパーの仕組みはゆるい。大学病院のような特定機能病院は初診料の設定や紹介状の要求によってある程度の「ゲート」を作り,役割分担をしようとしている。とはいえ,初診料を払えば紹介状なしでの受診も可能だ。やはり日本は医療へのアクセスが極め付きに良い国だ。

 アクセスの良さは,一長一短だ。医療へのアクセスの良さは患者の過密を生み,受診,検査,処方での長い長い待ち時間を生み,患者一人当たりの診療時間の短縮や医療者の疲弊につながる。日本の医療の最大の武器は「アクセス」であるが,これが最大の弱点にもなっている。

 ぼくは10年ほど前,亀田総合病院にいたときから,患者の待ち時間を減らすにはどうしたらよいか,一生懸命考えてきた。亀田総合病院の外来の意見箱に寄せられる患者の苦情で一番多かったのが「待ち時間が長い」だったからだ。

 そもそも予約制をとっている業界で,サービスを提供する側が予約時間を守らずに,サービスを受ける人を何時間も待たせるのは日本の医療界だけである。美容院とか弁護士事務所でアポを取って,数時間も待たされたらもうそこには二度と行きたくないだろう。落語の「五貫裁き」じゃあるまいし,ずっと患者を待たせるのは「罪悪」と考えるべきだ。ぼくらは患者の善意に甘え過ぎなのである。

 その長い待ち時間に拍車を掛けるのが,大学病院などにありがちな「たらい回し」だ。患者の腎機能が低下したら腎臓内科紹介,血糖値が高くなれば糖尿病・内分泌内科紹介,脚が痛ければ整形外科,頭が痛ければ神経内科……次から次へと他科に紹介するから,患者は延々と待たされなければならない。また,そういう紹介によって同じ患者がいくつもの外来を受診するから,各科の待ち時間はさらに延びる。

 さらにひどいのは,診療科における細分化だ。「自分は血液内科医だけど,リンパ腫は診ない」「貧血は専門にしていない」と言われて,特定の血液内科医しか紹介できない。患者は他日,もう一度病院に来なければならない。医師の専門性が先鋭化されればされるほど,その医師は「そのシチュエーション」でしか使えなくなる。多発性骨髄腫しか診ない血液内科医では,使い勝手が悪いのである(まあ,日本に1人くらいはそういう尖った医者がいてもいいとは思うが)。

 第5回(本紙第3053号)で,大学病院こそポリバレントな能力が必要だという話をした。例えば,自分が診ている患者が風邪をひいたとしたら,その対応くらいは主治医の自分ができるべきだ。

 そして,ポリバレントな能力を持つ専門家,すなわちジェネシャリストは大学病院外来の経済性を上げる。全ての医者が軽度のCKD(chronic kidney disease),糖尿病,痛みなどの主訴に対応できる総合力を持っていれば,不要な紹介は減る。外来の重複(redundancy)はなくなる。よって外来患者リストは短くなり,待ち時間は減り,患者一人当たりの診療時間は延びる。

 紹介される患者を診なくて良くなるから,長い目で見ると各診療医の負担も減る。患者は病院のあちこちを歩き回り,たらい回しにされ,他日にまた病院に来る負担もなくなる。何より,自分の主治医は私(患者)の全体像を把握してくれる。腎機能に配慮して薬の量を調節し,血糖に配慮して栄養指導をしてくれ,転倒のリスクに配慮して降圧薬を調整してくれる。このような目配せの効いた医療は,ある特定の病気しか治療できない医者にはできない。

 もちろん,抱え込み過ぎはよくないから,専門性の高い問題は専門家に任せたほうがよいに決まっている。でも,ちょっと血糖が高いくらいで全部糖尿病の専門家に丸投げでは,その専門性がスポイルされてしまう。難治性のものだけに限定すべきだ。そして紹介を受ける専門家はその領域くらいはベーシックなマネジメントができるべきだ。貧血を診ることができない血液内科医は極めて不経済である。

 大学病院に通院する患者でシングル・イシューを抱えている患者はむしろまれな存在で,難治性の疾患はあちこちの臓器,システムに影響を与える。大学病院こそが,総合診療力を必要としているのである。もちろん,大学病院だから総合診療「だけ」しかできない医者は活躍しにくい。だから,ジェネシャリなのだ。

 地域医療においてもジェネシャリは有益だ。いろいろな主訴に対応できるポリバレントな能力があれば,たとえ医者の絶対数が少なくてもその地域での問題はうまくマネジメントできる可能性が高いからだ。「うちは呼吸器内科がないので,喘息は診られません」みたいな病院は地域医療にフィットしないのである。

 先日,家族が整形外科を受診した。すぐに治してくれた。直接整形外科医にかかれることのなんと素晴らしいことか。日本の医療アクセスの良さは恩恵だとぼくは思う。ゲートキーパーは監視社会的だ。マイクロマネジメントになって結局事務作業が増え,患者にストレスが掛かり過ぎて長期的にはうまくいかない(のがアメリカだ)。

 アクセスの良さをスポイルすることなく,金銭的,労働環境的な制限を乗り越えるためのシングルアンサーは存在しない。しかし,ジェネシャリは少なくとも,貴重な「回答の一つ」なのである。

今回よりiPadでイラストを描くようにしました(by もがみぢょーじ)。

つづく

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