医学界新聞

対談・座談会

2013.06.17

【対談】

障害の当事者になるということ
言語聴覚士が見た,高次脳機能障害の世界

岩田 誠氏(メディカルクリニック柿の木坂院長/東京女子医科大学名誉教授)
関 啓子氏(三鷹高次脳機能障害研究所所長/神戸大学大学院保健学研究科客員教授)


 言語聴覚士(ST)の関啓子氏は,約4年前に脳梗塞を発症。それまで研究の対象としてきた高次脳機能障害を,自らの身で体験することとなった。専門家として,そして当事者として“内側から”みた障害のある世界は,どのようなものだったのだろうか。神経内科医として,脳と,五感の働きや言葉との関係を長年にわたり見つめてきた岩田誠氏とともに,関氏の発症から,今日までの回復の軌跡をたどってみたい。


岩田 関先生が脳梗塞になられたことは伺っていたのですが,具体的な病状は知らず,ご著書『「話せない」と言えるまで――言語聴覚士を襲った高次脳機能障害』(医学書院)を拝読して驚きました。発症は,2009年ですよね。

 7月のことでした。もともと心房細動の既往があり,過労や生活の乱れと相まって,発症に至ったようです。路上で倒れて救急搬送され,tPA(組織プラスミノーゲン・アクチベータ)の投与を受けました。しかし右前頭葉の梗塞により,左片麻痺,左半側空間無視をはじめとする多様な高次脳機能障害,さらに利き手が左手だったことで,言語機能,中でも発話面に障害をかかえることになりました。

岩田 専門家の方が,自身が専門とする領域の疾患に罹患する。学問的な視点からは,たいへん貴重なケースともいえますね。

 そう思います。STとして長年臨床・研究に従事してきましたが,自分自身が患者になって初めて,“内側”から理解できた患者さんの反応や考え方が多くありました。周りの人の話のスピードについていけない寂しさや,感覚障害や運動障害によってしたいことができないつらさなども,想像していた以上のものだと気付きました。

 発症直後から,そうした当事者でなければわかり得ないことを伝えたい,という思いをモチベーションに,社会復帰をめざしてきました。

岩田 スムーズなお話しぶりにびっくりしましたが,そういう動機を背景に,現在のご回復があるのですね。

感覚異常に悩まされる

岩田 当事者として生活する中で苦労されたことについて,具体的に教えていただけますか。

 まずは,皮膚感覚の異常でしょうか。左顔面,特に眼・耳・頬周辺部の痒みには悩まされました。また,発症当初から手掌にピリピリ,ザワザワとした妙な感覚があり,急性期にグラス洗い用のブラシをいきなり握らされた時には「ぎゃー」と叫び出したいような,嫌な感覚が惹起されました。

 そのほか冷刺激に対する痛みもありました。急性期には,冷たい洗面台に触れると痛く感じましたし,自宅に戻ってからも左半身に強い痛みを感じ,プールに入れなかったこともあります。

岩田 感覚異常というのは,例えば「これはブラシだ」と自分に言い聞かせても,軽減しませんか。

 やってみたことはないのですが,急性期の経験がトラウマとなって不快感が惹起され,構えてしまうため,軽減はしないと思います。

岩田 赤ちゃんが,初めて触れたものの感触に次第に慣れていくように,異常感覚も原因を意識することで薄れるものかと思っていたのですが,そういうわけでもないのですね。

 ええ。認知運動療法(註1)によるリハビリの際にも,このネガティブな感覚が,入力された感覚情報を知覚する際の大きな阻害因子になりました。

 感覚障害は,患者本人が申告しない限り外側からはわかりにくいですし,不快感を言葉で表現するのも難しいものです。急性期を担当するセラピストの方には特に,感覚刺激の質と量に十分注意し,患者さんのその後のリハビリや生活の妨げとならないように,心掛けてほしいと願っています。

