医学界新聞

インタビュー

2016.02.08



【interview】

「“卓越したもの”の裏には,必ず目に見えない何かが存在する。病理医を通してその姿を描きたい」
草水 敏氏(漫画『フラジャイル』原作者)に聞く

<聞き手>
伊藤 淳史さん(自治医大病院研修医3年目)
解良 仁美さん(自治医大病院研修医2年目)


 その医者は極めて優秀な変人である。岸京一郎,職業・病理医。癌患者にとって自身の命を託すことになるその男は,患者と顔を合わすことなく精確な診断を下していく。――直接会わずに済むことは,患者にとって福音である(『アフタヌーン』公式ウェブサイトより)。

 皆さんは『フラジャイル』という漫画をご存じでしょうか。連載開始以降,病理医の知名度を高め,医療者からも非医療者からも人気を博している作品です。なぜ病理医に注目したのか,漫画を通して何を伝えたいのか。本紙では病理医を志す研修医のお二人が,原作者の草水氏にインタビューしました。


解良 『フラジャイル』には,学生実習や研修で経験した病理の世界が広がっていて,大変興味深く読ませていただきました。あまり具体的にイメージができていないため,まず漫画原作のお仕事について教えてください。原作者が文章にしたものを漫画家に描いてもらうわけですよね。

草水 その通りです。ただ,漫画原作者によってやり方はそれぞれ異なりますね。僕の場合は台詞とト書き,いわゆる脚本形式でつくっていて,その登場人物がどのような環境にいて,何を話し,どう行動するのかまでを文章に盛り込みます。

伊藤 原作という立場であれば,映画やドラマなどの選択肢もあります。漫画を選んだのはなぜでしょうか。

草水 まず,僕自身漫画が好きだったこと。それに,映画やドラマだと撮影現場にスタッフが大勢かかわり費用も膨大になるので,個人が関与できない部分も多いのです。漫画だと少人数で自由が効くので,漫画を選びました。

医療は人が生きていく上で切実なテーマの一つ

解良 『フラジャイル』をはじめとして,最近は医療を題材にした漫画が増えている印象があります。

草水 医療というのは,人が生きていく上で非常に切実なテーマの一つですからね。世間の人たちが今何に関心を持っているかを考えたとき,「医療」「安全」「生命」は必ず登場するワードです。

解良 医療というテーマは,それだけ物語がつくりやすいということでしょうか。

草水 僕にとっては,描きたい世界を作り出せるかもしれないと思える,懐の深さと間口の広さの両方を併せ持つ魅力的なジャンルでした。

 ただ,漫画やドラマなどのエンターテインメントと,医学知識の相性は実はあまり良くない。専門的な知識を学びたければ専門書を読めば済む話でしょう。漫画はあくまでも読者に楽しんでもらうために提供されるものなので,知識との折り合いの付け方が難しいのです。

伊藤 『フラジャイル』では病理の世界が詳細に描かれていますね。病理医にはかなり取材されたのでは。

草水 お会いして話を伺ったのは,現在50人くらいです。また,最初に『ルービン病理学』(西村書店)を購入して,勉強しようとしました。かなり気持ちがくじけそうになったものの,今では自宅に病理専用の本棚があるほどです。医療の世界は専門書などの資料が完璧にそろっていますし,事前に最低限のことを勉強しておくのは当然のことだと思っています。

伊藤 取材の前に,ある程度下調べをするわけですね。

草水 はい。ただ,僕自身が医学に詳しくなりたいわけでも,読者を医学に詳しくさせたいわけでもありません。僕が本当に知りたいのは,「どのような学生時代を過ごしたのか,そのとき恋人はいたのか」「今までで一番許せなかったのはどのような経験か」「どうして病理医になったのか」といった,一人の人間としての医師の姿です。そうした話を聞くためには,普段どのような仕事をしているのか,どのようなキャリアパスがあるのか,研究と臨床はどのような関係にあるのかなど,バックグラウンドとなる部分を知っていなければ話を理解することができません。わからない内容や専門用語が出てくるたびに話を中断していたら,取材にならないのです。

■“なぜ”という問いに,答えをくれるのが病理

草水 日本の医師の総数はいまや30万人を超えています。その中で,病理医はわずか2000人程度です。ですから個人的には,病理の先生方が病理を選択した理由に興味があります。伊藤先生はどうして病理に進むことにしたのですか。

伊藤 学生時代,1か月間の選択実習で法医学を選んだことがきっかけです。もともとは総合診療医を志望しており,学生のうちに異なる分野について経験しておくのもいいかもしれないと思い,どちらかと言うと軽い気持ちで選択しました。

 そのときの先生がかなり厳しい方で,「所見の書き方がなってない」「返事の声が小さい」と,とにかく怒られたんです。実習を通して解剖を経験する機会もあり,その印象が強く残ったということと,顕微鏡を使うことが結構楽しかったことから,病理を進路として考えるようになりました。

草水 なるほど。顕微鏡で標本を見ていて楽しいかどうかは,病理医にとって重要な要素だとおっしゃる先生は多いですよね。解良先生は卒後2年目とのことですが,今後はどうされるご予定ですか。

解良 まだ進路を決めかねており,来年度もいくつかの科を回る予定ですが,病理は候補の一つに入っています。

 私が医学部に進学したのは,小学校6年生のときに祖母が突然亡くなった理由を知りたいという思いからでした。今ではその理由も納得できるようになりましたし,研修を受けていく中で他の科にも魅力を感じました。ですが,医学部に進学するきっかけとなった“なぜ”という問いに対して,一番きちんと答えを出してくれるのが病理だと思ったのです。

