医学界新聞

2017.01.16



Medical Library 書評・新刊案内


災害時のメンタルヘルス

酒井 明夫,丹羽 真一,松岡 洋夫 監修
大塚 耕太郎,加藤 寛,金 吉晴,松本 和紀 編

《評 者》三國 雅彦(函館渡辺病院副理事長/名誉院長)

災害精神支援学の到達点

 熊本地震で被災された皆さまにこころからのお見舞いを申し上げます。また,被災者のメンタルヘルスの活動に当たっておられる方々にこころからの敬意を表するとともに,くれぐれもご自愛くださいますようお祈り申し上げます。

 このたびの熊本地震における地元の精神科病院間の患者移送などの連携の様子,また災害派遣精神医療チーム(Disaster Psychiatric Assistance Team;DPAT)の活動ならびに熊本大と九州各地の大学,自治体病院精神科などとの連携を伺い,阪神淡路大震災や2回の中越地震での経験を生かして,東日本大震災後に展開された急性期,中長期のこころのケアに関する活動の蓄積の成果が熊本で生かされていると実感しています。東日本大震災でのメンタルヘルスに対応した活動が,わが国の災害精神支援学の確立に大きく寄与していることは間違いなく,そのとき,小生も第107回日本精神神経学会の学会長として危機管理と災害支援に緊急に取り組むことになりました。学術総会の秋への延期や復興支援対策ワークショップの緊急開催,その集会での学会声明「こころの健康は国の財産であり,宝であります。今回の大震災で失われた精神医療保健福祉の再構築による安心・安全な地域への再生を復興プログラムに盛り込むべきである」の取りまとめ,災害支援事業の実施,文科省への災害精神支援学講座新設の要望など,慌ただしくしていました。

 ちょうどその頃,詩人島田陽子の病への恐怖の詩「滝は滝になりたくてなったのではない/落ちなければならないことなど/崖っぷちに来るまで知らなかったのだ/まっさかさまに/落ちて落ちて落ちて/たたきつけられた奈落に/思いがけない平安が待っていた/新しい旅も用意されていた/岩を縫って川は再び走りはじめる」(島田陽子詩集,2013年より引用)を思い起こして,東日本大震災後にも思いがけない平安が待っていて,また走り始めていけるように,困難の中でその準備ができればと願ったものでした。

 本書は2011年3月11日の東日本大震災の活動を通じて蓄積された多職種による臨床の知,さまざまな現場での社会的心理的支援の知の集大成となっており,災害精神支援学の実践の書であります。監修者は当時被災県の3大学で,全国の支援者と連携しながら地域のメンタルヘルスに教室員と共に取り組まれた精神医学講座担当者であり,編者や分担執筆者の多くの先生方も阪神淡路大震災や東日本大震災の被災者・支援者であった方々であり,両者の立場を理解し,苦労し尽くしてこられた方々です。したがって,被災者に対応するときの注意点やボランティア団体と連携して活動する際の留意点が要領よくまとめられています。また,東日本大震災で大きく注目された災害時の救援者・支援者のメンタルヘルスについても「惨事ストレスと支援者のケア」(p.39),「職域での支援」(p.128)の項で扱われており,今後に生かされていくものと確信しています。特に災害の緊急時においては子どもや老人,精神疾患患者が災害弱者となりやすいことからこころのケアが必須となり,精神疾患の発症予防,増悪防止の精神医療・保健福祉活動が求められます。したがって,医師,保健師,精神保健福祉士などの多職種による科学的なエビデンスに基づく災害時のこころのケアの実践が必須となり,本書はその指針を明確に与えています。

 東日本大震災は原発事故を伴っていたことが被害を一層増大させ,復興遅延を起こしていますが,本書では原発事故との関連が触れられている点も特記しておきたいと存じます。ただ,東京電力,とりわけ福島第一原発で懸命に事故対応された職員へのメンタルヘルス活動の言及がないのは残念ですが,産業医大の先生方の貢献があったと仄聞しており,別の機会にお伺いできればと願っています。また,本書では,文科省が純増で新設した災害精神支援学講座からの報告がなかったことも残念ですが,同講座がわが国独自のきめ細かな災害精神支援学を確立していっていただきたいと願っています。

 本書の中でも指摘されているように,災害前から潜在していた諸問題が災害後に露呈するので,その地域の特性・問題の所在の特定をそれぞれ事前に検証しながら,行政,民間の医療・福祉関係施設,大学などで対応を協議しておくことが重要となります。被災者個人の喪失感,悲嘆は一つとして同じではなく,メンタルヘルス活動を通じて被災者一人ひとりの被災体験を受け止め,丹念に聞き取り,被災者の声,地域のニーズを把握する中で,その被災地に特化した支援を可能にしていくべきことを本書は教えてくれており,まさしくわが国の災害精神支援学の到達点を示していると言うことができます。もはや想定外と言うことのできない,あらゆる大災害を想定した事前の研修で本書が用いられ,その研修が生かされたこころのケア活動が災害後に思わぬ平安を共有して,また走り始めるきっかけとなるように願って,本書をこころから推奨申し上げる次第です。

B5・頁268 定価:本体3,200円+税 医学書院
ISBN978-4-260-02435-8

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