医学界新聞

インタビュー

2013.01.21

【interview】

霧はれて光きたる春

ハナムラ チカヒロ氏
(ランドスケープデザイナー/大阪府立大学21世紀科学研究機構准教授)


 2012年2月に大阪赤十字病院(大阪市)で行われた大規模インスタレーション『霧はれて光きたる春』が,日本空間デザイン協会主催の「空間デザイン賞2012」において,大賞および日本経済新聞社賞を受賞した。病棟の吹き抜けに突然現れた霧とシャボン玉には,どのような意味が込められていたのだろうか。インスタレーションを考案・実施したハナムラチカヒロ氏に話を聞いた。


新しい価値を生む「まなざしのデザイン」

――ランドスケープデザイナーという名前はあまり聞き慣れませんが,どのような活動をされているのでしょうか。

ハナムラ ランドスケープデザインは,通常公園や緑地などの外部空間の設計やデザインを行う領域を指しますが,私の専門は「風景異化」という独自の領域です。ある場所に物理的な改変を施すのではなく,「場所に立つ人がこれまでと異なる見方を持てば,その人の中で新しい風景(landscape)が生み出される」という仮説のもと,場を違った角度から見つめ直す「まなざしのデザイン」を実践しています。

 まなざしをデザインすることは,既成概念に対する疑問や,日常のなかにある新しい意味の発見などをもたらします。アートの領域から実践し始めたのは最近で,例えば本物と見間違うほど精巧な人工植物を自然豊かな山中に展示した取り組みでは,これまで何気なく眺めていた山の植物に再び目を向けさせ,命あるものと人工物との違いは何かという疑問を投げかけました。また,病院の空中庭園では,風船を並べることで普段は見えない風を可視化して感じてもらう作品を提供したこともあります。

――『霧はれて光きたる春』では,病棟の吹き抜けに,霧とシャボン玉が出現します。これにはどのような意味が込められているのでしょうか。

ハナムラ 本作品では,患者さんの病に対する不安な気持ちと,治療後の生活に向けた希望の両面を表現したいと思い,霧とシャボン玉という二つの現象を用いました。まず,霧によって視界が閉ざされ先が見えない状況は,人をとても不安にさせます。闘病生活を送る患者さんも同じように不安を抱えていることから,その気持ちの表現として,吹き抜けの底から立ち上る霧を発生させました。そして,その闘病生活を抜けた先には希望があることを美しい現象で表現したくて,上空から大量のシャボン玉を降らせました。

"意味のわからない風景"が医療者と患者の関係性を変える

――この作品は大阪赤十字病院で行われる前に,「大阪市立大学医学部附属病院アートプロジェクト」の一環として,2011年に初めて実施されました。どのようなきっかけで考案されたのでしょう。

ハナムラ 作品を考えるために院内を歩き回っていた際,白衣を着た医療者にあいさつをする患者さんの姿を見かけたことがきっかけでした。もし医療者が白衣を着ていなかったら,患者さんはその人に医療者として接しないのではないか,と思ったのです。この経験は,"医療者"は最初から医療者ではなく,白衣を着て患者さんとの関係を築くなかで"医療者"の役割を演じる身体になっていくのだと私に感じさせました。

 医療者と患者さん,つまり医療を提供する側と受ける側という関係性は治療を進めるためには当然必要な役割分担です。しかし,人と人とのコミュニケーションという意味においては,その役割を演じることが必ずしも有効に働くとは限らず,時には気持ちの隔たりを生んでしまうこともあるでしょう。入院生活の間にほんのひとときでもそうした役割を脱ぎ捨て,お互い一人の人間としての関係を持つことができれば,それぞれの関係性に新しい見方がもたらされるかもしれません。そこで私はこの作品を通して,医療者と患者さんがお互いの立場や役割に関係なく,一緒に共有したくなる風景を生み出したいと考えました。

――それが,霧とシャボン玉の風景だったわけですね。

ハナムラ 予期せぬ状況に出くわしたり,意味がわからない風景を前にしたとき,その場を共有する他人との関係性が,組み変わることがあります。病院の吹き抜けに突如霧が立ち込め,シャボン玉が降ってくるという誰も答えを持ち得ない風景を目の前にしたとき,医療者や患者さんという役割を演じる必要のない場が共有され,今までとは違う新しい関係性が築けるのではないかと思いました。

――患者さんだけでなく,医療者も対象にした作品なのですね。

ハナムラ この作品が医療者の方にとっても患者さんとの関係性が変化する良いきっかけになればうれしいです。この作品と向き合うなかで,医療者としての役割を脱ぎ捨て,一人の個人としてのまなざしを持てれば,その後の患者さんとのコミュニケーションや心のケアに良い影響が及ぶのではないかと期待しています。

期待されていない場にこそ,アートは必要

――実際にインスタレーションを行った際,患者さんからは「これってどういう意味だろう」という声があがったそうですね。

ハナムラ 今回の作品では,作家である私の主旨や意図をあえて前面には押し出しませんでした。特に患者さんには,こちらから何か意味を"与える"のではなく,患者さんが目の前の風景に主体的に意味を見いだし考えることを"促す"ものにしたかったのです。私たちは何かを提供される側に長く居続けると,主体性や積極性を失いやすいものです。今回の作品でも,患者さんに病気と闘う意志や主体性を持つことが重要だということを,どこかで感じてもらいたいと思いました。そのためにはこちらから意味や答えを提供しないほうが良いと判断したのです。

