医学界新聞

連載

2015.09.21



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第27回】
情報集めの方法論――PubMedとハリソン

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 医学知識は爆発的に増大しているが,情報へのアクセスそのものはよくなっている。情報集めの方法論に通じていれば,われわれの「知識の欠如」はさほど恐れるほどの問題ではない。問題なのは「知識の欠如」そのものではなく,その知識がないことに対する「自覚の欠如」である。

 UpToDate®が作られた背景には,医者が患者から受けた質問の3分の2に対して,答えを知らなかったという研究がある1)。われわれがどんなに勉強しても,医学知識はもっともっと多く,さらにやっかいなことに患者の質問の多くに“まだ答えが存在しない”。よって,医者にとって大切なのは「どのくらい物知りか」ではなく,「どのくらい情報検索に優れているか」にある。

 インターネットの利用をかつて「ネットサーフィン」と呼んでいた。その意味するところは,大量の情報の波の間を泳ぎに泳いで,自ら欲しい情報をつかみとっていくという能動的なものであった。しかし,現在われわれがネットで「見せられている」情報は,アルゴリズムを用い,他人が斟酌(しんしゃく)して「われわれが見たいであろう」と選択された恣意的な情報となった。だから,ワクチン陰謀論で頭がいっぱいな人物がネット検索すると,ワクチンの悪口を書いた陰謀論たっぷりのサイトにしかたどり着けない。こうしてバイアスは増幅され,彼(彼女)は本当に必要な情報を入手することができなくなってしまう。

 バイアスを排し,自分が耳にしたい都合の良い情報も,自分が耳をふさぎたい「不都合な真実」もきちんと読むことが,誠実な医療者として大切なスキルである。それは“スキル”である。よってオーセンティックな方法で訓練し,その技術を身につけなければならない。

 バイアスを排す方法はたくさんあるが,一番手っ取り早い方法は,まず,製薬業界からの情報を遮断することにある。MRからの情報提供を受けなければよいのだ。これは物理的にはとてもシンプルな方法だが,ある種の人たちにとっては非常に精神的なハードルが高い営為であるそうだ。医者は薬を施設に採用したり,処方したり,あるいは講演で宣伝したりする絶対的な権限を持っている。製薬業界はこの権限を最大限に利用し,自社利益を追求しようとする。営利企業なのだから当たり前だ。

 マーシャ・エンジェルの『ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実』によると,2001年にいたアメリカのMRは総勢8万8千人2)。その活動のためのコストは55億ドルであった。もちろん,これは医者に対する慈善事業のコストではない。営業コストである。日本円にして何千億円という出費は,商売のための必要経費なのだ。事実,2002年のアメリカの処方薬の売上高は2千億ドルだった。きちんと投資したぶんは取り返しているのだ。

 日本における製薬業界のMRに関連した営業コストは,1兆5千億円だったという3)。こちらも,ちゃんとリターンがあるからこそ出されているコストに決まっている。そもそも営業の訓練を受けた営業のプロであるMRが,これだけの金をかけてわれわれを接待し,自社の製品を売り込もうと努力しているのだ。「そのバイアスには誘導されない」と言うほうがどうかしている。多くの医者は「自分たちはMRにはダマされない。ちゃんと情報を取捨選択して吟味している」と言うが,「自分たちはダマされない」と固く信じ込んでいる人物こそ,詐欺師にとっては最もたやすくダマすことができるカモである。「ダマされるかもしれない」とおびえている人物のほうが,ダマされにくいものだ。

 第14回(第3088号)でも述べたが,医学情報のほとんどは英語でできている。「医局のやり方」がやり方の全てだった時代ならともかく,「英語ができない」はあり得ない。英語情報を使いこなせない医者は,医者として機能できない。そしてこの傾向は今後どんどん強まっていく一方で,弱まることはない。

 先日,とあるHIV感染症治療薬を当院に売り込みに来たMRと話をした。ぼくらはMRの営業自体をお断りしているのだけれど,行き掛かり上,ついそういうシチュエーションになってしまった。そこで彼は自社の製品が効果的で安全であると主張した。MRはもちろん嘘はつかない。ただ,その製品が既存の薬よりもずっと高額で,得られる利益に見合ったものとは即断できない,という事実を黙して語らないだけだ。

 日本では薬のコストが学術界で議論されることは少なく,もちろんメーカーもそうした話には触れたがらない。新薬のほうが高いのは当たり前だからだ。しかし,海外の学会や論文を読むとそのような議論は必ずなされている。英語の医学情報に触れることができないと「そういう議論が存在している」ことにすら気付かないこともあるのだ。

 時に,最新の医学文献を手に入れ,Evidence-Based Medicine(EBM)を実践するのにはPubMedが便利である。PubMedのような最新の論文(エビデンス)を入手できるツールこそが偉いのであって,情報更新の遅い旧来の教科書は読まなくてよい,と断言する人たちもいる。

 最近では,ウェブ上で教科書の記載を更新したり,訂正したりする出版社もあるが,いずれにしても新規性という意味では,トラディショナルな教科書はウェブ媒体に遅れをとることになるだろう。しかし,こうした教科書に「意味がない」というのは短見だとぼくは思う。

 まず,エビデンスの構築は,治療の進歩には大きく貢献しているが,診断については弱い傾向にある。スポンサーが少ないからだ。それに「新しいエビデンス」ほど,「さらに新しいエビデンス」にひっくり返されやすい。「なんとかスタディーで出された結果を,かんとかスタディーがひっくり返す」なんて事例も珍しくない。たいていの論文は,「further studies are needed」と締めくくるのだ。第一,新規性で言うならば,論文より学会発表のほうが早いが,早いぶん審査や議論が熟しておらず,後々まで使える情報は多くない。論文が出るまで待って……という態度のほうが妥当なときも多い。

 同じように,数十年経っても変わらない寿命の長い教科書の記載が,重厚で信用に足る「エビデンス」だったりすることは多い。数十年前から変わらぬ記載の部分が今後ひっくり返される可能性ももちろんあるが,先週出されたスタディーの結果がひっくり返される可能性のほうがはるかに高い。だから,そういう変わらないところを大切にしたい。ぼくが「ハリソンを読め」と学生や研修医に勧めるのはそのためだ。

 もちろん「古い教科書」ならばなんでもよい,ということはない。その話は次回する。

つづく

参考文献・URL
1)岩田健太郎.悪魔の味方――米国医療の現場から.克誠堂出版;2003.
2)マーシャ・エンジェル著,栗原千絵子他訳.ビッグ・ファーマ――製薬会社の真実.篠原出版新社;2005:146.
3)平成28年3月期第1四半期決算発表資料.エムスリー株式会社;2015.
http://corporate.m3.com/ir/library/presentation/pdf/20150724_04.pdf

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