医学界新聞

寄稿

2013.02.04

【寄稿】

メディアを活用し,研究者の社会参加を
英国王立協会によるメディアスキル・トレーニングに学ぶ

武田 裕子(ロンドン大学キングス・カレッジ医学部地域医療教育部門 特別研究員)


研究者の情報発信を促進する英国王立協会

 英国王立協会(The Royal Society)は,1660年に設立された現存する中で最も古い科学学会である1)。"フェロー"と呼ばれる会員には,ニュートンやダーウィン,アインシュタイン,ワトソンとクリックらも名を連ねる。

 科学の発展は,直接・間接に日々の暮らしを変え得る。恩恵をもたらすと同時に,負の影響を生じることがあり,社会的・倫理的な課題も新たに生まれる。王立協会は「科学および科学者に対する市民の信頼を得るには,サイエンスによって得られた知見の共有が不可欠」という考えのもと,異分野の研究者の交流を促進し多面的な議論の場を提供するほか,研究者が政策立案者や一般消費者を含め社会に幅広く情報発信し,率直な対話を生み出す後押しをしている。

 また,新聞やテレビ・ラジオなどの一般メディアを通して,研究者が情報提供や解説,意見表明を行うことを奨励しており,その一環として「コミュニケーションスキル・コース」および「メディアスキル・トレーニング」という各1日の研修会と,1泊2日で両方を学ぶ合宿研修を,それぞれ年に5回提供している()。筆者は昨年,両コースを受講する機会を得たため,本稿にて報告したい。

専門家としての情報発信のスキルを学ぶ研修

 研修会は,英国の著名な科学ジャーナリストの一人であるJudith Hann氏と,BBC World Newsの放送局創設に携わったJohn Exelby氏によって企画・運営されている。

 会の冒頭Hann氏は「メディアには,有名人による根拠のない"科学的"情報があふれており,一般に与える影響も大きい。科学者は,不正確な情報を流すメディアを非難するだけでなく,科学技術への信頼度向上のため,自ら発信する責務を有する」と述べた。また,約600万人が視聴する全国ニュースの取材を,"たった2分で自分の研究を説明するなんて不可能だ"と断った研究者に遭遇したエピソードから「科学の急速な進展に伴って,遺伝子組み換え技術やナノ・テクノロジーなど,その安全性に賛否の分かれる領域が出現している。正確な情報を限界も含めて的確に伝えられれば,人々はその複雑性を認識し,倫理面や社会への影響も理解すると報告されている。一方で研究者がオープンに議論し,説明責任を果たす努力を怠れば,メディアは不正確で偏った情報に惑わされ,結果として科学はむしばまれていく」と語った。そして,不正確な記事に反論し,専門的な立場から意見を述べるスキル修得の必要性を強調した。

コミュニケーションスキル・コース

 このコースには,オックスフォードやケンブリッジをはじめとした英国各地の大学院生から中堅研究者まで10人が参加した。医学や工学,物理学,数学,天文学など専門とする領域はさまざまであった。

 主に学んだのは,新聞の活用法と講演を行う際の留意点,パネル・ディスカッションの司会進行法,プレス・カンファレンスの開催方法である。新聞の活用については,全国紙の科学記事の特徴や読者層の解説,新聞取材の要請方法と受け方のコツ,新聞社からの問い合わせへの対応法,新聞に署名記事を書くときの記事構成,文章の難易度や実用例を挙げることの効果などが取り上げられた。一般市民を対象とした講演では,準備からリハーサルの仕方,また講演当日に,講演内容に関連する報道がなされていればその話題から始めるとよいことなど,講師の豊富な経験に基づく助言も多く与えられた。

 参加者には,自分の研究内容を1000 語以内にまとめ,新聞記事形式で提出するという宿題があらかじめ課せられており,講師から添削指導を受けた。さらに同じ内容を10分程度のスピーチにして,講師および他の参加者からフィードバックを得た。2週間以内の新聞の科学記事を各自取り上げて紹介する課題もあり,講師のコメントを受けながら,新聞報道の特徴や問題点をグループで話し合った。

メディアスキル・トレーニング

本番さながらのインタビュー収録の様子
 こちらはテレビやラジオのインタビューを想定したトレーニングで,前述の講師陣に加え,BBCで報道番組を担当する現職のカメラマンと音声担当者が加わって行われた。王立協会の一室に作られた即席のスタジオにて3分程度のインタビューを受け,その録画をもとにフィードバックを受けるという実践形式の研修であった(写真)。