――今後も他の病院で,同様のインスタレーションを行うのでしょうか。

ハナムラ ぜひ継続して実施したいと思っていて,現在吹き抜けのある病院を探しています。吹き抜け空間を利用して行う本作品以外にもやれることはあるのでしょうが,本作品は病院という場とそこでの心の在り方を見つめ直すのにわかりやすいメッセージを持っているため,もう少し掘り下げて取り組みたいと考えています。患者さんと医療者の関係性をフラットにできるこうした取り組みが,病院という場や医療環境に新しい価値を生み出すのではないかと思うのです。

 病院という施設は,人の生死にかかわることが毎日起きている厳しい環境で,アートのような行為は一見無意味にとらえられがちです。しかしそんな環境だからこそ,アートにできることがあるはずだと信じています。アートを見ることが特に期待されていないような場だからこそ,実はアートが喜びや癒しを促し,今回のようにコミュニティに内包されている問題を解く一助ともなり得るのではないかと考えています。将来的にこのような取り組みが医療の一部として社会から認められれば,医療の可能性がまた一つ拓けるのではないでしょうか。

――最後に,ハナムラさんが世の中に作品を提供し続ける理由を教えてください。

ハナムラ 今回,病院において医療者と患者さんが持つ「役割」を問い直したように,当事者の間だけでは風穴を開けられない問題が,世の中には多く存在します。空間や環境の問題だけでなく,その内部にずっと居る人では当たり前過ぎて気がつきにくい「コミュニケーションの盲点」などもあると思います。そうした状況に何かを挿し込むことで,認識されていなかった問題を浮き彫りにすることが,アートの重要な社会的役割の一つだと考えています。異国からやってくる旅人のように,既存のコミュニティに新しいまなざしを提供する第三者として,今後も病院を始めさまざまな場所で活動したいと思います。

――ありがとうございました。

写真:インスタレーション『霧はれて光きたる春』のもよう。窓をのぞくと下方からは霧が,上空からはシャボン玉が落ちてくる。立ち込めていた霧が晴れると窓の向こう側に,同じように吹き抜けを見上げる人たちの顔が見える。「不思議な現象を介して,病室や立場を超えた交流や対話が増え,患者さんの気持ちを前向きなものにできればうれしい」とハナムラ氏。

(了)

※『霧はれて光きたる春』の映像は,下記サイトでご覧いただけます。
 http://www.youtube.com/watch?v=UJSDt8C-bJM

【interview】

枷場 博文氏(大阪赤十字病院 総務課)
無津呂 國彦氏(同院 管財課)

――最初にインスタレーションの打診があった際,どのように思われましたか。

枷場 今回は大阪府の事業の一環として打診を受けましたが,どの程度の規模で行われるのか,当院の環境で実施できるのかなどがまったく想像できなかったため,いったんはお断りしました。ところがハナムラさんご本人からの熱心な再交渉に,われわれも可能かどうかもう一度前向きに検討した結果,実施することとなりました。大阪市大病院での前例が,最大の後押しでしたね。

――実施に当たり,院内の環境整備は大変だったのではないでしょうか。

無津呂 病院は患者さんを治療する場ですから,通常の病院業務に障害が出ないこと,患者さんの安全が確保されることが最優先です。電気系統を統括する責任者として,電気容量は十分か,電源を院内のどこから引っ張ってくればよいかなど,関係部署と調整しながら一つずつ課題をクリアしていきました。

枷場 調整は確かに大変でしたが,院内職員の協力もあって,問題を解決することができました。職員の皆さんも,心のどこかで「患者さんのためになるのなら実施したい」という気持ちを持っていたのではないでしょうか。

無津呂 ハナムラさんからの難しい要求を断ってしまうのは簡単でしたが,そうすればこの取り組みも終わってしまうと感じていました。反対にこちらが譲れない部分では,作品のほうを変えてもらったこともあります。互いに意見を出し合い,調整したことで,病院でしか実現しない作品ができました。

――インスタレーションを行った際の病棟はどのような様子でしたか。

枷場 病室から患者さんが廊下に出てきたり,回診中の医師や病棟看護師が患者さんに声をかける場面が見られました。大人たちが窓の外を真剣に見ている姿は,インスタレーションと同様,これまで見たことのない不思議な光景で,病院でもこんなことができるんだと感動しました。

無津呂 患者さんも医療者も,「あれはなんだろうね」と不思議がりながらも楽しそうでした。ただ,医療者の中には業務中に患者さんと一緒に楽しむことに戸惑い,遠慮する方もいたようです。次の機会があれば,今度は医療者にも企画の段階からかかわってもらい,一緒に楽しめる環境を整えたいですね。

(了)


ハナムラチカヒロ氏
1976年大阪府生まれ。阪府大生命科学研究科緑地環境計画工学修了。民間デザインオフィス、阪大コミュニケーションデザイン・センター特任助教を経て,2010年より現職。「風景とまなざし」をデザインする観点から,建築や公園などの空間や現象のデザインを行う傍ら,コミュニケーションを生み出すプロダクトのデザインや公共空間でのアートインスタレーションなども行う。12年,DSA空間デザイン賞において,大賞と日本経済新聞社賞を同時受賞。

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