 私はそこに魅力を感じていますが,進路の候補として病理を考えていると以前友人に話したら,笑われてしまいました。「なんで病理なの?」って(笑)。

草水 病理って一般的な医師像とは隔たりがあって,少し特殊な存在ではあるかもしれませんね。ですが,さまざまな性格の医師が医療の世界で適材適所仕事をしていく上で,病理というのは不可欠な存在だと思います。

医師に対するイメージとはかけ離れた病理医の魅力

解良 病理医は認知度も低く,今までほとんど注目されてこなかった分野です。さまざまな診療科がある中で,なぜ病理を舞台にしようと思ったのでしょうか。

草水 取材を進めていくうちに,単純に興味が湧いたからです。

 2000年頃から数年間病院を取材する機会がありました。さまざまな科の臨床医と話をしていると,「病理医」や「病理診断」といったキーワードがたびたび出てくるんです。「病理診断医」と呼ばれる医師がいて,僕たちが病院に行ったときに診察をしてくれる臨床医とは全く異なる立場の医師だということまではわかったものの,当時は病理まで取材の手が回りませんでした。それが頭の片隅に残っていたので,今回医療を題材にするに当たり,病理についても調べてみたところ,病理医を主人公にしたら漫画として面白そうだと思ったのです。

伊藤 具体的にはどのあたりに関心を持ったのですか。

草水 人間関係が他の臨床科とは全く異なる点ですね。外来を担当する診療科では,患者さんとの関係を一から構築していくのに対し,病理医にはそもそも患者さんと接する機会がほとんどありません。臨床医にとっては治療の終了,つまり患者さんとの関係性の解消が一つの区切りになりますが,病理医が主にかかわるのは院内の他科の医師や技師,他病院の病理医など,同じ医療者であるため,そうした節目も生まれない。

 実際,臨床医からは担当患者が退院していく姿を見ることや,患者・家族からの感謝の言葉がモチベーションにつながるとよく聞きます。では,病理医は何をモチベーションにし,どのように自分を鼓舞して仕事に臨んでいるのだろう――。そのあたりに興味が湧きましたし,人間関係を含めた病理医の在り方が,医師に対する世間のイメージとは大きくかけ離れている点に,原作者の立場として引かれました。

伊藤 他科の医師に話を聞く機会も多いと思います。病理医は他科から見るとどのような存在なのでしょうか。

草水 皆さん大体「病理医とは喧嘩したくない」とおっしゃいますよ。困ったとき,最後に頼らなければいけないのが病理医だということがわかっているのです。院内に病理医がいる病院であれば,「鑑別」と「診断」に関しては病理医に絶対的な権限があるという成り立ち方は非常に面白いですよね。

解良 草水さんご自身は,病理医に対してどんなイメージをお持ちですか。

草水 臨床医がチームプレーで事件解決に臨む警察官だとすれば,病理医は名探偵です。以前ある病理医に,仕事をしていて何が一番面白いかを尋ねたところ,「自分で仮説をつなげていき,それが正しいと証明できたときに,『今これがわかっているのは自分だけだ,どうだ!』と感じる瞬間が一番楽しい」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

 今回題材を病理に決めたときも,「世の中には,部屋から出ずに病気を一発で見抜いてしまう医師がいて,そんな安楽椅子探偵のような医師が今回の主人公です」と説明していました。

人知れず皆を支える存在がいる

伊藤 物語をつくるときには,どのような点に注意しているのでしょうか。

草水 原作者として大切にしているのは,誰を描くのか,そしてその人がどのような心の内で,何に耐え,何に喜ぶかを描くことです。

 今回興味を持った世界がたまたま病理であっただけで,題材は必ずしも病理である必要はありませんでした。選ぶ題材は,読者に物語を見せるための“衣”に過ぎない。ただ,何を衣とするかで扱える内容には幅があって,病理という衣は軽いものから重いものまで扱える,とてもよい舞台だと感じています。

解良 どのようなメッセージを込めながら物語をつくっているのですか。

草水 目に見えない場所でも人知れず歯を食いしばり,皆を支えている存在がいるということです。僕は“卓越した存在”に引かれます。なぜかと言うと,卓越した何かの裏には必ず,目に見えない努力や目に見えない誰かが存在しているからです。その存在に気付くことで,これまで自分の目に映っていたものがまったく別のものに見えてくることもあると知ってほしいのです。

解良 病理医もそうした存在の一つだったわけですね。

草水 はい。陰ながら医療を支えるという構図が病理の世界にも見えました。医療現場で僕たちが相対するのは臨床医です。診断が確定して治療方針が決定し,病気が治れば当然,臨床医に感謝しますよね。でも実はその診断の裏には,病理医の努力がある。決して病理万歳漫画が書きたいわけではありませんが,1人でも多くの人に病理医がどんなプライドを持って仕事をしているかを知ってもらいたいし,その上で「病理医ってかっこいいな」と思ってもらえたらうれしいですね。そんな思いを持って,今『フラジャイル』の世界を描いています。

伊藤 今後の展開も楽しみです。本日はありがとうございました。

『フラジャイル病理医岸京一郎の所見』
原作=草水 敏,作画=恵 三朗
既刊1-5巻まで発売中
講談社/アフタヌーンKC刊

(了)


くさみず・びん氏
1972年生まれ,島根県仁多郡出身。2014年8月より月刊漫画雑誌『アフタヌーン』(講談社)にて,病理医を主人公にした漫画『フラジャイル』の原作を担当。名前を出しての活動は今作が初めて。

いとう・あつしさん
2013年札医大医学部卒後,自治医大病院にて初期研修。来年度より同院病理診断部に所属予定。

けら・ひとみさん
2014年昭和大医学部卒後,自治医大病院にて初期研修中。

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