医学界新聞

寄稿

2015.10.05



【寄稿】

認知行動療法eラーニングでうつ病を予防する

川上 憲人(東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻精神保健学分野 教授)


うつ病対策を早期発見・治療から第一次予防へ

 わが国では国民の約50人に1人が過去1年間にうつ病を経験している1)。うつ病は労働者にとって重大な健康問題である。うつ病は人々の生活に大きな影響を与えるだけでなく,医療費の増加,労働生産性の低下など社会にも大きな損失を与える。これまでうつ病対策の中心は,地域や職場での早期発見・治療であった。しかし循環器疾患やがんを予防するのと同様に,うつ病も未然に予防できないだろうか。もしそれが可能になるなら,うつ病を治療する以上に人々の健康で幸福な生活に寄与することだろう。

 ストレスマネジメント教育や運動療法,栄養療法などにより,抑うつ症状が改善することは既に知られている。その一方で,診断基準に基づいた「疾患としてのうつ病」の予防効果を示した方法論は限られている。特に高い水準の科学的根拠があるのは,認知行動療法などの心理療法のみである。

 うつ病予防の無作為化比較試験(RCT)の結果を集めて行われたメタ分析では,認知行動療法を用いた19の研究結果からうつ病の罹患率比が平均0.86に低下2),つまり介入によってうつ病の発症を14%減らすことができると結論付けられている。この結果は,個人や集団での認知行動療法によって,うつ病の予防が可能であることを示している。

 しかし第一次予防における大きな課題は,対象者の数が極めて大きいことである。多くの人々に認知行動療法によるうつ病予防を提供していくには,eラーニングなどのICT(情報通信技術)を活用することが解決策の一つとして考えられる。

認知行動療法eラーニングによるうつ病予防効果の実際は

 筆者の教室の今村幸太郎特任助教らは,労働者を対象としたインターネット認知行動療法(iCBT)eラーニングを開発し,うつ病の予防効果を1年間のRCTにて検証した3)。このeラーニングでは,ウェブサーバー上で週に1回30分,合計6回の学習を行うことができ,認知行動療法の中から複数の技法(セルフモニタリング,認知再構成,問題解決,アサーション訓練,リラクゼーション法)をプログラム内容に組み入れた。受講者は希望すれば,毎週課題を提出し指導を受けることもできる。提出された課題には臨床心理士などが目を通し,結果のフィードバックや,理解を促す助言の返信を行った。この対応を行ったのは,eラーニングによる認知行動療法では専門家による補助があったほうが,補助がない場合に比べて効果が大きいことが一般的に知られていたためである。また,これまでのeラーニングの多くが文字ベースであったのに対し,本プログラムでは「まじめくん」や「なやみさん」といった若者が,カウンセラーと会話をしながら自分の問題を分析する様子をマンガで示し,理解を容易にする工夫を施した(図1)。

図1 マンガを使った労働者向け認知行動療法eラーニングプログラムの画面例4)

 このeラーニングの効果評価はIT企業2社で実施した。社員に参加を呼び掛け,過去1か月以内にうつ病の罹患がないなどの条件を満たした762人を,無作為に介入群と対照群に割り付けた(各381人)。介入群に対してこのeラーニングを先行して提供し,倫理的配慮等から,対照群に対しても6か月後に同じプログラムの提供を開始した(ただし,介入群の平均学習回数が4.5回であったのに対し,遅れて提供を開始した対照群の平均学習回数は1.3回であった)。調査期間は初回調査から12か月後までとし,DSM-IV診断による大うつ病性障害の経験をWHO統合国際診断面接のウェブ版を用いて調査した。

