医学界新聞

寄稿

2011.04.04

寄稿

ロンドン大学衛生学熱帯医学大学院で学んで
何を学び,その後の進路をどう選択したか

島川祐輔(ロンドン大学衛生学熱帯医学大学院博士課程)
杉浦寛奈(横浜市立大学医学部精神医学教室)
岸暁子(東京大学大学院糖尿病・代謝内科)
高岡賢輔(NTT東日本関東病院血液内科)


写真1 熱帯医学の授業風景
 ロンドン大学衛生学熱帯医学大学院(London School of Hygiene & Tropical Medicine; LSHTM)は,国際保健を含む公衆衛生,疫学,熱帯医学の分野において世界をリードする大学院大学として知られています。1年間の修士課程には850人の通学生に加え,通信教育コースには2500人が在籍しています。学生の約半数は世界120か国からの留学生であり,2010年には私たち4人を含め日本から13人が留学していました。

 LSHTMは,欧州だけでなくアジア・アフリカを中心に海外の100以上の施設と共同研究を行っており,常時100人以上のスタッフが途上国にて研究しています。臨床医や疫学者,統計専門家のみならず,文化人類学者・社会学者・分子生物学者・免疫学者まで学問領域を超えて連携しており,公衆衛生・熱帯医学の問題に多方面から取り組んでいるのも特徴です。

 本稿では,私たちが学んだ疫学,公衆衛生学,公衆衛生栄養学,熱帯医学(写真1)/国際保健学の各コースについて,卒後の進路も含めご紹介します。


実践的かつ系統立った疫学教育

島川祐輔(疫学)


 私が疫学コースを選択したきっかけは,以前国際NGOの難民キャンプで活動した際に感染症の流行を経験し,一人ひとりの患者をみる臨床医学に加えて,キャンプ全体における対策を実施できるような疫学のスキルを身に付ける必要性を痛感したからです。しかし良い意味で期待は裏切られ,感染症の流行にどのように対応するかという実地疫学の実習はわずかで,仮説の立て方,システマティックレビューの重要性,研究倫理,研究デザインの立て方,解析の仕方,論文の書き方など,疫学研究を行うのに必要な知識や能力を実践的に系統立てて教えてくれる環境がここにはありました。今までは,研究を通じて得られた科学的根拠を目の前の患者さんに適用する立場にいた自分ですが,講義や実習を行っていく中で,徐々にエビデンスを作る過程に携わることに強い興味を覚えていきました。

 この修士課程で身に付けたスキルをより自分のものにしたいと指導教授に相談したところ,奨学金を取って博士課程に進学するか,リサーチフェローに応募するしかないと言われました。幸い奨学金を得ることができ,修士課程修了後は同じ指導教授のもと博士課程に進み,西アフリカに位置するガンビア共和国におけるB型肝炎の疫学研究を行うことにしました。

 西アフリカでは,男性の悪性腫瘍のうち肝臓がんが最も多いとされています。修士論文ではガンビアに滞在し,アフリカで唯一国全体をカバーしているがん登録の評価を行いました。博士課程では,慢性キャリアにおける肝細胞がんのリスクファクターについて研究を進める予定です。疫学はあくまで"仮説"を検証するための道具に過ぎませんが,今はその道具を使いこなせるようになりたい一心です。


島川祐輔
2004年慈恵医大卒。国境なき医師団を経て,長崎大熱研内科に入局。現在はLSHTM博士課程に在籍。関心分野は感染症疫学。


世界の精神保健に貢献したい

杉浦寛奈(公衆衛生学)


 私は,国際保健の分野において,国内外でインパクトの大きな仕事につながるような学術活動を行っているのがどの大学院か,という視点で進学先を検討しました。国際保健の分野では,精神保健を扱っている教育機関がまだ限られているのが現状です。そのため,国際精神保健にいかに効果的にかかわることができそうかという点も重視しました。大学院では,公衆衛生の基礎となる疫学,統計,医療経済,医療政策などをバランスよく学ぶことができ,精神保健一辺倒であった私の視野が広がったことが一番の収穫でした。

 その後は,大学院の教授の推薦でWHOの精神保健部にてインターンを行いました。大学院で学んだ公衆衛生の実践を体験し,学術的に学んだことと実際が結びつくのを垣間みることができ,有意義な時間を過ごしました。外務省が提供しているJunior Professional Officerの試験にも合格し,今後はWHOにて2年間勤務する予定です。

