医学界新聞

寄稿

2017.06.26



【寄稿】

ポライトネス理論でコミュニケーションの方略を明らかに

大西 美穂(名古屋短期大学英語コミュニケーション学科准教授)


 看護師が患者の意思決定を支援する際,高いコミュニケーション技術が必要になります。医療現場の看護師は実際にどのようなコミュニケーション技術を持っているのでしょうか。言語学を専門とする立場から見たその技術は,現場だけで共有されるには惜しいほど系統立ったものでした。

 コミュニケーション技術を分析する手段があれば,医療現場でその技を引き継ぐ努力と並行し,教育の場でも役立つのではないか。先ごろ上梓した共著『エキスパートナースの実践をポライトネス理論で読み解く』(医学書院)1)を企画した服部兼敏先生(前・神戸市看護大)のこうした思いに対し,言語学の立場から提案したのが「ポライトネス」と呼ばれる理論でした。

ポライトネスは人間関係を調整する理論

 ポライトネス理論とはどのようなものでしょうか。これは,言語の運用面をとらえるための理論で2),看護コミュニケーションの分析にも有効だと考えられます。ポライトネスという表現から,「丁寧さ」という日本語が想起されるかもしれませんが,丁寧さはこの理論のごく一部にすぎません。丁寧に遠慮がちに話せばいつでもうまくいくわけではなく,丁寧さが相手を遠ざけてしまう場合もありますし,かえって気をつかわせてしまうこともあります。むしろ「タメ口」や「冗談」によって会話がうまく運ぶ場面があることは,皆さんも経験したことがあるはずです。

 配慮という人間社会の現象を全体像としてとらえると,言語表現上の「丁寧さ」も「遠慮」も「タメ口」も「冗談」も,それぞれにふさわしい場面でバランスを取りながら発するべきもののようです。ポライトネス理論でこれらはいずれも「良好な人間関係を作り保つために人が使うコミュニケーション上の方略」であるとされ,人は各種の方略をうまく使い分けることで,人間関係を調整していると言えます。

 ポライトネス理論の特徴は,患者に限らず社会に生きる人々が一般に持つ「相反する2つの願望」を切り口としている点にあります。人は一方では,自分の自由な行動を邪魔されたり他人から負担を掛けられたりしたくないという願望を持っていますが,もう一方では,他人から関心を持たれたい,できれば賛同や称賛を得たいという願望を持っています。

 看護コミュニケーションにおいては,前者は患者の私生活や本心などの私的な領域へ踏み込むことの難しさとして認識されるでしょう。なかなか口を開いてくれなかったり,怒らせてしまったりすることもあるはずです。

 後者は患者の気持ちや希望をくみ,それらを受け入れ称賛する労力として認識されるでしょう。患者は,「病気の大変さを理解してほしい」「治療と生活を両立させている努力を認められたい」と考えていますから,これらを無視すると信頼を寄せてはくれません。

 相手を怒らせ信頼を失ってしまう問題は,医療上の問題というよりは人間関係上の問題です。ポライトネス理論がめざすのは,こうした人間関係の調整がどのように行われているかを明らかにし,説明することです。

 人間関係調整というタスクを抱え,人は合理的な解決方法としてさまざまな「方略」をひねり出します。その方略の多くは言語によるものです。そのいくつかを,上述の「相反する2つの願望」との関係から見てみましょう。

良好な関係を築くために知っておきたい2つのフェイス

 相反する2つの願望とは,通常「面目」や「顔」と言われているものです。これらをポライトネスの用語では「フェイス」と呼びます2)

 2つのフェイスのうち,積極的に相手とかかわり認め合う親密な関係を望む側面を「ポジティブ・フェイス」と呼びます。したがって,相手を仲間に入れ協力を惜しまないことは,相手のポジティブ・フェイスを満たすことになります。仲間外れにしたり無視したりすることは,相手のポジティブ・フェイスを損なうことになります。方略としては「関心を持って聞く」「ほめる」などがあります。逆に,「不同意」「批判」「軽蔑」「苦情」「叱責」などの行為はフェイス侵害になります。侵害を避ける方略としては,「不一致を避け,一致点を探す」などがあります。