“危険を無視”してしまう脳

 半側身体失認についてもヒヤッとする出来事がありました。転院時,電車を乗り換えるため駅員さんに車椅子を押してもらって移動していたのですが,気付かないうちに左手がタイヤに巻き込まれかけていたのです。慌てて右手でつまみ上げ事なきを得ましたが,単に半側空間無視の付随症状のように考えていた半側身体失認を,まさに身をもって実感した瞬間でした。

岩田 それは怖い思いをされましたね。

 無視や失認にはいろいろな要素が含まれていて,単に空間や身体を認識できない,というより“危険に対する無視”という側面がある気がします。

 「脳は身を守る」,つまり脳が健康な状態なら,危険から身体を回避させるための行動指示をパッと出せますが,脳が傷ついてしまうと,そういう行動への意味付けができなくなる。東日本大震災のとき,重度の認知症の人たちが揺れを怖がらず,身を守ろうとしないのを目にしましたが,無視のある方がやけどや転落などをしやすいのも,同じように,脳が“危険を無視”してしまうせいだと思うのです。

 身を守る行動をさっととれない裏には,確かにそうした構造があるのかもしれません。危険回避には,自分の脳がそうであることに気付き,常に意識していることが必要ですね。

回復を促進する因子とは?

 「障害があることに気付く」,すなわち病識を持つことは,回復の面からみても非常に大切です。私の場合も,もともと持っていた専門知識に加え,無視があることを自覚し,毎日左方空間に注意を向けるなど,そのことを常に意識するという「知識・病識・意識」の3点がそろっていたことが,早期の症状の軽減に結びついたと考えています。

岩田 私も,空間把握ができず,体が大きく傾いてしまっている患者さんを診察したとき,「真っ直ぐです」と主張されるその方に,大きな姿見の前でご自分の姿を見てもらったことがあります。自分自身で“気付き”を得ることが大切なんですよね。

 百聞は一見にしかず,ですね。

 ただ一方で,麻痺については“知らない”ことが,想定外の回復につながったのです。上肢の麻痺は当初,良好な予後のために必要な機能回復の基準を逸脱していたそうですが,私はそれを知らなかったがゆえに,あきらめずリハビリを続けました。tDCS(経頭蓋直流電気刺激法)やTMS(経頭蓋磁気刺激法),麻痺した筋の痙性を落とすボツリヌス療法など最新の治療法の効果も相まって,左上肢のつまみ動作もスムーズになり,肘も伸びて右肩や頭上に手を置くこともほぼ可能になりました。

 こうしたことから最近,個々人のもともと持つ能力や知識,選択する治療法を考慮した予測基準や,患者さんへの予後の伝え方など,予後予測の在り方について検討をし直す必要もあるかもしれない,と考えています。

岩田 リハビリにおいて,“どの要素が”“どのような効果を及ぼしたか”ということを細かに検証し,一般化することができれば,従来とは異なる予後予測の基準も見えてくるかもしれません。

音楽が促す発話

 発症したその日,私は意識レベルが下がり急性錯乱のような状態にありました。医師など数人が枕元で議論している声で目が覚め,その時思い出していたのが「意識障害の患者に音楽を聞かせ続けた結果,意識レベルおよびいくつかの高次脳機能障害が改善した」という論文(Brain. 2008[PMID:18287122])のことです。

 また,話し方がゆっくりし単調・平板で,促音・撥音・長音などのいわゆる「特殊拍」がうまく発話できないプロソディー(韻律)障害が生じた際には,合唱グループに参加したことで症状の改善がみられたと感じています。かつて,Melodic Intonation Therapy(MIT:註2)の日本語版を作成したこともあり,音楽の持つ力にはあらためて興味を募らせているところです。

岩田 同じ言葉でも,メロディに乗せることで,イントネーションやアクセントがスムーズに頭に入るし,表現もしやすくなる。その理由としては,原始的・古典的な言葉の在り方が,ヒントになるかもしれません。

