医学界新聞

連載

2014.10.27



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第16回】
ジェネシャリストは現前する

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 エコノミストの伊藤洋一氏が出演している「伊藤洋一のRound Up World Now!」(ラジオNIKKEI)によると,IT領域におけるジェネラリストとスペシャリストの垣根はどんどん低くなっているそうだ。これを牽引しているのは言うまでもなくアップルとグーグルである。

 アップルはもともと作っていたパソコン領域の専門性に甘んじることなく,音楽を楽しむための携帯端末iPodを開発,次いでスマートフォンのiPhoneやタブレットのiPadを次々と登場させた。一方,グーグルはもともと検索エンジンの開発を行い,今や検索作業そのものが「ググる」と称されるほどに普及したが,GmailのようなメールサービスやGoogleマップのようなウェブサービスを次々開発,さらにスマートフォンのようなハードウェア業界にまで進出するようになった。どちらもテクノロジーの分野におけるスペシャリスト的存在なのだが,タコツボ的に自社のテクノロジーにこだわらず,かといって自社のテクノロジーを無視するのでもなく,とんがりつつも,広々とした商品開発を行ったのだ。

 日本企業のような縦割りの専門家集団とは異なり,自由な発想で異業種や異なる専門性を乗り越えて新たな価値を生み出し続ける両企業のスタイルは,従来のジェネラリストとスペシャリストという概念を乗り越えるものである。ソニーやパナソニックといった日本企業がスペシャリスト集団の高い垣根を越えることができずに,長い業績不振に苦しんでいるのとは対照的である。

 伊藤氏はかつてテレビ番組で経済関係のコメンテーターを務めていたが,今では同じ仕事をお笑い芸人がやっているのだという。インターネットで情報へのアクセスがよくなり,ソーシャルメディアの発達で各人の情報発信能力が飛躍的に高まったとき,スペシャリストとジェネラリストの垣根は自然に低くなる,と伊藤氏は指摘する。いわゆる「素人」でもネットを使って上手に情報収集すれば,スペシャリストと遜色のないコメントだって不可能ではない,少なくとも以前ほどの差は生じない。

 家庭医の名郷直樹先生(武蔵国分寺公園クリニック)は著書『「健康第一」は間違っている』(筑摩書房)の中で,アウトカムをちゃんと吟味せずに「まず検診ありき」を結論付けている検診の専門家たちを批判している。その批判は妥当性が高く,論拠が明解である。日本感染症学会は「全てのインフルエンザ」にタミフルなど抗インフルエンザ薬を投与するよう推奨したが,その論拠はやはり専門家と呼ぶにはあまりに甘いものであった1)

 高血圧におけるARB,糖尿病におけるSGLT2阻害薬。各学会が推奨する治療薬とその有効性,安全性吟味のギャップは,多くの「非専門家」が指摘するところとなっている。情報へのアクセスが飛躍的にアップし,「素人」でも「玄人」と変わらないくらいのデータにアクセスできるようになった功績である。まあ,これだけ論拠の甘い推奨を専門家集団が出し続けているのは極めて問題で,日本の臨床専門家の臨床医学のレベルの低さがそこから示唆されるし,そこに“業界”とのべったりな癒着関係を勘ぐられても仕方がないように思う。

 検診のテクニックについていくら詳しくなっても,もはや「検診の専門家」と呼ぶことはできない。その検診がどのようなアウトカムをもたらすのか。EBM(Evidence based medicine)のノウハウをちゃんと咀嚼し,応用できなければ,単なるテクノロジー・サビー,検診テクノロジー・オタクになってしまう。高血圧,糖尿病,感染症,いずれについても同様である。

 そして,「基礎医学の延長」として臨床医学を語ることも,もはや許されなくなっている。ちょっと臨床をかじった基礎医学者が「“自分は臨床もできる”クリニシャン・サイエンティストだ~」とか名乗っているのを見ると,かなりイタい。それはジェネラリスト・スペシャリストのハイブリッド,ジェネシャリストとは似て非なる存在なのだから。EBMをランダム化比較試験のことだと勘違いしている輩も同様だ。

 各領域だけのタコツボ的な知識では,その領域すらきちんと理解できない時代である。EBMという横糸がそこには必要となる。自らそのノウハウを習得するか,あるいは名郷先生のような(EBMの)スペシャリストと協働するかのどちらかしか選択肢はない。が,日本の専門家集団はそのどちらも達成し損なっているように思う。

 いずれにしても,IT技術とインフラの発達のおかげで,いろいろな領域でジェネラリストとスペシャリストの距離は短くなってきている。特に意識しなくても,世にジェネシャリスト的な存在は自然発生的に増えてきているのだ。そういえば,名郷先生も家庭医というジェネラリストかつEBMのスペシャリストである。ジェネシャリストは現前するのだ。本質的に。その存在が,形式的になんという名で呼ばれようとも。

 アメリカの内科系専門医(スペシャリスト)は一般内科の研修を終え,内科専門医資格を持たなければ,専門領域の専門医資格を獲得できない。表面的にはジェネシャリストっぽく見えるが,現実にはスペシャリストはスペシャリストの業務に専従して,一般内科のコンテンツには手を出さないし,忘れてしまう。アメリカは良くも悪くも分業制なので,他人にできることは自分ではやらないことが多いし,この傾向は近年のホスピタリストの普及でさらに先鋭化している。感染症屋は「かぜ」すら診ないなんてことも多く,自分の診ているHIV/AIDS患者の脂質異常症などは全部プライマリ・ケア医に丸投げしていて,「なんだかなあ」とぼくは思ったものだ。

 しかし,ITの進歩により,自分の専門領域のアップデートを重ねながら,プライマリ・ケアのアップデートを重ねていくことはもはや不可能ではない。上述の名郷先生はじめ,『トップジャーナルから学ぶ総合診療アップデート――西伊豆特講』(シービーアール)を上梓された整形外科医の仲田和正先生(西伊豆病院)など,ロールモデルは多い。ぼく自身も,そうありたいと鋭意修行中である。ジェネシャリストは空想の産物ではなく,現前する存在なのである。

つづく

参考URL
1)日本感染症学会提言「抗インフルエンザ薬の使用適応について(改訂版)

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