医学界新聞

寄稿

2012.03.05

【寄稿】

集まれ! 熱帯医学を志す医師たち
長崎大学大学院熱帯医学修士課程を例に

谷口智宏(長崎大学大学院医歯薬学総合研究科熱帯医学専攻(修士課程))


 熱帯医学と聞くと,どのような学問を想像されますか。おそらく多くの方は,マラリアをはじめとした熱帯感染症を思い浮かべるのではないでしょうか。

 確かに熱帯医学の歴史は,英国が植民地化した熱帯地域で起こる感染症の研究から始まり,これまで多くの感染症の原因が特定され,治療法も劇的に進歩してきました。しかし三大感染症と呼ばれ研究が進んでいるマラリア,結核,HIVを例にとっても,感染コントロールはいまだに発展途上にあります。熱帯地域にしか局在しない疾患には,研究がほとんど進んでいないものも少なくありません。

 さらに現在の熱帯地域では,先進国と同様に生活習慣病や悪性腫瘍,精神疾患などが大きな問題となっていることに加え,経済格差による貧困,地球環境の変化や,人の行き来が従来にないほど増していることによる感染症の拡大など,医学だけでは対応しきれない問題も数多くあります。したがって,現代の熱帯医学は私たちも無関係ではなく,熱帯地域に存在する医療問題すべてを含めたものと言えます。そういった観点から,近年医療現場と研究機関をつなぐTranslational Researchも盛んに行われています。

 熱帯医学を学ぶコースとしての選択肢は,英国のロンドン大学やリバプール大学,タイのマヒドン大学などが有名です。ロンドン大学,リバプール大学ともに,熱帯医学発祥の地としての伝統と業績があり,本場の英語を学べるメリットがありますが,奨学金などを活用しなければ費用がかさむはずです。マヒドン大学は,熱帯地域ならではの症例が豊富であり,物価も安く,日本人も毎年数人が留学しています。

 私が所属する長崎大学は,日本において熱帯医学を学ぶことのできる数少ない教育機関の一つです。同大の熱帯医学研究所は,日本における熱帯感染症の専門家が所属する研究機関として,マラリア,デング熱をはじめ感染症の最先端の研究を行っています。また,1978年から熱帯医学研修課程が設けられており,受講者は3か月かけて日本語で熱帯医学を学びます。

 もう一つ,2006年に創設された新しいコースとして,私が籍を置く熱帯医学修士課程(以下,熱帯医学専攻)があります。学生と大学とをつなぐコーディネーターが複数名配置されており,時間割変更の連絡,講義資料の電子媒体での配布など,日本ならではのきめ細かなサポート体制が整っています。ここからは,熱帯医学専攻についてご紹介しながら,熱帯医学を学ぶ醍醐味をお伝えしたいと思います。

世界各地から招聘された専門家による最先端の講義

 熱帯医学専攻は,熱帯医学を学びたい医師のための1年間のコースです。2年以上の臨床経験を持つ医師が対象となっています。ではこの壮大なテーマを1年でどのようにして学ぶのでしょうか。私が入学した2011年度を例にとり,ご説明します()。

 4月の入学初日から,学生は通常の国内の大学院生活とは違う経験をします。周囲を見回せば,アジアやアフリカからの留学生ばかりで,入学式も英語で行います。今年度は日本人5人,留学生10人の合計15人で,出身国もベトナム,グアテマラ,ケニア,ナイジェリア,コンゴ民主共和国,ウガンダ,ブルキナファソ,コモロとさまざまです(写真)。

写真 (左)2011年度の修士課程学生とコーディネーター/(右)タイ研修でのグループワークの一コマ

 日本人では,私のような感染症を専門とする医師は1人だけで,自治医科大学出身(義務年限内)の一般内科医,後期研修を修了したばかりの腎臓内科医,途上国での医療協力をめざす外科医,8年間臨床に従事してきた小児科医と多様な人材が集まりました。地域にもよりますが,海外からの帰国者,あるいは外国人の診療を日本で行う場合に,熱帯医学の知識が非常に役立ちます。現在,医学教育においても寄生虫や原虫などについてはほとんど習わなくなってきており,多くの日本人医師は,これらの熱帯疾患の診療が不得意です。