 12か月間のうつ病の新規発症者数(累積罹患率)は,介入群では3人(0.8%),対照群では15人(3.9%)であり,対照群に対する介入群のうつ病発症のハザード比は0.22であった(図2)。つまり介入群では,うつ病の発症率が対照群の約5分の1に低下していた。1人のうつ病を予防するために必要な受講者の数(number needed to treat)は32人であり,32人の労働者がこのeラーニングを受講すると1人のうつ病が予防できると考えられた。また,6か月時点での追跡調査において,抑うつ症状を有意に改善することもわかった4)

図2 認知行動療法eラーニングによるうつ病予防効果3)
罹患率はカプランマイヤー法により算出。

課題を解決し,人々の健康で幸福な生活の実現をめざす

 認知行動療法によるうつ病の予防が,eラーニングにより可能になったことには大きな意義がある。企業がこのプログラムを導入することで,労働者の心の健康を大きく改善できる可能性があるのだ。一般住民や学生対象のeラーニングを開発すれば,これらの集団でもうつ病を予防することが可能になるであろう。血圧を測定し循環器疾患予防のための保健指導を行うように,抑うつ気分を定期的にチェックし,eラーニング等を通じて気分の改善を助けることで,うつ病予防の保健システムを構築できるかもしれない。これらのアイデアは十分に現実味を帯びた技術となってきた。

 認知行動療法eラーニングによるうつ病予防には,いくつかの課題もある。まず,うつ病のように多様で複雑な疾患の予防が本当にできているのか,専門家のコンセンサスを得るのが難しいという点だ。私たちの研究についても,本当にうつ病の予防効果を証明できているかに対する批判がある。今回の研究では,うつ病の診断をウェブ調査票への症状の自己報告から判断しており,専門家の面接を通した診断によるものではない。この点は今後の研究でさらに詰めていかなくてはならない。

 第二に,認知行動療法eラーニングのコストはゼロではないこと。私たちのプログラムを基に,実際にサービスが提供されている商用プログラムでは,臨床心理士による補助付きの場合1ユーザー当たり1.2万円の費用がかかる。年間1人のうつ病を予防するのに32人の受講が必要であるとすると,約38万円の投資が必要になる。うつ病になった際にかかる医療費や労働力の損失5)に比べれば安価ではあるものの,予防のために投資を行うことに対する心理的障壁はそれなりに大きい。

 さらに,労働者や住民が認知行動療法eラーニングを自由に利用できるようになったとしても,直ちにうつ病予防が普及するわけではない。自由に利用できるプログラムに,果たしてどのくらいの人がアクセスして学習するだろうか。eラーニングによるうつ病予防が可能になりはじめた今,人々をどのように動機付け,プログラムを利用してもらうかを検討していくことも重要になっている。

 こうした課題を解決し,さらに研究が進めば,現在は「うつ病等の早期発見・早期対応」との記載しかないわが国の保健医療構想6)にも,うつ病の第一次予防という方法論を組み入れることができるようになるだろう。うつ病を未然に防止することで人々の健康で幸福な生活を実現できる時代が来ることを願っている。

参考文献・URL
1)Psychiatry Clin Neurosci. 2005[PMID : 16048450]
2)Int J Epidemiol. 2014[PMID : 24760873]
3)Psychol Med. 2015[PMID : 25562115]
4)PLoS One. 2014[PMID : 24844530]
5)土屋政雄.労働者における精神障害の有病率と生産性損失.日社精医誌.2012; 21: 535-540.
6)保健医療2035提言書.厚労省;2015. p26.
http://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/
hokeniryou2035/assets/file/healthcare2035_proposal_150609.pdf


かわかみ・のりと氏
1981年岐阜大医学部卒,85年東大大学院医学系研究科医学博士課程単位取得済み退学(同年医学博士取得)。同年京大医学部助手,92年岐阜大医学部助教授,2000年岡山大医学部教授を経て,06年より現職。13年から東大大学院医学系研究科公共健康医学専攻専攻長。専門は公衆衛生の精神保健(public mental health)。特に国際共同研究による精神保健疫学および労働者の心の健康づくりのための研究を行っている。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook