医学界新聞

取材記事

2015.08.24



【講演録】

病いの物語の尊重と,物語能力が日々の診療を変える
ナラティブ・メディスン

リタ・シャロン教授(コロンビア大医学部 臨床医学教授)講演録


 病いの物語を認識し,吸収し,解釈し,それに心動かされて行動する「物語能力」を用いた臨床実践「ナラティブ・メディスン」。その提唱者であるリタ・シャロン氏が,このたび初めて来日した。6月19-20日に開催された第20回日本緩和医療学会(大会長=昭和大・髙宮有介氏)の海外招待講演に前後して各地でもセミナーが開かれ,ナラティブ・メディスンの持つ力,方法,可能性が多くの医療者を魅了した。本紙では,6月16日に国立病院機構名古屋医療センターで行われた講演会と,6月21日に聖路加国際大にて開催されたワークショップの模様(参照)をお伝えする。[編集=宮田靖志(国立病院機構名古屋医療センター卒後教育研修センター長/総合内科)]


 東京から名古屋に移動する新幹線の中から,富士山を見ることができました。曇っていたため,うっすらとかすみがかかり輪郭が見えただけでしたが,それゆえにとても神秘的な印象を受けました。対象の姿をはっきりと見ることができない,それは私たち医療者が日々の診療で患者を前にしたときに感じる印象と同じではないでしょうか。私たちの仕事は,患者に対し愛情や共感を持ちながら,できるだけ正確に全体像をつかむことです。

 では,どうすればその全体像を把握できるようになるのでしょうか。患者の話に耳を傾け,患者が抱える複雑な背景を精読し,そしてそれらを記述するという,ナラティブ・メディスン(NM)のトレーニングを行うことによって,患者の気持ちを正確に聞き取ることができるようになります。すると,初対面の相手でも,互いに物語を語り傾聴することで理解が深まる経験をすることになるでしょう。

 早速,一つ事例を挙げます。私が担当した90代の男性患者についてです。認知症が進んでおり,自分で食べることも話すこともできない寝たきりの状態でした。時折,叫び声を発するものの,周囲には意味をわかってもらえません。肺炎で入院したのですが,病院の医師たちはこの方の回復は難しいと判断していました。これに対し,患者の息子はとても怒っていました。

 退院後,私のもとに患者と息子がやってきました。そして息子は怒りを爆発させたのです。「医師たちが,いかに自分の父親をひどく扱ったか」と。そこで私は,「お父さんの話を聞かせてください」と問い掛けました。すると彼は,父の生い立ちから,子どものころに農作業を教わったこと,今の生活,そして自慢の父だということを語ってくれました。私は,座って話を聞いていただけですが,彼の怒りはだんだん収まり,態度も穏やかになりました。そして最後に彼はこう言いました。「私は,父が長く生きられないことはわかっているんです」。彼に自分の父親の話をさせることで,彼は父に対する敬意を周囲に示すことができました。そう,彼は,病院で父が侮辱されたと思い怒っていたのです。それが「話す」ことによって解決できた。NMには,このような力があるのです。

物語による治癒力を引き出す

 NMの実践は私の臨床経験から生まれました。総合内科医として働き始めたころ,「患者さんは自分に起きた出来事を,注意深く聞いてほしいと思っているのでは」と気付きました。でも,話を聞いて,受け止め,複雑な物語をまとめるスキルは医学部では学んできていません。そこで私はコロンビア大で物語能力について学び,2000年からはナラティブ・メディスン・プログラムをスタートさせました。現在NMは米国だけでなく,日本をはじめ各国で関心が高まっています。医療者が「物語による治癒力」の効果を実感しているからではないでしょうか。

 さて,今回皆さんにお話ししたいのは,NMで重要なattention(配慮),representation(表現),affiliation(参入)の3領域についてです。Attentionとは,他の何にも気をそらさずに,対象の人だけを見る「完全に他者のためにそこに存在する能力」を意味します。

 続くrepresentationは,自分が知覚した“何か”をいかに表現するかです。私たちが文章を書く,画家が絵を描く,ダンサーが踊る,これらはいずれも表現です。言い換えれば,認知したものに対し,ある種の形態を具象化するということです。

 そして三つ目のaffiliationは「結びつける」ことを意味します。医師と患者,医師と看護師,あるいは病院と地域コミュニティなどさまざまな二者の間に,橋渡しをします。これがNMのめざすところと言えます。

その時,その瞬間への注力

シャロン氏は,印象派の画家ホイッスラーの作品を見せ,参加者に絵画を見た感想を尋ねた。

 皆で同じ作品を見ても,感想はそれぞれ違いましたね。時と場合によってはまた別の印象を受けるかもしれません。もちろん,それに対する明確な答えもありません。だからこそ,私たちは対象者に対して,いかに丁寧に注意を払っているかが問われるのです。漫然と見るのではなく,積極的に自分の存在を投入し,その瞬間にしかつかみ得ないことに全ての注意力を傾ける。それによって対象者の持つ唯一無二の存在に気付き“その瞬間の証人”になることができるのです。これが私の言うattentionの形です。

 次に,山の絵を4点お見せします。いずれも,セザンヌが1890-1906年の17年間に描いたサント・ヴィクトワール山というフランス南部の山です。同じ山でもだいぶ印象が違いますね。描く時々によってセザンヌの心身に変化が生じているのでしょうし,気候によっても山の状態は変わります。注意を払うタイミングが異なれば,対象もまた別の側面を見せてくれる。これはNMにおいても言えることです。つまり,その瞬間,最大限に集中したattentionが欠かせません。その時にしか見えない患者の姿をきちんと見ることが大切なのです。それは患者の助けがあってこそ初めてできることでもあり,それを私たちがどう表現するかによって,さらに理解が深まるのです。

物語によって医療者と患者の思いを共有する

 続いてrepresentationとaffiliationについて説明します。皆さん,診察室の中ではできるだけ早く正確に患者さんの言葉を聞き取ろうとしますね。ですが,観察結果を記述することはあまりなさっていないのではないでしょうか。「書く」ことはNMを行う中ではごく自然な行為です。理解と実践は難しいかもしれませんが,NMにおいては最も強力な手法です。なぜなら,記述することで,見て,聞いて,体験したことをその後も補足することができるからです。

 また患者さんも,自分について書かれた記述を読むことで,自身の状態をより深く正確に知ることができます。もちろん医療者は平易な言葉で記述しなければなりません。疾病以外にも家族の話をするかもしれませんね。「これは医学とは関係ない」と切り捨ててしまってもいけません。患者さんが自分の人生について話をしているとき,医師として取りこぼしていいものは一つもないのです。時に私は,診察室に第三者を招き,客観的に観察してもらったり,あるいは患者さん自身に書いてもらったりもします。

 「なぜ糖尿病になったの」「体に良いことをいくらしても,無駄なの」と,降って湧いた病に腹を立てる70代の女性がいました。私は彼女に対して,「健康な状態を永遠に続けることはできないのよ」と電子カルテに書き,次にその画面をグルっと彼女のほうに向けて,書きたいことを書いてもらいました。すると彼女は,糖尿病については一言も書かなかったのです。病に腹を立てていることも書きませんでした。教師だった彼女は,「学生は,私のことを素晴らしい教師だと思っている。同僚は,私に感謝をしている。私は,今まで精いっぱい頑張ってきた」と書いたのです。このやりとりで私は,彼女自身が持つ“強さ”を理解したのです。そして彼女自身もそれを再認識し,お互いに共有することができました。

 自分が感じたことを物語として書く,そして次にその物語の主人公である患者と共有する。これが次のaffiliationへとつながるのです。医師が患者について書くのではなく,患者が医師について書くのでもない。これは両者の結びつきをつくる方法の一つなのです。両者に強い結びつきが生まれると,その後の治療などがスムーズに進むことにもなります。人々は,医師-患者,健康-不健康,さらには人種,文化,性別など,「私たち」と「彼ら」と分けて考えがちです。そこにNMは,affiliationを通じ分断をつなぐ役目を果たしてくれるのです。

 NMの医療者への貢献についても目を向けてみましょう。米国では,多職種協働によるチーム医療の推進が課題となっている施設が少なくありません。医師,看護師,ソーシャルワーカーらがNMの手法を用い,共に「読む,書く,聞く」をすることで,それまで分断されていた職種間の関係が近づきます。チームのメンバーがお互いを知り,お互いに敬意を持つことで,他の人がどのような知識や考えを持っているかわかるのです。NMによって,チームは良い方向へと大きく変貌することになるでしょう。

 生きるとはどのような意味があるのか。このような問いも,お互いの創造力を使って観察し,記述し,熟慮することによって考えを共有できます。医学部の教育では,そもそも自分自身から自己を疎外することが求められ,学生は“自分自身”であることを失い,技術中心に考える,あるいは専門分野に集中して考えるよう教えられます。そこにNMが入り,自分の思考過程を観察することで,今一度自分の自覚や自己理解を思い出させてくれるのです。

医療者には,患者の苦痛,喪失感,焦燥感までも聞き出す役割が

 では,どのようにNMのトレーニングをすればよいのでしょう。まずは「読む,書く,聞く」が基本です。「読む」のは,例えば,詩や小説,歴史書,闘病記などです。それも,1つの段落を1時間かけて精読し,言葉の中から可能な限りの手掛かりを見つけ出します。一語一語を大事に読み込むことができなければ,診療の場面でも,患者が何を言おうとしているか読み取れませんから。

 次に「書く」。これはある題材でクリエイティブ・ライティングを行います。想像力,好奇心を膨らませ,何を見たかだけではなく,何を発見したかを記述する。作家のフォークナーも,ドストエフスキーも,カフカもこう言っています。「自分が考えていることを明確化するために,私は書くのだ」と。

 そして「聞く」。あなたの聞き方はどうですか? 聞き方,質問のアプローチによっては,患者であれ友人であれ,異なるストーリーをつくりあげます。すなわち,聞き手の態度一つにかかっているのです。どちらか一方通行の会話ではなく,聞き手と話し手の共同制作が発見と学習を生みます。相手に敬意を払い,相手の背景,その人が感じる死生観までも理解しようとする態度があってこそ真意を聞き出すことができるのです。私たち医療者は,聞く能力の高い人間でなければなりません。NMは,患者が,苦痛や喪失感,焦燥感を話せる聞き手になることを可能にするアプローチと言えます。

 私たちは,患者に“仕える立場”です。その役割を踏まえて最善の努力をすべきであり,最大の成果を挙げるためには,患者の抱える非常に深くて不可知の部分,心的な部分,そして正解のない答えを探る必要があるわけです。

 本日は,なぜNMは医療のプロフェッショナルがやるべきことなのか,なぜ臨床家にトレーニングをする必要があるのか,そしてどのようにチーム医療に効果を上げることができるのかなどについて話をしてきました。NMを正しく行うことで,臨床家は患者個々について,より詳しく知ることができるでしょう。また,多職種連携が図られ患者のための治療がますます充実します。そして全ての医療者にとって非常に深みのある喜びを与えてくれるものと確信しています。本日はありがとうございました。

 講演会を企画して

 シャロン先生は聴衆の一人ひとりに優しく語りかけるように講演を進められた。ナラティブ・メディスンの実践によって自分の自己理解を思い出させてくれる,そして医療者自身はもう一度元の自分とのつながり・関係性を取り戻すことができる,とも解説された。確かに,忙しい臨床実践の中では,ややもすると自分自身を見失いそうになることがある。講演に参加した多くの医療者は,ナラティブ・メディスンによって“self”を取り戻すきっかけも見つけたに違いない。素晴らしい講演を多くの医療者が拝聴できたことは非常に意義深いことであった。本セミナーを実施するに当たって多大なご協力をいただいた第20回日本緩和医療学会大会長の昭和大・髙宮有介先生,都立駒込病院・栗原幸江先生,名大・安井浩樹先生に心より感謝いたします。

国立病院機構名古屋医療センター 宮田 靖志

(了)


Rita Charon氏
1978年ハーバード大医学部卒。その後,Henry Jamesの研究で99年にコロンビア大で英文学の博士号を取得。総合内科医であり,文学博士,倫理学者でもある。2000年には,同大においてナラティブ・メディスン・プログラムを創設し,現在最高責任者を務める。同氏が提唱する活動は,北米,ヨーロッパ,およびアジア各国で実践されている。また同大英語部門でも教鞭を執っている。Ann Intern Med,NEJM,JAMA,Lancetなどの一流国際誌に多くの論文を発表,各国で精力的に講演活動も行っている。カイザー・ファカルティ・スカラー・アワード,ロックフェラー財団,グッゲンハイム・フェローシップ等からの表彰をはじめ,複数の臨床医学賞および文学賞を受賞している。著書の翻訳に『ナラティブ・メディスン――物語能力が医療を変える』(医学書院)がある。

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