 認知考古学者のスティーヴン・ミズン(Steven Mithen)の説によれば,ネアンデルタール人が持っていたと推測される音声言語は,現生人類が使っているようなワード単位に分かれたものではなく,「フムムムムム(Hmmmmm)」という,“holistic,multi-modal,manipulative,musical,mimetic(全体的・多様式的・操作的・音楽的・物真似的)”で,歌や呪文のような音の流れであったといいます(『歌うネアンデルタール――音楽と言語から見るヒトの進化』早川書房,2006)。

 MITと通じるものがありますね。

岩田 そう,実際ミズンは,MITについても言及しています。

 また,私は子どものころ祖母にお経を教え込まれましたが,お経もホリスティックな音の流れで,意味がわかっていなくても,自然と口をついて出てくるようになりますよね。キリスト教の「主の祈り」やイスラム教のコーラン,孔子の論語なども同様です。

 それらのことも考え合わせると,分節性のない,連続した音の流れというのが言葉のより原始的な形態であり,それが人間にとっては半ば本能的に,発話が促されるスタイルなのかもしれないと思うのです。

目に見えない力の“癒し”

 音楽の力に加え,今,気になっているのが「気」など目に見えない力が心身に及ぼす効果というものです。

 リハビリの一環として気功を始めたのですが,練習後には全身の血行がよくなってとても元気になり,麻痺肢の改善にもつながっている気がします。

岩田 直接触らなくても,手をかざされるだけで患部が温かくなってきて,ケガや病気が改善した,といった話も昔から聞きますね。

 はい。病前はもっぱら「目に見える」客観的なデータを扱ってきたため不思議ではありますが,例えばパワースポットで感じるオーラなども含め,既存の五感とは違うところに働きかけるような「力」についても,自分の納得のいくものなら前向きに取り入れてみたいと,今は思っています。

岩田 フロイトの師であるシャルコー(Jean-Martin Charcot)にも,ヒステリーについて研究するうちに「心を癒すことが身体の治癒につながる」という考えに至り,当時不治の病が治ると言われていた“ルルドの泉”に患者を送ったという逸話があります(『La Foi Qui Guérit』1893)。いまだ知られていない刺激と,それを受容する感覚があって,それが心を癒し,身体の治癒にまでつながるという考え方は,洋の東西を問わず存在するんですよね。

■「生活」を見られるセラピストに

 言語障害や高次脳機能障害,あるいは麻痺を持つ人が実生活で直面する困難は多岐にわたります。意思疎通ができるか,注意が逸れないか,などの不安は常に付きまといますし,閉じた傘をまとめられない,左右均等に着衣できないなど,何気ない動作にも不便を感じています。こうしたことについて,セラピストであっても想像が及ばない場合が多いことに,患者になって初めて気付いて愕然としました。「相手の生活を具体的に想像すること」「生活の改善に直結するリハビリを行うこと」がよいセラピストの条件であると,あらためて実感しています。

岩田 「生命」と「生活」は日本語では別々の言葉ですが,英語では共に“life”という単語で表されます。医師は「生命」ばかりを優先してしまいがちですが,命ある間の「生活」も同じくらい大切ですし,その改善を担うのが,セラピストの方々でしょう。

 近年はリハビリも「とにかく歩ければいい」ではなく,生活により影響する言葉や手の機能が重視されつつありますが,よりいっそうの生活の幸福度向上をめざして,患者さん目線の工夫を続けてほしいと思っています。

 そうですね。私が研究所を開設したのも,回復期以後リハビリの受け皿がなく,家にこもって悶々としているしかない方々のQOL向上に寄与したいと考えたことが理由でした。

岩田 生命を維持する透析と同じように,リハビリも,生活の質の維持・向上のためには長く続ける必要があります。殊に失語や失認には“時間”も回復の重要な要素です。かつては一人の患者さんにじっくりかかわり,年単位で回復の過程を見ていくことができましたが,今は短期間に目の前を通り過ぎてしまい,その前のことも,後のこともなかなかわからない。それは患者さんにとっても,セラピストにとっても不幸なことです。

