医学界新聞

連載

2012.01.30

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第214回

生殖医療と政治

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2961号よりつづく

 米国では,避妊や妊娠中絶の問題が,次の大統領を決めるに当たって重要なファクターになり得るといったら,読者は驚かれるだろうか?

 例えば,2011年12月7日,保健省長官キャスリーン・セベリウスが,緊急避妊薬「プランB・ワンステップ®」のOTC医薬品化を認めたFDA(食品医薬局)の決定を覆したことが当地では話題となったが,2012年の大統領選挙をにらんで,オバマ政権が政治的判断を優先させたためと言われている。

 緊急避妊薬「プランB」のOTC医薬品化が,度々大きな政治問題となってきた経緯は以前にも本欄で紹介した(第2652号)。しかし,ブッシュ政権内でOTC化認可をめぐる意見の相違がFDA内部に限定されていたのとは違い,今回,オバマ政権は,FDAが決めた認可を上部機関である保健省が否認するという異例の処置をとったのである(註1)。

選挙をにらんだ政治家の「変節」

 日本の場合,「性の乱れ」を心配する頭の硬い政治家がピルの認可を妨害した事例があったが,米国では,避妊とか妊娠中絶とか,生殖医療に絡む論議が,容易にホットな政治問題となる傾向がとりわけ強い。というのも,宗教保守を中心として「妊娠中絶は殺人」とか「避妊は神の教えにもとる」とか,真剣に信じる「プロライフ」の人々が多く,政治的に無視し得ない一大グループを形成しているからである。そういった状況の下,プロライフ派は,「受精した時点で生命は始まるのだから着床を阻害する薬剤は中絶薬」として,(その主作用は「排卵の抑制」であるにもかかわらず)プランBのOTC化に反対し続けてきたのである。

 今回,オバマ政権がFDAの決定を覆した理由も,大統領選を目前として「保守派の反感を煽るような決定は避けたかった」からだと言われている。皮肉なことに,オバマは,大統領に当選した当時,医薬品行政については「政治よりも科学を優先する」ことを公約していた。その背景には,ブッシュ政権が,宗教保守に対する配慮からヒト胎児由来幹細胞の研究利用に対し政府配分研究予算を厳しく制限していたことがあったのだが,自分の再選が危ぶまれているとあって,公約を破る形で科学よりも政治を優先したようなのである。

 今回のオバマの「変節」はリベラル派を大きく失望させる結果となったが,2012年の選挙をにらんで生殖医療に対するスタンスを変節させているのは共和党の大統領候補も変わらない。特に変節が激しいと批判されているのが,最有力候補と目されている元マサチューセッツ州知事ミット・ロムニーである。1990年代半ばに,同州選出上院議員の座をエドワード・ケネディと争った際には,「プロチョイス(註2)」派であることを公言,「親戚の女性が中絶の闇手術を受けて命を落とした」体験を涙交じりに語ったり,中絶を実施する医療団体の支援を求めたりしたものだった。ところが今回の大統領予備選では,宗教保守の票を失ってはならじと,プロライフに転じたのである(本人は,「ヒト幹細胞を巡る論争が起きたときに考えが変わった」と変節の理由を説明している)。

妊娠中絶の非合法化をねらい,攻勢強めるプロライフ派

 オバマ政権の誕生後,米国では,政治全般にわたり,保守とリベラルの対立が以前にも増して厳しくなっているのだが,生殖医療絡みの論争は,プロライフ・プロチョイスの双方とも「感情的要素」が入り込みやすいだけに,「ホット」な問題となる傾向が強い。だからこそ,選挙をにらんで政治家がその立場を変節させることも珍しくないのである。

 しかも,2010年の中間選挙で保守派が大勝したこともあって,プロライフ派は,妊娠中絶の実質的非合法化をねらって攻勢を強めている。例えば,ミシシッピ州では,「受精した時点で人格(personhood)が始まる」とする法律改正案が11月の州民投票の対象となり,中絶の実質的非合法化が企図されたばかりである(結果的に,58%の反対票でこの提案は否決された)。

 さらに,これまで,プロライフ派は中絶を実施する医療者の罪は追及しても,当事者の女性を罪に問うことは求めてこなかった。「中絶した女性は片っ端から刑務所に入れる」などと主張した途端に,大半の女性の支持を失うことになることを危惧するからにほかならない。

 ところが,2011年1月,アイダホ州で中絶をした女性が逮捕・訴追される事件が出来,全米の耳目を集めた。想定外の妊娠で切羽詰まった女性が中絶薬「RU-486」を自己使用したことが罪に問われたのであるが,結果的に起訴取り消しとなったものの,同州では「自己中絶」は5年以下の刑と定められていただけに,中絶した女性が刑務所に送られる危険が現実のものとなり,注目の的となったのである。

 ことほどさように,当地では,生殖医療絡みの事件が容易に「ホット」な政治問題となる傾向が強くなっているのであるが,避妊や中絶の問題が,次期大統領を決める重要なファクターとなり得る事情が少しでもおわかりいただけただろうか。

つづく

註1:医薬品認可に関するFDAの正式決定を保健省長官が覆すのは,史上初めてとされている。
註2:女性には妊娠を継続するか中絶するかの「選択」をする権利がある,とする立場が名称の由来。

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