 インタビューは3回行われ,1回目は自分の専門領域の重要性や,どのように次世代育成にかかわっているかを述べた。2回目は,遠隔地のスタジオを想定し音声のみの質問に回答する形式で,気候変動がテーマであった。3回目は,厳しい経済状況の中,科学研究費の予算確保を主張するインタビューで,簡潔で力強い議論の構築が求められた。

 参加者9人が同様のインタビューを受け,最初の2回分は全員でビデオを見て批評し合った。伝えたいメッセージが整理されているか,自分の言葉で語れるかで説得力がずいぶん変わること,事前の準備が非常に重要であることを実感した。他にも講義形式で一般的な心得を学ぶとともに,収録スタジオの構造や収録の手順,異なるインタビュー様式についての説明を受けた。実際の報道番組のインタビューを視聴し討議する時間も設けられていた。

 最後に,王立協会が学校や市民向けに提供している科学プログラムが紹介され,今回修得したスキルを活かす機会として協力を求められた。また,全国紙・主要新聞社の科学や健康,環境の担当記者の氏名と電子メールアドレスのリストも資料として配布され,大学や研究機関の広報担当部署を活用するよう繰り返し勧められた。

英国に学ぶ――研究者の社会参画の意義とは

 筆者がこのトレーニングを受けたのは,2010年から1年間在籍したロンドン大衛生学熱帯医学大学院修士課程で「研究は論文にしただけでは意味がない。研究成果が実社会で共有され活かされて初めてその意義が生まれる」と繰り返し聞かされたことがきっかけであった。専攻したヘルス・プロモーションの授業では,報道が市民の意識や政策決定に及ぼす影響を考えてメディアに情報提供する"メディア・アドボカシー"を学んだが,そこでもこのコースを紹介された。

 当初は,メディアとの協働や政策を意識した研究姿勢が強調されるのは,公衆衛生大学院だからこそと理解していた。しかし,英国では卒前医学教育においても,健康政策や医療制度の構築で重視すべき理念について,医療経済や社会的公正の観点から討議できることが,アウトカムとして盛り込まれている2)。社会の在り方が個人の健康に影響することが,社会的健康決定要因として意識されている。健康格差を是正するための政策提言をミッションに掲げる医学会もある3)

 さらに言えば,積極的な社会参加を市民に求める教育は「シティズンシップ教育」として,小中学生時から始められている4)。現地の小学校に通う子どもは,4年生で新聞記事の構成を学び,日常の出来事を記事にする課題に取り組んでいた。宿題を手伝いながら私自身も勉強になった。同じく社会科の授業では,マーガレット・サッチャーの生い立ちを調べ,その政策について自分の意見を述べて発表していた。

 政治やマスコミは,一見,サイエンスから最も遠いところに位置するように思われる。研究者の側から近づいて未来に備えるというアプローチは,英国社会だから可能とも言えるだろう。発信された情報を受け取る側のメディア・リテラシーも求められる。

 しかし今日,原発事故に端を発した原子力発電の是非に関する議論をみても,専門家との対話や情報を求める市民は少なくない。Hann氏が必要性を指摘した,科学的な立場からの問題提起や分かりやすい情報提供,オープンな議論が強く求められていると感じる。研究者が,メディアとコラボレーションし,社会的な役割を果たすこと。その必要性を,今回のトレーニングを通してあらためて認識した。


大学等の研究機関でアクティブに研究を行う博士号取得者が対象。受講料は2コースで800ポンド(約12万円)と高額だが助成申請可能。希望者が多く受講まで1年待つことも。

参考文献
1)http://royalsociety.org/about-us/
2)http://www.gmc-uk.org/static/documents/content/GMC_TD_09__1.11.11.pdf
3)武田裕子.格差社会で行動する英国の一般医.週刊医学界新聞.第2972号;2012年4月2日.
4)奥村牧人.英米のシティズンシップ教育とその課題.村山隆雄編,青少年をめぐる諸問題・総合調査報告書.国立国会図書館調査及び立法考査局,2009,pp17-32.


武田裕子氏
1986年筑波大医学群卒。米国に臨床留学し95年米国内科専門医資格取得。帰国後は大学教員として主にプライマリ・ケア診療・教育に従事。2010-11年ロンドン大衛生熱帯医学大学院修士課程に在籍。MScを取得し11年10月より現職。ヘルス・プロモーション教育・研究を行っている。

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