医学界新聞

寄稿

2012.04.02

寄稿

格差社会で行動する英国の一般医

武田裕子(ロンドン大学キングス・カレッジ医学部地域医療教育部門 特別研究員)


 私が現在研究に従事しているロンドン大学キングス・カレッジでは,医学部教育の17%が地域で行われ,General Practitionersと呼ばれる一般医(以下,GPs)が診療所で医学生の指導に当たっています。私もこれまでに,GPsによる診療や学生教育の場に伺う機会がありました。また2011年10月には,日本プライマリ・ケア連合学会国際関係委員会委員として,the Royal College of General Practitioners(英国王立GPs協会:RCGP)の年次総会にも参加させていただきました。

 これらの経験を踏まえ,英国の医療を取り巻く社会状況の中でGPsが果たしている役割について,現在議論の渦中にある医療制度改革へのRCGPの取り組みとともにご紹介します。

プライマリ・ケアを担うGPsが設立したRCGP

 RCGPは「英国内外で優れた総合診療および患者ケアの提供に努める,プライマリ・ケアに携わる家庭医の団体」として1952年に設立され,現在では4万5000人もの会員を有する最大のRoyal Collegeとなっています。その活動目的は「高いレベルの一般外来診療の提供と,個々の患者および公衆の健康において最善のアウトカムを得る働きかけを行い,さらに,医療連携の中心的役割をGPsが担い,医療の質向上に貢献する」こととされ,次の目標が掲げられています。

1)優れたGPsの育成を,患者およびその家族とともに行う。
2)プライマリ・ケアを医学の学術的一領域として確立し,科学的に研究する。
3)比類のない患者―医師関係の普及を図る。
4)健康政策への提言を行い,健康格差の問題を取り上げる。
5)GPsの声となり,発言を続ける。

健康格差に挑むRCGP

 昨年のRCGP総会のテーマは"Diversity in Practice"(多様性に対応する診療)でした。英国は,昔ながらの階級制度に加え旧宗主国として多くの移民を受け入れており,社会における格差の存在が常に意識されています。昨夏に起きた暴動の背景にも,貧困や失業といった社会問題がある可能性が指摘されました1)。特にロンドン東部には社会経済的に恵まれない水準の人々が多く,国会議事堂のあるウェストミンスターから地下鉄で東に一駅進むごとに,平均余命が1年ずつ下がると言われます。スコットランドでも,裕福な地域と貧困層が多い地域では,いわゆる健康寿命に約20年もの差があるとするデータがあります。

 英国では,国営医療制度(NHS)により窓口での支払いなしにほとんどの医療を受けられますが,格差社会の底辺にいる住民は医療機関を含む社会的資源を十分に活用できない上,失業や劣悪な住環境,教育格差など健康に影響する社会的要因(social determinants)も抱えており,特別な配慮が必要です。RCGP総会では,診療の中でどのようにそうした多様性(diversity)に対応するかが議論されました。

健康に影響する社会的要因もGPsの守備範囲

 GPsの中には,特に困窮した地域(deprived area)で診療に当たる医師がいます。また,英語を話せない移民や難民申請者の診療を通して,社会の在りようが患者の健康・幸福感(well-being)に大きく影響することを日々実感している医師も少なくありません。

 RCGPは1998年に "Health Inequalities Standing Group of the RCGP"という健康格差を取り上げる分科会を設立し,会員の啓発活動を行っています。この分科会は,健康格差社会の中でGP個人が果たすべき役割,診療所や地域で可能な取り組み,さらに学会組織としての働きかけについて議論しており,2008年の報告書2)では「地域で働く医師は,健康格差を生じる原因となる社会的要因に対しても行動を起こせる立場にある」として,多様な事例が紹介されています。

 例えば外来受診時に,地域のコミュニティ・センターの教育プログラムを紹介し,子どもたちの学習や失業中の患者の就労支援の活動に協力する取り組み。継続フォローが必要な患者が外来を定期受診できるよう,職員が積極的に働きかけたり,外来や薬の処方までの待ち時間を工夫する診療所の例。ティーンエイジャーの妊娠や喫煙が問題となった地域では,学校に出張診療所を設け,生徒やその家族の医療へのアクセスを容易にした結果,問題行動や校内暴力が減少したという報告も掲載されています。

