医学界新聞

対談・座談会

2012.12.17

【対談】

地域に生きた駐在保健婦の歴史
『保健師ジャーナル』(第69巻第1号)より

久常 節子氏(国際医療保健大学大学院副大学院長 前・日本看護協会会長)
木村 哲也氏(歴史・民俗学者)


 戦中から戦後にかけて,高知県を中心に実施された保健婦駐在制。その仕事の中心はひたすら目の前の問題を汲み上げ,それを解決するための施策や支援につなげていくという地域活動であった。

 『保健師ジャーナル』誌では,このたび出版された『駐在保健婦の時代 1942-1997』(医学書院)の著者で,高知や青森,沖縄における保健婦の歴史を研究した木村哲也氏と,高知県出身で厚生省において保健指導室長,看護課長を歴任した久常節子氏との対談を開催。本紙では,高知の駐在保健婦の指導的立場にあった上村聖恵氏の話題と,木村氏が駐在保健婦との対話から得た気づきについて抜粋してお伝えする[対談全文は『保健師ジャーナル』(第69巻 第1号)に掲載]。


「大物保健婦」の時代

久常 この研究をまとめられるのは大変だったでしょう。

木村 僕は,祖母(西岡末野)が高知県の保健婦だったというのが大きな力になったと思います。高知で元駐在保健婦の方々にお話をうかがうときにも,「西岡さんのお孫さんやったら,話をしましょう」と言っていただきましたし,沖縄でびっくりしたのは,「高知の保健婦さんの関係だったら,時間を取らなイカンね」と言って会ってくださったことです。それは青森でも同じでした。

久常 高知と沖縄はすごく行き来がありましたからね。

木村 僕は当時を知らない世代なので,こんなことがあるのかと思うくらいに歓迎されました。

久常 高知県の駐在保健婦をまとめていた保健婦の上村聖恵さんをはじめ皆が,高知に勉強に来た人たちをとても大事にしましたね。当時はいろいろな県から高知へ勉強に来ましたから,もちろんいいところを見せなければ,という思いもあったかもしれませんが。

木村 久常さんは高知県におられたときに,上村さんを身近で見ていらしたと思いますが,上村さんはどんな方だったのですか。

久常 私たち保健師は,行政を押さえ,政治家を押さえ,そうして物事を拓いていくべき職能だと思うのですが,上村さんはそういう手腕をもっていた方でした。当時,他の県にはなかったことだと思いますが,県内のどんな山奥からも保健婦を呼んで,全員で年に2回の研修を開催していました。そうした実行力も大変なものでした。

木村 駐在制だと,ともすると任地に保健婦を放り出したままになるけれど,それではいけないという理由からですよね。その研修が予算の関係で年1回に減らされたことがあったけれども,そのときは保健婦が手弁当で集まって年2回を維持しながら,上村さんが県議会にかけあって予算を復活させたそうですね。

久常 そうなんです。上村さんのすごいところは,県内の保健婦の活動に関する情報をきっちり握っていたことですね。年に2回,研修で保健婦たちがそれぞれの地域の状況を発表する,その内容が全部頭に入っているので,彼女は県庁にいるにもかかわらず,本当に現場のことを知っていました。

 そうした現場の事例を,県の会議などで話し,知事をはじめいろいろな人の心を動かすわけです。物事を動かし,人を動かす,そういう政治力をもっていた人です。

木村 祖母の話でも,「上村さんの指導は軍隊さながらの厳しいものだった」と。けれども,いっぽうですごく涙もろくて,駐在保健婦の苦労話や相談事を涙ながらに聴いてくれたというんですね。そうすると,保健婦たちはやはりほだされてしまう(笑)。

久常 普通は行政官だと現場の仕事をしたことがないから,いきいきした事例なんかなかなか話せませんよね。でも上村さんは現場の話を聞いているから話せるし,それを使って政治力を発揮することができるわけです。そういう才能がありましたね。その意味でも普通の行政官ではありませんでした。

保健師へのエールとして

久常 駐在制の素晴らしいところは,常に地域活動が中心になっているところですよね。ヤギのお産まで手伝うなど,地域活動があらゆることの中心です。

 駐在保健婦は県から派遣された専門職としてそこにいて,地域活動が仕事だった。それで地域活動が守られたんじゃないですかね。地域へ出ていけば,いろいろなことが見えるわけですから。県のトップも,そのために駐在させたわけです。

 また,この本を読んで,駐留軍と花柳病の問題,ハンセン病の問題など,保健婦が何を大事にして行動していたかということも,あらためてわかりました。

木村 1人ひとりのお話からは,そうした保健婦としての思考過程も,共通して感じることができました。住民との関わりのなかで,目に見えないところから,その地域の抱える問題にフッと気づく瞬間があるんですね。たとえば,「これだけ広い畑をつくっていながら,自分たちのための野菜を何もつくっていない。これじゃダメだ」ということに気づくとか。

 時代に応じて問題は変わると思うんですけど,ひきこもりだったり,自殺だったり,いまの保健師さんでもこうした点は同じことじゃないかという気がします。

久常 今回の本は本当にじっくり読ませていただきましたが,上手に書いていらっしゃるなと思ったのは,駐在保健婦やその周辺の人々をただ「素晴らしい」と美化して書いているわけではなくて,課題は課題としてちゃんと記述されていること。つまりバランスが取れているんです。保健師が書いたら,なかなかこうは書けないと思うんですね。

木村 保健師さんからの反響でも,いくつかそういう声があってありがたかったですね。また,お話を聞いた元駐在保健婦の方からは,「自分たちの活動の意味を,こうした形で通して読むことで,あらためて気づかされました」と言われて,うれしかったです。こちらはお話を聞かせていただくだけですごく勉強になりました。保健師として多忙なお仕事のなかにいる方々に,エールを贈るような内容になっていたらいいなと思います。

(抜粋部分終わり)


久常節子(ひさつねせつこ)氏
1945年高知県生まれ。高知女子大衛生看護学科卒業,阪市大大学院修士課程修了。日医大にて博士号取得(医学博士)。カリフォルニア大サンフランシスコ校ポストドクトルコース修了。大阪府下の保健所にて2年間勤務した後,高知女子大,福井県立短大,国立公衆衛生院を経て,91年厚生省健康政策局計画課保健指導室長,93年同看護課長。2000年慶大看護医療学部教授,05年日本看護協会会長。12年より現職。

木村哲也(きむらてつや)氏
1971年高知県生まれ。祖母が高知県駐在保健婦経験者。都立大人文学部在学中より,駐在保健婦の調査研究を進める。博士(歴史民俗資料学)。主著に「忘れられた日本人」の舞台を旅する――宮本常一の軌跡』(河出書房新社),『癩者の憲章-大江満雄ハンセン病論集』(編著,大月書店)がある。2012年4月から『保健師ジャーナル』(医学書院)に,「『保健婦雑誌』に見る戦後史」を連載中。

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