 熱帯医学専攻の授業はすべて英語で行われ,世界各地から招聘される熱帯医学の各領域の専門家によって最先端の内容が講義されます。また,研究のための疫学や統計学の基礎も学ぶことができます。

 講義と平行して,寄生虫から分子生物学まで幅広い実習の機会も与えられます。グループで行う課題も随所に出されるため,学生同士で日々熱い議論を交わしながら,英語でプレゼンする能力も磨かれていきます。7月にはそれまでの知識の習得を確認するための学科試験が行われ,試験に落ちるかもしれないというプレッシャーを数年ぶりに味わいました(晴れて全員合格しました)。

 8月には海外研修としてタイを訪問し,10日間かけて現地の医療を学びました(写真)。9月からは熱帯医学研究所内の各講座に配属され,それぞれ研究を行っています。その研究成果を翌年2月までに修士論文にまとめ上げ,教授陣との討論を乗り切れば,3月に卒業となり熱帯医学修士の学位が与えられます。

熱帯地域ならではの問題を現地での研究・臨床を通して学ぶ

 長崎は熱帯地域ではないので,マラリアやデング熱を診ることはほとんどありません。そのため,日本人学生に対しては,秋からの研究期間を海外で過ごすプログラムが用意されています。今年度は,渡航費と滞在費が支給されました。

 私は,フィリピンのマニラにある感染症専門病院で,3か月半にわたり結核の臨床研究を行いました。途上国という設備や資源が限られた環境で臨床研究を行うには,数々のハードルを乗り越えなければなりませんでした。一方で,研究だけでなく,病棟実習も同時に行うことができたため,狂犬病をはじめ日本では診療経験を積むことのできない疾患も数多く診ることができました。私がフィリピンの医療現場に臨床医として直接貢献することは困難ですが,臨床研究をすることで,現地で問題となっているテーマを浮かび上がらせることができ,これも医療協力の一つの形ではないかと思います。

 もう一点,熱帯医学を学ぶなかで,世界にはさまざまな医療問題があり,それぞれの国や地域に応じた医療やエビデンスが必要だと感じるようになりました。日本の医療現場に勤務していると,特に感染症の分野では,CDCガイドラインやSanford Guide「熱病」など,米国発のエビデンスばかりが注目されがちです。そのエビデンスが他の地域でどこまで適応できるのか,慎重に判断する必要があると言えます。

 卒業後の進路は,博士課程へ進学しさらに研究を深める人,臨床現場に戻る人,疫学の道に進む人,あるいはNGOなどで国際医療協力のチャンスを狙う人などさまざまです。私自身は臨床現場に戻り,大学院で学んだことを生かして臨床研究も幅広く行い,世界に情報発信していきたいと考えています。

 熱帯医学を学びたい人,熱帯医学に関する研究をしてみたい人,将来海外で医療協力をしたい人は,一度長崎大学の門を叩いてみませんか? きっといろんな出会いや発見が待っていますよ。

:2012年度から学生募集が4月,授業開始が10月に変更となりました。詳しくは長崎大学熱帯医学修士課程のホームページをご参照ください。


谷口智宏氏
2002年東北大医学部卒。沖縄県立中部病院,沖縄県立八重山病院,国立病院機構大阪医療センターを経て,現在長崎大大学院医歯薬学総合研究科熱帯医学専攻に所属。日本内科学会認定内科医,日本感染症学会認定感染症専門医,ICD制度協議会認定インフェクションコントロールドクター。著書に『感染症ケースファイル――ここまで活かせるグラム染色・血液培養』(医学書院)。

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