RCGPがNHS改革法案に反対する理由

 現在,英国(England)では,2011年に保守党連立政権が提出した"Health and Social Care Bill"(保健社会医療法案)をめぐり,熱い議論が交わされています。この法案では,これまで地域の保健医療ニーズに応じて予算を配分してきたPrimary Care Trusts(PCTs)という公的機関を2013年に廃止し,GPsを中心とするClinical Commissioning Groups(CCGs)を地域ごとに立ち上げることが示されています。

 CCGsは,年間約600億ポンド(約7.7兆円)に上るNHS予算の使途決定の権限を有すると同時に,そのアウトカムについても説明責任を負います。「地域のニーズを的確に把握し,患者にとって何が最善かを最もよく知るGPsが計画を立てれば,最良の医療サービスが提供できる」と現政権は主張しています。また,提供するサービスが各CCGsごとに異なるという競争と市場原理の導入が医療の質を高め,30億ポンドもの管理費(administration cost)を削減可能とも考えているようです。

昨年のRCGP年次総会で,フロアからの質問に答える保健大臣Lansley氏(左)と司会のRCGP Chair,Gerada氏
 やや改善したとはいえ専門外来受診や入院までの待機時間は長く,がんの治療成績は他の先進国に劣るという報告もあり,英国のNHS改革の必要性は誰もが感じています。今後,年間200億ポンド分のコスト削減が不可欠とのことで,「現状維持」は選択肢にないことも明らかです。しかし,マニフェストにもなかったこの法案に対して,医療界は「拙速であり医療の民営化を招く」とこぞって反対し,特にコミッショニングを任されるGPsの団体であるRCGPは,強く反対を表明しています。昨年の年次総会でも,ChairであるDr. Clare Geradaはこの法案を「市場の競争原理を医療に導入するもので,患者を医療マーケットの商品にしている」と鋭く批判しました。

 彼女は「Case management, demand management, productivity, risk stratificationといった"マーケティング用語"を医療に持ち込むことは,患者にとっての最善ではなく,利益を生むための医療を志向していることを示す」と指摘し,「CCGsの導入は患者―医師関係を歪め,弱者のwell-beingを考えるはずの医師をあたかも格安航空会社の経営者に仕立て,数の限られた座席を切り売りさせるようなもの」と揶揄しました。また,医療費に関する予算配分や医療資源の分配に関する最終的な決定は,国家が社会へのaccountabilityをもって行うべきだとも主張。20分あまりのこのスピーチに対し,会場からは割れんばかりの拍手が続きました。

政策提言もヘルス・プロモーションの一環

 年次総会は,現政権の保健大臣である Rt. Hon. Andrew Lansleyの演説と質疑応答で締めくくられました。「この改革法案は,不公正・不平等を是正しより持続可能な医療提供を目標にし,患者の選択肢を広げるもの」と力説するLansley氏に対し,会場のマイクの前には質問者の長い列ができました。

 現政権の施策に対して明確に反対の立場を表明しつつ,大臣を総会に招いて会員に討論の場を提供するRCGPと,それに応じて言葉を尽くして政策の意図するところを伝える大臣,患者の利益のために妥協せず意見を述べるGPsの姿に「公の場で議論を尽くす」英国の伝統を感じました。同時に,格差社会の中で,社会的要因によって損なわれた健康に対処する立場にある医師だからこそ,政策の持つ影響力を痛感しそこにかかわる重要性を認識しているのだと気づかされました。

 "Health Promotion=Healthy Public Policy × Health Education"とも定義されています3)。健康を決定する社会要因(social determinants of health)に目をとめ,行動し,政策提言に取り組む英国のGPsの姿は,経済格差や教育格差が表面化しつつあるわが国の医師にも求められるものではないでしょうか。

文献
1)http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2011/aug/08/context-london-riots
2)Addressing health inequalities: a guide for general practitioners.
 http://www.rcgp.org.uk/PDF/Health%20Inequalities%20Text%20FINAL.pdf
3)Tones K, et al. Health Promotion Effectiveness and Efficiency. 2nd ed. London: Chapman and Hall; 1994.


武田裕子氏
1986年筑波大卒。米国に臨床留学し95年米国内科専門医取得。帰国後は大学教員として主にプライマリ・ケア診療や地域医療教育に従事。グラクソ・スミスクライン国際奨学基金の助成を得て,2010年9月からロンドン大衛生学熱帯医学大学院修士課程に留学。2010年度British Council Japan Association奨学生。MScを取得し,11年10月より現職。主にヘルス・プロモーション教育とその研究を行っている。

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