 もう一つのフェイスは,互いに距離を取り相手を尊重するという消極的なかかわり方を望むもので,これを「ネガティブ・フェイス」と呼びます。例えば,相手から無理に話を聞き出すことは,相手のネガティブ・フェイスを侵害することになります。相手のネガティブ・フェイスを侵害する行為には,何かを押し付けたり強制したりする「命令」「要求」「提案」「アドバイス」「依頼」のようなものがあります。これらを回避する方略には「すみませんが」「面倒なことをお願いしますが」と前置きし,「相手の負担を予告する」というものがあります。また,「間接的に言う」こともネガティブ・フェイス侵害を回避する方略になります。

 伝えるべきことは伝えながらも良好な人間関係を維持できるよう,人間はコミュニケーション上の「方略」をいくつも持っているのです。

相手のフェイスに配慮し解決の糸口を見いだす

 では,ここで本書で扱った事例分析からコミュニケーションの方略を見てみましょう1)

事例】母親に悪い知らせを伝える手段としてセカンドオピニオンを利用しようと考える娘の相談

場所
A病院 相談支援センター(電話相談)

相談者の背景
他院に入院している患者の,実の娘

患者の背景
50代女性。胃がん腹膜播種。他院入院中。

相談に至る背景
患者の娘が,セカンドオピニオン外来の利用方法について知りたいとの趣旨で相談支援センターに電話をかけてきた。

 相談者(娘)は,母親(患者)が病状を知って絶望することを恐れ,母親と顔を合わせることさえできなくなっている上に,自身を不当に悪く評価しており,それがかえって問題を複雑にしている状況です。ここは,患者本人と主治医とを主役にして考えるように,相談者の考え方の調整をしたいところです。

 難しい点は,相談者に対し単刀直入に,また批判的に伝えるわけにはいかないことです。批判は相手のポジティブ・フェイス(賛同されたい欲求)を損なう危険性があるからです。しかも,すでに相談者は自分のポジティブ・フェイスを損なっている状態(自分で自分を批判している状態)にありますから,これ以上の批判は危険です。

 そこで,看護師は相談者のポジティブ・フェイスを回復するところから始めます。「私は逃げていた」と言う相談者に対し,看護師は「逃げることも必要なことがありますよ」と答えます。表現上は,「私は逃げていた」に対して「いいえ,あなたは逃げていません」と返すことは「否定」になります。「逃げることも必要」と肯定することで,相手のポジティブ・フェイスに配慮することになります。それは,相談者の考えや人間性を肯定することにもつながるのです。

 看護師は,患者(母親)自身が病気を受け入れる力を持っているかもしれないと感じます。少なくともこの相談者(娘)の考えには賛同していません。しかし,反論を直球で伝えることは,相手のポジティブ・フェイスを損なうことになりますので,別の方略を取ることになります。それは,ひとつの仮説を作り,提示することでした。ここで提示されたのは,「母親が家族に心配をかけないように,治療を頑張ろうとする」という構図です。娘のほうは母親を気遣い,事実を伝えることができないわけですが,母親のほうも家族を気遣って本心を言えないとしたらどうでしょう。互いに本心を打ち明け合ったほうが良いという方向性が暗に導き出されます。また,そうすれば第三者(セカンドオピニオン外来)が介入する必要もなくなります。

 仮説を提示することは,直言を避け遠回しに言うというネガティブ・ポライトネスの方略です。間接的に伝えることで,その先は相手が自分で考え,結論を出すことを促します。この事例でも,看護師はこの後,主治医から直接患者に話をしてもらうことを提案できました。

 ポライトネスは言語運用の理論であって,実践のための方法論ではありません。しかし,この理論が人間関係の調整というコミュニケーションにとっての基軸となり,患者との会話が難航したときに航路を示すものになることは間違いありません。

参考文献
1)舩田千秋,他.エキスパートナースの実践をポライトネス理論で読み解く――看護技術としてのコミュニケーション.医学書院;2017.
2)Brown P, Levinson SC. Politeness:Some Universals in Language Usage. Cambridge University Press;1987.


おおにし・みほ氏
2012年名大大学院国際言語文化研究科博士後期課程修了。博士(文学)。同大学術研究員を経て13年より現職。専門は言語学,日本語学,語用論,認知言語学。研究領域は,文法構造と談話構造との関係解明。12年に服部兼敏氏による看護師の談話資料分析の共同研究に参画し,共著『エキスパートナースの実践をポライトネス理論で読み解く』(医学書院)を執筆。他に共著『認知言語学論考 No. 11』(ひつじ書房)がある。

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