医学界新聞

連載

2011.12.19

在宅医療モノ語り

第21話
語り手:五郎さんはお熱いのがお好き 湯温計さん

鶴岡優子
(つるかめ診療所)


前回からつづく

 在宅医療の現場にはいろいろな物語りが交錯している。患者を主人公に,同居家族や親戚,医療・介護スタッフ,近隣住民などが脇役となり,ザイタクは劇場になる。筆者もザイタク劇場の脇役のひとりであるが,往診鞄に特別な関心を持ち全国の医療機関を訪ね歩いている。往診鞄の中を覗き道具を見つめていると,道具(モノ)も何かを語っているようだ。今回の主役は「湯温計」さん。さあ,何と語っているのだろうか?


奈良の湯を訪ねました
千人施浴の伝説がある古都奈良。現代の銭湯を訪ねました。なんと44°C! 「ウチは"アツ好き"が多いからねえ」。番台のおかみさんが教えてくれました。湯上りはレトロな体重計の上でひと休み。歴史に思いを馳せました。
 漫画「テルマエ・ロマエ」(エンターブレイン)が人気あるらしいですね。古代ローマの浴場設計技師ルシウスが風呂に潜って,現代の日本の風呂にタイムスリップするお話です。「平たい顔族」と表現される日本人の風呂文化に驚嘆しながら,自分の仕事に真摯に向き合う姿は感動的です。あのルシウス君が,ウチの風呂に来たらどんなことになるかなあ,なんて時々想像して楽しんでいます。

 私はあるデイサービスセンターの風呂場に住む湯温計です。いつも湯船に浮かび,皆さんのお話をぷかぷかしながら聞いています。あの声は黒板五郎さんでしょうか? しばらくご無沙汰ですが,あの独特の語り口は五郎さんに違いありません。何かもめているようですね。なるほど,若い男性職員さんが入浴を勧めても,五郎さんはかたくなにそれを断っているようです。

 「黒板さん,今日は入りましょうよ。気持ちいいですよ」「オイラはいいんだ。垢で死ぬ奴なんていないんだ」「でも血行もよくなるし,暖まりますよ」。若い職員さん,今日は珍しく引き下がりません。「被災地の人だって,皆風呂に入れないんだぞ」「そうでしたよね。確かにそういう時期がありました。でも,今は入っておられると思いますよ」「オイラ,蛍から聞いたんだ。娘は看護婦でね。しばらく東北へボランティアに行ってた。これからもっと寒くなるのに,東北は大変だって。それを忘れちゃいけないって」「そうですけどぉ」「ヒト様にお世話になってまで風呂なんて入るもんじゃない。だいたいオイラ,手間返しができない」「手間返しなんていいんですよ。今は介護保険があってねえ……」と説明しようとする若い職員さんをベテランらしき職員さんが止めました。

 これを聞いた時,私は一瞬意味がわからなかったのですが,「北の国から 2002 遺言」を思い出し,やっと合点がいきました。日当などもらうことなく,廃材やゴミを使って皆で家を建てるシーンだったと思います。手間をかけてもらったら手間,つまり労働で返す。お金やモノなどで返してはいけない。それが「手間返し」であり,「結(ゆい)」と呼ばれることもある。そんな話だったと思います。

 五郎さんは,確か去年の冬に風呂場で倒れたと聞きました。脳出血で結構長く入院していたそうです。この脳出血の後は,誰かの手間を借りないと風呂に入れなくなりました。ヒートショックを意識しての対応なのか,主治医から「ぬるめのお湯で短めの入浴を」とアドバイスがありました。職員さんは脱衣所も風呂場も暖めておいて,手際よく私を使ってぬるめのお湯を作ります。私の数字で「38」が目標だったようです。でもそれは五郎さん好みではありませんでした。もともと「熱め」が好きなのです。

 一度はあきらめたと思われた若い職員さんは,またしつこく五郎さんを口説きます。「『今年の汚れは今年のうちに』って言うじゃないですかぁ」。五郎さんは黙っていましたが,私のほうがカーッとなりました。「おい,そこの青年! 年末大掃除の洗剤じゃないんだぞ。1年の汚れや悲しみが,簡単に水に流せるわけないだろうが!」。時間もたっていたので,湯船は完全に冷たくなっていました。少しぐらい本当に私が熱くなってもよかったかもしれません。湯沸し機能付き湯温計。そんなモノがあったら,古代ローマのルシウス君もびっくりするだろうなあ。

つづく

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