 国際精神保健では,資源の少ない環境でいかに精神保健サービスを向上できるかといった視点が注目を集めており,その中心はプライマリ・ケア医などの最前線の医療者が精神疾患を診断・治療できるように人材育成を行うことにあります。また,精神保健を人権問題や社会発展の視点で取り上げるべきとの動きもあります。これらの視点を扱うWHOが掲げる「Mental Health Gap Action Programme」に今後さらにかかわり,世界の精神保健,特に精神科医のいない40か国の医療サービスの改善に貢献できれば本望です。


杉浦寛奈
2004年女子医大卒。同大病院にて初期研修修了,横浜市大精神医学教室に入局。関心分野は日本および途上国の精神保健サービス。


栄養疫学に魅せられた

岸暁子(公衆衛生栄養学)


 生活習慣病は先進国のみならず,今後世界的にどの地域でも問題になってくると知り,公衆衛生という視点で栄養学を勉強できるコースを探しました。また,全くと言っていいほど栄養に対する知識がないこと,さらには実践手法がわからないので,疫学手法を系統的に学べるLSHTMを選択しました。卒後3年間の経験で,英国栄養学会認定のPublic Health Nutritionistに登録され,その分野の専門家として認められること,多彩な教授陣による講義が行われていることがLSHTMの魅力でした。

 実際入ったコースでは,栄養学の基礎から栄養状態の評価の仕方,栄養疫学の統計的手法,食糧安全保障および物資調達方法,現場での栄養プログラムの立て方などの実践的なことまで勉強できました。成人だけでなく,胎児・子どものときからの栄養状態の評価方法や,生活習慣病以外の栄養問題,医療経済学,問題への公衆衛生学的アプローチ手法について学べたことは,視野を広げる貴重な経験になりました。

 現在,日本で臨床に戻り,生活習慣病の栄養に関連する疫学を日本の現場で使いたいと考え,博士課程に在籍しています。今後は,まだまだ発展が求められる日本の栄養学的研究を少しでも盛り上げていきたいと考えています。日本は,世界でも有数の高齢社会であり,在宅診療などの充実が今後必要となってきます。特定健診も始まり生活習慣病への関心も高まってきています。このように,日本だからこそ発信できる情報を,少しでも世界に向け,栄養疫学的な手法を踏まえて発信していきたいと思います。


岸暁子
2005年札幌医大卒。武蔵野赤十字病院を経て,東大糖尿病代謝内科入局。関心分野は日本・途上国の低栄養および肥満・糖尿病等の栄養指導,在宅医療。


臨床医が切磋琢磨する場

高岡賢輔(熱帯医学/国際保健学)


写真2 ガンビアにおける診察のもよう(高岡氏)
 「世界のがん死の7割はlow and middle income countriesで起こっている」というWHOの報告を読み,熱帯医学を専攻したいと考えました。LSHTMは熱帯医学で定評があると学生時代に聞いたことがあり,応募しました。

 本コースでは,熱帯医学の全体像および世界各地で起こっている医学的問題を把握できます。学生は2年以上の臨床経験を持つ医師で構成されており,その多くがNGOや国境なき医師団を経験していたのが印象に残りました。必須科目としては医学昆虫学,寄生虫学,クリニカルトライアル,統計基礎,臨床実習が設けられていました。残りは自由に選択でき,自由度は高いと言えます。本コースは英国Royal College of Physiciansの主催するDiploma in Tropical Medicine & Hygiene(DTM&H)も兼ねており,希望があればDTM&Hの取得(試験有り)も可能で,毎年ほぼ全員が取得しています。

 卒業後は熱帯医学を実践すべく,ガンビアにて2か月間「The Partnership for the Rapid Elimination of Trachoma(PRET)」研究に参加しました。実際にマラリア,トラコーマ,リンパ腫などの患者さんをみることにより,LSHTMで学んだ知識を一層深めることができました(写真2)。同級生は卒後,世界中で働いており,電子メールなどを通じて毎日刺激をもらっています。将来は世界のがんと闘うことが目標です。


高岡賢輔
2007年九大卒。麻生飯塚病院を経てLSHTMに進学。関心分野は臨床腫瘍学,血液学,公衆衛生学,腫瘍疫学等。

 上記のように,4人それぞれが異なる目的で本学に進学し,卒後別々の進路を歩んでいます。その中で,本学で出会った仲間たち,学んだことは私たちの人生,進路において貴重な財産となっています。本稿が留学を希望される皆様の一助となり,1人でも多くの同志が生まれれば本望です。

左から,島川祐輔氏,岸暁子氏,杉浦寛奈氏,高岡賢輔氏

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