患者に寄り添わない会話(井部俊子)
連載
2016.03.28
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部俊子 聖路加国際大学学長 |
(前回よりつづく)
『大学教授がガンになってわかったこと』(山口仲美著,幻冬舎新書,2014年)という本に登場するコウベエ先生と患者(著者)との診察室での会話が衝撃的でしたので紹介しようと思います。
著者の山口教授は,大腸がんと膵臓がんの手術を受けました。大腸がんは早期発見で腹腔鏡下手術でした。4年後に膵臓がんを発症しコウベエ先生が執刀医および術後の主治医となりました(著者は担当した医師の特徴をとらえ,次々とニックネームをつけて表現しています。このやり方は匿名性を担保しつつ人物をイメージさせるうまいやり方だと思いました。「コウベエ先生」は,小言幸兵衛(こごとこうべえ)さんのようにお小言好きの医師であることが術後に判明したので命名されました)。
コウベエ先生チームの手術は名人芸と言えるくらいに卓越したものだったということです。ところが,「コウベエ先生の患者への説明の言葉は,患者の生きる力を奪いかねない危ういものでした」というのです。
山口教授はコウベエ先生との診察室での様子を回数ごとに書いています(医師と患者だけの密室となる診察室でのやりとりを患者が記述した報告は貴重です)。
1回目の診察(膵臓がんの手術をして退院してから2週間目)
予約時間を3時間も過ぎて番が回ってきて,診察室に入ると,かっぷくの良いコウベエ先生が聞きました。
「何か変わったことはありますか?」
「別にありません」
コウベエ先生は,血液検査の結果を見ながら言います。
「ほら,腫瘍マーカーの数値が下がっているでしょう?」
山口教授は,術前の検査結果からあまり下がっていなかったためがっかりしました。がん細胞が膵臓の組織にまだ残っていて,再発するのではないかと考えたのです。そこで,リンパ球数が高ければ再発に打ち勝つ免疫力があるのではないかと考えて聞きました。
「先生,リンパ球の数が知りたいのですが……」
コウベエ先生は山口教授の質問を瞬時に却下します。
「そんな数値,何の役にも立たん。数値なんておおよそ何の役にも立たないもんだ」
「そうですか」(心の中での反論。たった今,先生は腫瘍マーカーの数値が下がったと言っていたではないか)
「薬は出しておきますから,飲んでください」
「ああ,抗がん剤治療の薬ですか? 副作用が怖いですね」
「副作用を気にするなんて,不幸なことだ。そんなことを気にしていたら,最良の治療が受けられないよ」
「そう言って,先生は上から目線で私を哀れんだ」と山口教授は書いています。このとき副作用の怖さを訴えたのは,副作用が起きたら対処するから安心して抗がん剤治療をするように言ってほしかったからです。
2回目の診察(抗がん剤を2週間服用し,1週間の休薬期間が終わった直後)
山口教授は検査結果を見せられたのですが,腫瘍マーカーの欄がどこにあるかわからずコウベエ先生に尋ねると,即座に「数値などあてになりません」と言うのです。
「あなたは思い込みが激しすぎる」
「私,思い込みが激しいですかねぇ?」
「すごいもんですよ!」
「先生と同じくらい? あら,ゴメンナサイ。先生とお話ししていると楽しいんで,つい冗談を言いました!」
山口教授は,ソフトに言い返すことで,コウベエ先生となんとか意思疎通できる回路を模索したのです。
3回目の診察(2回目の抗がん剤治療が終わった直後)
「風邪をひいたみたいなんですけど……」
「どうしてそうやって自分で判断するんだ! 抗がん剤の副作用かもしれないだろう!」
「ああ,そういうこともありますね。長年の経験から風邪の初期症状に似てるなあと思ったものですから。では,少々喉が痛くて頭が痛いのですが……」
山口教授は,CT検査で使う造影剤にアレルギーがあることを告げ,次回はMRI検査にしてほしいと相談メモを見ながら伝えます。すると,コウベエ先生の怒りどころにスイッチが入ったらしく鋭い声で言いました。
「人の専門分野に頭を突っ込むな。あなただってあなたの専門分野にシロウトから口を出されたら嫌だろう? 治療方針は専門家の医者が決めるんだから,黙って従っていればいいんだ。あんたみたいな人がなまかじりの知識で,がんを再発させるんだ。私が言うことをハイハイと素直に聞いている人はみんな治っている」
4回目の診察(CT検査が9時30分に終わり,11時40分の超音波検査まで朝食抜きの空腹に耐えて待つという「悲惨な」検査予定だった)
「別に異常はないようですね」
「あのう,血液検査の結果で,CEAの数値が基準値を超えているんですけど……」
「それは関係ない数値でしょう」
「私,大腸がんをやっているんで,CEAの数値は関係あるんですけど」
「それは,大腸がんの先生に聞いてください」
*
山口教授は,コウベエ先生の診察を今回で最後にすることに決め,次回の診察予約日もおとなしく聞いて診察室を去ったのです。そして,「家に帰ると,病院のストレスが一気に出て,暴力的な気分に襲われ,それから気持ちが落ち込んで,しくしくと泣いてしまった。なぜか,悲しい気持ちが泉のようにこみ上げてくる」と書いています。
私も胸にこみ上げてくるものを禁じ得ませんでした。私はすっかり山口教授の体験の世界に入り込んでしまい,つらかったのです。
(つづく)
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