 ぜひ,関先生ご自身や,研究所での長期的な経過を記録して,リハビリのエビデンス作りや,若いセラピストへの教育にも役立てていただきたいです。

支えとなった言葉たち

岩田 最後に,関先生の,回復を支えたものについて伺いたいのですが。

 一つは「楽しみながらリハビリをすればいい」という夫の言葉でしょうか。勝気で完璧主義者だった私に「足だけを使うサッカーのようなゲームと考えればいいんだよ」と,柔軟に考えることを教えてくれました。それに倣い,できなくなったことを嘆くより,日常生活を快適に過ごすための工夫を楽しむよう努めました。

 また,私はクリスチャンなので“神様は,試練とともにそれに耐えられるよう逃れる道を備えてくださる”と考えてきました。「たとい,死の陰の谷を歩くことがあっても,私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」(詩篇23篇)という聖書の言葉があります。発症したのが単身赴任先の自宅の部屋ではなく日中の繁華街で,周りにたくさんの人がいたこと。運び込まれた病院にtPAなどの治療体制が整っていたこと。すべてが天の配剤であり,この経験そのものが,神様からの贈り物かもしれない,と今では思います。

岩田 パッション(受難)も含め,すべてに意味を見いだされているということですね。

 近代脳外科手術の草分け的存在だった故・中田瑞穂先生(新潟大)も晩年,脳梗塞でワレンベルグ症候群になられましたが「この病気になってよかったと思う」とおっしゃり,痛覚異常や咽頭麻痺について,当事者でしかわかり得ない事実を論文として残されています。関先生にもぜひ,回復の過程で得られたたくさんの示唆を広く明らかにしていただきたい。それが,当事者目線の臨床や研究の発展に,大きく寄与すると思います。

(了)


1)イタリアで開発された運動療法。運動の認知過程[知覚・注意・記憶・判断・言語(運動)]に潜む問題点を評価,活性化(学習)することにより機能回復を図る。
2)ブローカ失語症者が,歌は歌える場合があることから開発された治療法。発話に内在する,メロディ(ピッチ),リズム,ストレスなどの音楽的要素を利用し,語句の持つ音楽的パターンをセラピストとともに歌うことで,失語症者のスピーチの流暢性を改善する。


岩田誠氏
1967年東大医学部卒。東医歯大,東大,仏・米留学を経て,82年東大助教授,94年東女医大教授,2004年東女医大医学部長。08年より現職。専門は神経内科学。日本神経心理学会ならびに日本高次脳機能障害学会名誉会員,日本音楽医療研究会会長などを務める。『シリーズ≪脳とソシアル≫』(医学書院)など編著書多数。芸術全般や医学史に造詣が深く,ヴィオラ奏者としても活動。看護師のためのwebマガジン「かんかん」にて「病院医学の誕生」を連載中。

関啓子氏
1976年国際基督教大(ICU)教養学部卒。81年国立障害者リハビリテーションセンター学院,82-99年東京都神経科学総合研究所(当時)。この間約5年間,中村記念病院で臨床活動に従事。99年神戸大医学部助教授,第1回国家試験にて言語聴覚士資格取得。2002年同大教授,08年同大大学院保健学研究科教授。09年に脳梗塞を発症するも約10か月で現職復帰。11年3月に退職し,本年2月三鷹高次脳機能障害研究所を開設,『「話せない」と言えるまで――言語聴覚士を襲った高次脳機能障害』を上梓。日本高次脳機能障害学会評議員など役職多数。算盤の熟達者でもあり,発症後の暗算中の脳活動に関する研究は国際誌に掲載(Front Psychol.2012[PMID:22969743])。

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